第267期 #2

楽陵真珠飯店

伝説の極密中華料理、幻の角煮を、食べに行く。
それは、北京料理の原型である「魯菜」、つまり山東料理の本家を継承した楽陵真珠飯店でしか食べられない、しかも年間に100食しか提供されない逸品だ。予約は1年以上前から必須。もう一度言う、幻の角煮を、食べに行く。それが、今に生きる希望である。
9時半に退勤し、ギリギリ終電で帰宅。10時半に家に着き、シャワーを浴びてからスマホを眺める。ニュースに良い話はない。ゲームを起動して30分ほどレベル上げをして、そろそろ就寝。翌朝7時の地下鉄で出勤。それが日常だ。疲れる。
だが、年末に幻の角煮を食べられる。去年、運よく抽選に当たり、予約が取れた。しかも前払い済み。あとはその日を迎えるだけ。毎日が辛くても、それを思うと頑張れる。そして、その日が近づいてきた。
ついにその日が来た。
楽陵真珠飯店の扉をくぐると、威厳ある雰囲気と香ばしい香りが迎えてくれる。歴史を感じさせる柱、壁に飾られた伝統料理の写真。案内された個室で待っていると、ついに給仕が料理を運んできた。
「お待たせしました。こちらが幻の角煮でございます。」
箸でつまむと、ふわりと崩れる肉。口に入れると、柔らかさ、甘辛いタレ、脂身のバランスが完璧に溶け合い、全身が幸福感に包まれる。これを味わうために1年待ったのだ。そして、その価値があった。
すべてを食べ終えた帰り際、小さなガラスケースが目に入る。「幻の角煮に使用される秘伝のタレの材料については非公開ですが、ここだけの話……“特別な香辛料”が含まれています。」そんな手書きの札が飾られていた。
翌日、職場でその話をすると、同僚が言った。
「楽陵真珠飯店? 聞いたことないな。」
スマホで検索するも、情報は出てこない。予約確認メールも写真も、すべてが消えていた。
――だが、不思議なことに、その味だけははっきりと覚えている。
幻かもしれない。それでも、もう一度食べたいと思える。それだけで、また頑張れる気がする。
楽陵真珠飯店。あの幻の角煮を胸に、今日も私は働くのだ。



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