# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 舌 | 蘇泉 | 621 |
2 | 怪物と人間 | euReka | 1000 |
3 | 遠いところから、遠いところへ | たなかなつみ | 992 |
4 | ローリング・ストーン | 三浦 | 1000 |
俺は舌が普通の人より短い。特に不便はないし、人生の最初の17年間はそれに気づかなかった。17歳のとき、初めて彼女ができて、数ヶ月付き合ってディープキスをしてみたら、その彼女が「あなた、舌が短いかも」と言ってきた。
彼女の舌と比べてみると、確かに短かった。ネットで調べたら、何かの病気か、病気まではいかないけど少し異常なものらしい。でも生活に支障はないので、特に気にしていなかった。彼女も初恋だったので、舌が短いことを最初に発見したことを嬉しがっていた。
やがてその彼女とは別れた。その後、他の彼女もできたが、ディープキスには至らなかった。そして次の彼女ができて、同棲することになった。やっぱりディープキスのときに舌が短いことに気づかれた。その時もやはり彼女は何かを発見した気分で浮かれていた。俺はその雰囲気を壊したくなかったので、初めて知ったふりをしていた。彼女は大喜びで、舌が短いことの第一発見者として嬉しがっていた。
でもまた別れた。
そして今の彼女と付き合うことになった。だんだん親しくなってきたので、そろそろディープキスの時期かなと思っていた。彼女とキスをしてみたら、あれ、今までとは違う感じだ。相手の舌も短い。俺よりも短いかもしれない。一瞬頭が真っ白になって、「ねえ、舌が短いんじゃない?」と言ってしまった。
すると彼女は、「あら、本当?やばい、あ、本当だ。今まで気づかなかったわ。あなたとキスして初めて知ったの!」と明らかに小芝居を始めた。
怪物は、人間の五倍ぐらいの大きさがある生き物だ。
昔は、農作業や土木工事などでよく使われていたが、今は便利な機械が普及してきたので、怪物の力を使う必要がなくなった。
田舎にある私の実家は昔から農家をやっており、何百年も前から使っている怪物がいた。
「ようケン坊、元気そうだな。東京でイジメられてないか? 土産は買ってきたか?」
私は東京でいつもイジメられているけど、たまに田舎へ帰って怪物と話をしていると少しだけ自分を取り戻せる。
でも土産はいつも忘れてしまう。
怪物は、機械の普及で便利になった今の世の中では不用の存在だ。
飼えなくなった場合は、研究目的の生物サンプルとして研究機関に引取ってもらうか、もしくは自分で殺して処分するしかない。
実家の両親が健在している間は、何とか怪物を飼い続けることができたが、両親が死んでしまった今、私は怪物をどうするか決めないといけない。
「ケン坊、何も悲しむことない。怪物のオイラ、どうなっても気にしなくていい。オイラ人間みたいに、痛み感じることないから、酷いことされたり、殺されたりしても平気さ。でもケン坊、心あるから、いろいろ悩むこと、あるのかな?」
心が何なのかよく分からないが、私には、幼い頃から知っている怪物を研究所へ引き渡したり、自分で殺したりすることは絶対無理だ。
ネットいろいろで調べていると『怪物王国』と呼ばれる施設を見つけた。
『怪物王国』は、怪物を無償で引き受けてくれるが、実際は、怪物を単なる見世物にして商売しているだけの酷い連中らしい。
「オイラべつに、見世物でいいさ。ケン坊みたいに傷付く心、ないからね。怪物王国でオイラ人気者になったら、ケン坊、観に来てくれよな」
いろいろ悩んだ挙句、私は怪物を、その怪物王国に引き渡した。
自分で怪物を飼うことができないんだから、仕方ない。もう怪物のことは忘れて、自分の人生を生きることを一番に考えようと私は思った……。
それから数十年後、街を歩いていると、私はある女性に声を掛けられた。
「○○さんですよね。ずいぶん歳を取ったみたいだけど、あたし……、いやオイラにはあなたのことが分かります」
私は、変な勧誘だと思ってその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待って、ケン坊。あれからあたしいろいろ苦労したけど、今は人間になれて、あなたが怪物のあたしを捨てたときの気持ちがやっと理解できて……」
彼女は幼い頃からずれていた。
それは感性の問題とも言われ、感覚の問題とも言われたが、発育途上の健診で何度も要精密検査と示されることを繰り返し、彼女は学習した。
つまり、自分はずれているのだ、と。
世間において一般的と言われる範囲、通常と言われる範囲、標準と言われる範囲、彼女の居場所はそこにはなく、確かに自分がずれていることは彼女自身にもわかっていた。
周囲が笑うところで笑えない。自分ひとりだけが笑う瞬間がある。
彼女は学習した。自身の特性について理解し、対応の仕方を考えることに努めた。彼女は自身を記録し、考えた。医師に相談し、膨大な記録を調べた。
そして、理解した。確かに彼女はずれていた。
時間軸的に。
周囲の時間と自分の時間とに、ほんのわずかのずれがある。そのことに気づいたとき、彼女は大きな希望をもった。ずれは本当にほんのわずかだった。ほんの少し努力をすればまったく問題なく追いつけるぐらいの非常に微小なずれ。
彼女は努力した。つねに走った。それが努力であることを忘れるぐらいに走りに走り、やがてある日気づいた。
つねに走り続けないと、そこにあるずれを埋めることはできない。
彼女は走った。走りに走って、走り続け。
ある日、彼女は諦めた。走ることをやめた。
彼女と周囲とのずれは刻一刻と広がっていった。彼女はもう走らなかった。ずれはどんどん大きくなっていった。
今では彼女は遠い遠いところにいる。そこに存在していることがわかっているのに、ずれが大きすぎてその姿を見ることができないぐらい遠くに。彼女のほうからは見えていることは、知識として知っている。理解している。彼女は自分の状況について論文を発表していた。私はそれらの資料をもとに彼女の存在を知り、特定した。
私は彼女に向けて合図を発信する。複雑な数式をもとに、発信する角度と強度を定め、寸分の違いなく細心の注意を払って発信する。
そこにいることはわかってるよ。気づいてるよ。
遠い遠いところで彼女が私の発信を受信している。時折、ほんのわずか、周囲が揺らぐ。いま、彼女の存在をほんのわずか感じた。私はそれを記録する。
私にもまたずれがある。彼女とは異なる方向にほんのわずかのずれが。彼女と私とは近づかない。けれども、お互いにほんのわずかその存在を感じている。そして、そのことに安堵して、固執して、今日も生き続けている。
転がる石。どこかへ行く石。戻ってくる石。欠ける石。みんな、どこにでもある石。そこはどこなのか。空想なのか映像なのか。これは回避行動だ(専門的な意味ではないが)。私は疲れている。
一歩先に自然がある土地で人は(私は)何に癒しを求めるのか。ゾンビが蔓延る世界で堅牢な住宅を持つことは癒しだろうが、まだゾンビは存在しない。しかし住宅にはゾンビのような人間、つまり決まった行動を反復する(私を含む)家族がいる。幸福ではないのではない。幸福がミニマル・ミュージックのようであることが腑に落ちないのだろう(ミニマル・ミュージックへの理解が乏しいのだろうか)。
俳句のように世界を見るのはどうだ。
閑さや岩にしみ入る蝉の声 松尾芭蕉
(蝉が岩にとまっている。長閑だなあ)
蝉鳴くや我が家も石になるやうに 小林一茶
(蝉が我が家に呪いをかける。石になれと)
確かにこれなら漫然とした世界にびしりとピントが合う気がする(句の隣にあるのは私による口語訳だ)。だがこの解像度で日々を送れるのか。俳句も創作の一環となればそれ自体に労苦や懊悩が付き纏うのではないか。
いけない。やる前から否定的になっている。よくない思考だ。俯瞰で捉えよう。三人称だ。詠は(無論Aのもじりである)今の生活に倦んでいる。不満はない。仕事はある(給与もある)。贅沢は(ダサいから)しない。(国内の)学術芸術エンタメにアクセスできる。家族に犯罪者はいない(逆に秩序通報は二度している)。そうだ、近隣の治安が悪い(これまでに三度も面格子の間からガラスを割られている)。これが疲れの原因だろう。俯瞰的観点は重要だ。
警察はすぐに出動してくれる。対応も簡潔だ。しかし治安は悪い。馬鹿が多いのだ。教養とは何たるかを知らない連中だ。ゾンビだ。ゾンビが蔓延っている。ならば堅牢な住宅に引き籠もるのが賢明だろう。蟄居して教養を深めようではないか。
石にとまつて蝉よ鳴くか 種田山頭火
(蝉よ。石を舞台に演奏だ)
風わづかに石の上なる蝉の殻 尾崎紅葉
(終演後、蝉は衣装を乾かした)
石の上の熊蝉の殻消えゐたる 加藤秋邨
(なんと衣装が盗られている)
生害石空蝉すがりかなしけれ 山口青邨
(蝉は悲しみに暮れた)
この連作は洒落た訳だと自負している。こうして俯瞰すると、私は蝉のイメージに拘泥している。
(転がる石。どこかへ行く石)だめだ。まだ疲れたままのようだ。