第28期 #25
車を運転しながら、僕は彼女にキスをした。光と唇の生暖かい感触を食べることができるのではないかと考えた瞬間、両方に逃げられて、笑われる。
「あたし、女よ」
暗闇と白いライトのごちゃ混ぜになった世界で彼女はそう口にした。僕は中央分離帯が夜の街をどこまでも旅していくのを横目で見ながら、分かっているよ、と答える。
「本当に?」
試すような彼女の声をわざと邪険に扱ってみたくなって、僕は右を向いた。地上より遥かに高いところから、テールランプが延々と続いていく下界が見える。赤い光、注意の印、警告の象徴、禁止の証。
叫ぶような騒音を立てながら、後ろから車が追い抜いていく。自分たちよりも遥かに速いそれを見ながら、僕は今朝見た夢を思い出していた。てらてらと青く光る蛞蝓が何匹も僕の布団の上をゆっくりと這いずり来る夢だ。白いシーツを埋め尽くし、青丹の染みを残しながら僕のほうへ近づいてくる。
遠くに響く飛行機の軌跡と、車の振動が相まって体が震える。トンネルに入ると、オレンジのライトが襲いかかっては、もといた道に消えていった。
「……」
彼女が何かを言ったけれど、僕は尋ね返すことなく曖昧に流す。彼女の長い髪も暖房のスイッチを付ける指も、オレンジに輝いては黒に帰っていく。
耳に膜が張ったかのように何もかもが聞こえ辛い筒の中で、僕は男だよ、そう口にしかけたが、止めた。代わりに、助手席の彼女の服の右袖から何匹も蛞蝓が這い出しても仕方ないのではないかという考えが頭をよぎる。台所の片隅で粘液を出しながら動くそれが何十匹も何百匹も出てきて、やがては彼女と僕をびっしりと覆い尽くす。大量の蛞蝓の下で僕も彼女も蛞蝓に倣って性別を失い、原型をなくしべたべたになるぐらい溶け合って、それから塩をかけられて一緒に縮んでいくのだ。
誰も開けない鉄の箱の中身が縹色に染まっていくことを想像して笑みを浮かべていると、隣からどこか拙いシートの軋みと軽く口から息の零れる音が聞こえた。
トンネルを抜けると、叩きつけるような大粒の雨が降ってきて、視界を白く霞ませる。先を走る車も、後ろを走る車も、ノイズのような雨音でかき消されて見えなくなってしまう。
三日月ももう排気ガスの後ろに隠れてしまった。