第266期 #7

大相撲煉獄変

 相撲協会の力士の心得にはこうある。
 一、驕らぬこと
 一、怒らぬこと
 一、妬まぬこと
 一、怠らぬこと
 一、欲張らぬこと
 一、食べること
 一、色に溺れぬこと  
 横綱・七大斉がこれを破ったとして、千秋楽結びの一番の土俵入りを拒否されるという異常事態が、ここ国技館で起きていた。
 花道の途中に立つ横綱。それを数人の力士達が押し返そうとしても、横綱はびくとも動かず土俵を見据えている。
 土俵を挟んで向こう側では、取組相手の大関・鶏つくねが途方に暮れていた。
 土俵下の砂被り席で、紋付き袴の老人が怒りに満ちた声で呟いた。
「図りおったな……ルシフェル」
 隣に座るスーツの偉丈夫、ルシフェル親方は微笑んだ。
「お互い様でしょう」
「ぬけぬけと……」
「私は力士として当然のことをしている」
「貴様ッ! 土俵に封印されたものが蘇ればッ……」
「それが人の考えの限界だ。力士はそう考えない」
 ルシフェル親方は座ったまま叫んだ。
 「砂淡! 構わねぇ! こっちへ来い!」
 砂淡は七大斉の旧四股名だ。七大斉は、親方の声を聞き歩みを進めた。もはや誰も止めることはできない。彼は普段のように花道を歩き、呆然とする太刀持ちや露払い達を置き去りにして土俵に上がった。
 そして悠然と四股を踏んだ。
 同時に土俵の綱が発光した。光は爆発的に大きくなり、突如、雷のような破裂音と共に土俵から光の柱が上がった。
 光が消え、呆然とする人々が見たのは、土俵の上に立つ一人の力士だった。
 髷は解け、髪は天を突くように逆立っている。盛り上がった浅黒い筋肉の体は鉄のよう。穏やかだった顔つきは、ギラギラとした瞳と、頬までさけた笑みにより一変していた。
「これが、蹴速……素晴らしい」
 土俵に上がったルシフェル親方は目前の異形に対し、感動に震えていた。
 次の瞬間、振り向いた七大斉――蘇った相撲の神の蹴りがルシフェルの顔面を捉え、そのまま二階席まで吹き飛ばした。
 誰もが息を呑み、悲鳴と共に全員が動き出したところで――
 ズドン
 その音が、国技館の人々の動きを止めた。
 土俵の上、蹴早に相対する力士が四股を踏んだ。
 大関、鶏つくね。本場所、七勝七敗。振るわない理由はムラの多さ。しかし、ついたあだ名は大物喰い。
 蹴速が向き直る。
 鶏つくねが腰を低く低く下げていき、拳を土俵についた。
 それに引っ張られるように行司が軍配を掲げ、待ったなしを宣言した。
「はっけよい!」



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