第28期 #11

午後のかほり

 暮れなずむ午後五時。いつものお茶の時間になって、いつものように、少々肌寒いテラスでお茶の準備をしておりますと、上機嫌な銅像が 小さな花を片手にご登場。

「お茶ですか」

 ポットとカップを持ったまま、僕が「お茶ですねえ」と答えますと、素晴らしい!と彼は高らかに叫び、持っていた花を高く掲げて くるくるとその場で回りました。彼はお茶の時間になりますと、いつもの銅製の鉄面皮を脱ぎ捨てて、即興のジェントルマンに変身するのです。

「今日のお茶はなんですか」

 緑青のういた硬いくちびるを曲げつつ、彼が聞きます。「ローズヒップですか」

「いえ、レモングラスです」

 僕は微笑んで、ティーカップにお茶を淹れます。

「レモングラスは、さぞかしよいかほりなのでしょう」

「ええ よいかほりです」

 こぽこぽといい音をたてて 紅茶がティーカップに波紋をたてます。湯気がたちのぼり、夕日に染まるテラスいっぱいに よいかほりが漂います。

「ときにあなた、ご存知ですか」

 顔を上げますと、彼は椅子を引き寄せて 遠慮がちに僕の向かいに座りました。彼専用の椅子は、少しも動じることなくその300kgのスレンダーな身体を受け止めています。

「かほりというのは誤字なのです。旧字では『かほり』でなく『かをり』と書くのが正しい」

「それは知らなかった」

「私は知っていてわざと用いました。五時と誤字をかけて」

 なるほど。ティーカップを傾けつつうなずきます。お茶の時間を五時にして良かった。僕がそう思っておりますと、彼はうっとりした表情で 花を夕日に向けました。

「さてもこのような素晴らしい五時のひとときに、誤字を持ち出す私をどう思われますか」

「すてきだと思います」

「なればこそ」

 紳士的に影だけ笑って、彼は僕に花をよこしました。名前はわかりませんけれど、小さな花弁がとても愛らしい花です。その花は僕のくすんだ手におさまるよりも、彼のアオミドリの手にあった方が美しく思えました。

「どうですか」

 何を期待しているのかよくわからない、金属製の声。僕は少し困ってしまいました。

「……とても可愛らしい花です」

「そう、とても可愛らしい。けれど私は、私にはわからないことを教えてほしいのです」

「ああ」

 理解した僕は、彼のアオミドリの指から、愛らしい花をとり、顔のまんなか 僕の鼻先へ向けて ひと嗅ぎ。

「とてもよいかほりです」

 微笑みますと、彼は満足そうにうなずきました。



Copyright © 2004 神藤ナオ / 編集: 短編