第28期 #12

octopus garden

 特急から乗り継いで1時間半。もうだいぶ日も落ちた終点の駅から、故郷の村まではさらにバスで1時間かかる。俺はスーツケースを下げ、ドアを開けて待つ古びた路線バスの、ところどころ錆の浮いたステップを上がった。50がらみの無口そうな運転手の脇を抜けると、乗客は学校帰りらしい女学生と、杖を抱えた老婆だけだ。俺が住んでいた頃と変わりない風景。
 そして、入り口の近く、色褪せた二人掛けのシートに蛸が座っていた。
 俺はうっかり蛸と目を合わせてしまった。蛸は一本だけ腕を上げて今晩は、と言った。
「どちらから」
 蛸が俺に聞いた。
「東京から」
「私は火星からです」
 SF作家や宇宙研究家の長い時をかけた考察を鼻息でふふんと吹き飛ばすような姿に、これはいくらなんでもみんな怒るだろう、と俺は思ったが、遠くからたいへんですね、と話をあわせた。
「旅行なんです。やっと休暇が取れまして」
 蛸は時々、霧吹きで水をしゅしゅっと吹きかけて自分の体を湿らせていた。骨がない体はバスが揺れるたびにぶるぶると震える。蛸はちょっと陸の重力を持て余しているようにも見えた。
「一人旅は何かと危ないでしょう」
「この国は治安がいいですから」
 そんなことを話しながら、俺はこいつから刺身何皿取れるのだろう、とか不謹慎なことを考えていた。
「私は少し書を嗜むのですが、旅でもすれば、いいのが書けるかと思いまして」
 そうですか、と言いながら、俺は頭の中で、墨、墨、墨…やはり自前か、などと不届きなことを考えていた。
「この先の村に、著名な書家の記念館があるのです。そこに行くつもりなんです」
 書家といえば、新田の茂じいのことか。あの助平爺が宇宙的な有名人だったとは。
「記念館の庭にある四阿で、夕方まで書かせてくれるのです。そうだ。時間があったら、夜、一緒に飲みませんか」
「いいですね」
 酒蒸し、たこわさ、たこ焼き、唐揚げ、カルパッチョ、酢蛸…と居酒屋蛸づくしメニューが壊れたメリーゴーランドのように俺の頭の中で高速回転していた。そう、タコメーターが振り切れるくらいに速く。
 俺は蛸から目をそらした。窓の外、すっかり暗くなった街灯のない舗道の向こうに、懐かしい村の燈がぽつぽつと点きはじめていた。
 蛸と並んで揺られながら、そういえば、親父も時々旅行者を連れてきては、一緒に酒を飲んでいたっけな、と俺は思った。



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