第28期 #10
裸電球の淡い光に蝿が舞っていた。
「面倒だったんだよ、選ぶのが」
三ヶ月前になる。この部屋に来た女が天井の電球を見てはしゃぐので、僕は何ということもなくそう答えた。でも逆にすごくおしゃれでいいわよ、と彼女は言った。静かな交わりの後、彼女はこんなセックスははじめてだとも言った。こんなに濡れて、こんなにも昇り詰めたことなど一度もないと。
それきり彼女はこの部屋には表れなかった。その女の名前を僕はどうしても思い出すことが出来なかった。
「このタオル、使ってもいい?」
「お好きに」
僕はバスルームに向かって大きな声を上げた。それで一息に深い記憶の泥濘から引き戻された。
「すごくいいにおいのするタオルね」
「使ったらすぐに洗濯して、晴れた日に干しておけばこうなる。僕は黴臭いタオルが嫌いなんだ」
「太陽のにおい」
「そう」
「そこに座ってもいい」
女はベッドの脇に座り、弄んだ左手で僕の左胸の乳首を摘んだ。そのはずみに身体に巻きつけていたタオルが解けた。
「こっちにおいでよ」
僕の脇に作った空間に、女は無抵抗に横になった。女のにおいが鼻を擽り、僕は頭に鈍い痛みを感じた。
「疲れているの?」
「少しね」
「もしかして私のせい?」
「まさか」
僕は女の髪を優しく撫でて答えた。
「不思議。今さっきはじめて会ったばかりな気がしないのよ」
「でもきっと明日には僕のことを忘れているよ」
女はそれには何も答えなかった。
「ねえ、私っていくつに見える?」
交わりの後、女が囁くように聞いた。
「25ぐらい」
僕は少し考えてから答えた。
「無難な答えね」
「つまらない男なんだ」
「私、うまく年を取れなかったのかな」
女はベッドから身を起こし、小さな背中を僕の方に向けて座った。
裸電球に舞っていた蝿が、いつしか二匹になっていた。
「一つ聞いていい?」
女が言った。
「どうぞ」
「どうして私の右腕がないことについて何も聞かないの?」
「聞く必要がないからさ」
「また遊びに来てもいい?」
「もちろん」
「私、きっとあなたのことを忘れないと思うわ」
「ありがとう」
その女もまた、それきりこの部屋には表れなかった。そしてどうしてだかそれ以来、僕は女と寝る機会に全く遭遇しなくなった。
僕はふと、女がメモ用紙に走り書きをして残した電話番号に電話を掛けてみた。
「もしもし」
僕は何も言わずに受話器を置いた。