第26期 #24
南先生はいつもその棒を持ち歩いていた。
特別なものなんかじゃない。壊れた箒の柄の部分だ。
硬い木で床に触れると、コツコツと乾いた音が響く。
先生はそれを「賢者の棒」とよんでいた。
遅刻したり、宿題を忘れたりすると、その賢者の棒で生徒の頭を叩くのだ。何もなくてもよく床に叩きつけていた気がする。
パンチパーマでサングラス愛好者の南先生が持つ賢者の棒は、生徒にとっては恐怖の対象でしかなかった。先生は校内のどこに行くにも手離さないほど、この棒を気に入っていたようだ。
ある日、クラスメイトの一人が遅刻してきたという理由で、先生は賢者の棒で彼女を叩いた。打ち所が悪かったのか、額から血が流れ座り込んだ彼女に、先生は「早く席につけ」と怒鳴った。
血を見てざわついていた教室は先生の怒鳴り声で瞬時に静まり、ふらふらと立ち上がった彼女が自分の席に座ってからは、通常の授業が行われた。一時間目が終わる頃、教室内に生臭い鉄錆の匂いが充満していた。休み時間になってようやく、友人に付き添われて保健室に行った彼女は、その日、教室に戻ってこなかった。あとで保険医の先生に連れられて病院へ行ったのだと聞いた。
翌朝、いつものように教室に入ってきた南先生は教壇に立つなり、持っている賢者の棒で自分の頭を数回叩いた。静まり返った教室に、コンコンと軽い音が響き渡った。
「こんなものは痛くない」
先生は笑ってそう言ったが、誰も何も答えなかった。
「痛くないんだ」
先生は怒鳴りながら賢者の棒を教室の隅に投げつけた。棒はちょうど、壁際に飾られた花瓶に当たり、砕けた陶器の欠片と一緒に床に落ちた。
先生はしばらく険しい顔で室内を見渡していたが、ふいと教室を出て行った。
幸いにも、投げられた棒や砕けた花瓶で怪我をした者はいなかった。壊れた花瓶はクラス委員が片付け、後日、備品弁済のためにクラス全員でお金を集めて代わりの花瓶を用意した。
怪我をしたクラスメイトの両親が、学校と教育委員会に苦情を言ったのだと聞いた。病院で三針も縫うほど、額が割れていたらしい。
南先生は、校長先生をはじめ、教育委員会からもきつく指導方法を改めるように言われたと聞いた。
あの日から、南先生は学校に来なくなった。なんでも、登校拒否をしているという噂だ。
投げられても壊れなかった頑健な賢者の棒は、いまでも教室の隅に立てかけられて、南先生のかえりを待っている。