第259期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 人形による月と夜明け たなかなつみ 999
2 新入生オリエンテーション 蘇泉 798
3 瓶を開ける 青沢 1000
4 空想少女と空腹少女 euReka 1000

#1

人形による月と夜明け

 月が出ている。夜空に月が出ている。夜空に丸くて明るい月が出ている。
 でくのぼうは言葉をもたないので、操り人の言うことをそのまま繰り返す。月が出ている。夜空に月が出ている。夜空に丸くて明るい月が出ている。
 でくのぼうには友がいる。友は壊れた人形で言葉をもつ。壊れた人形は壁に向かい斜めに傾いだ姿勢のままほんの少しも動くことができないが、口からは絶えることなく言葉がこぼれ続ける。
 でくのぼうには友の言葉を理解することはできないが、音の響きが気に入り、友と同じ言葉をただ模して繰り返す。月が出ている。美しい月が出ている。美しい月に惑わされ夜にさまようあやかしがここにいる。
 人には友の言葉が聞こえない。手に持つ糸の先のでくのぼうが放ち始めた妙な言葉を聞き咎め、糸を強く引き動きを制する。月にあやしげな力はない。夜にさまようあやかしはいない。月は地の周囲をめぐる星。太陽に照らされ光を地に反射するのみ。
 でくのぼうは人の言葉がわからぬまま模して繰り返す。月に力はない。月はめぐる星。太陽に照らされ反射するだけのでくのぼう。
 友はでくのぼうの言葉には応えない。ほんの少しの視線も投げかけることなく、同じ姿勢で壁に向かい、ただひたすら壊れた言葉を紡ぎ続ける。月が走る。月が追いかけくる。あやかしたちは月の光に打たれ人の姿をもち夜に満ちる。
 でくのぼうは友の言葉がわからぬまま模して繰り返す。月が出ている。走り追いかけくる。月は光を放ち夜を惑わせ、荒れ野はでくのぼうの人型で満ちる。
 人は暴走するでくのぼうの糸を強く引く。でくのぼうは両腕を後方斜め上に引っぱられ、引き攣れた格好で動きを止める。
 でくのぼうは壊れてはいない。今だけちょっと動けなくなったが、友とは違い、糸が緩めばまた動ける。でくのぼうには操り人がいる。操り人がいる限り、でくのぼうは安泰だ。でくのぼうは人を信じている。人の言葉を理解しないまま安心し模して繰り返す。月の満ち欠けは位置による。月は同じ面を地に向ける。月はめぐり続ける。
 友は壊れたまま動くことができない。友を直す人はいない。ひたすら壁に向かい斜めに傾いだまま今日も語り続けるが、その言葉を耳にするのはでくのぼうのみ。でくのぼうには友の言葉を理解することはできない。
 月が出ている。美しく明るい月が出ている。月は夜を照らすがその光は弱く、すべてを見晴るかす朝になるとその姿は陰る。


#2

新入生オリエンテーション

「新入生オリエンテーションは以上です。」
丸西エスエス芸術専門学校のA棟教室で、教務主任が新入生にオリエンテーションをやっている。
「あ、そうだ。うちの学校のB棟604室の話ですが、」
教務主任はメガネを触って、
「あれは多分、もう噂を聞いた人はいるでしょうが、嘘ですね。B棟は、隣のビルですね。そこの604室は確かにずっと鍵かけていて、利用禁止ですが、あれは設備の問題で、別に事件とか発生したことないです。」
教務主任は頭を上げて、学生の様子を確認した。
「まあ、夜になると604室の周りを徘徊することもオススメしないですが、あれも設備の問題ですよ。もし機械の故障とかで怪我をさせたら、こっちも面倒なので、皆さん604室を普通に無視して、学校生活を送ってください。」
学生がざわついている。

「はい、はい」教務主任が咳払して、
「じゃ何か質問ありますか?」

1人の学生が手を上げて。

「はい、君」

「あの、卒業生のショートムービー『エスエス学校604室怪談』の試写会チケットは、もらえますか?」とその学生が聞いた。

「あ、あれですね」教務主任は誇張的に眉をひそめて、
「チケットは教務課に行ってもらえます。学生証を提示すれば1人1枚ですよ。今あまり残っていないから。ではオリエンテーションはここまで。皆さん有意義な2年間を送ってください。」

教務主任は2階のオフィスに戻る。校長室を通るとき、ちょうど校長先生とバッタリ会った。
「オリエンテーションですか?」と校長先生が言った。
「はい、今終わりました。」と教務主任。
「604室の怪談は今年も効きますか?」と校長先生が聞いた。
「うまく行っているようですね。」と教務主任が。

「そうですか」校長先生はB棟の方向を向いて眺めて、「学生募集が苦しくて閉校しそうなとき、この怪談を作ってばらまいたが、本当にこれで功を奏したとは思わなかったよ。これで、しばらく学校は潰れることはないかな。」


#3

瓶を開ける

初めてジャムの瓶をひとりで開けられたとき、私はなんて強くなったんだろうと思った。
そのとき、パパは既に家からいなくなっていて、代わりにママが朝から晩まで働いていた。パパが家にいたら、私は、この異様に固いジャムの瓶を自力で開けることはしなかっただろう。
力ずくで開けることを諦め、授業で習ったてこの原理を思い出し、スプーンの柄で瓶と蓋の間に空気を入れるのに成功すると、蓋は簡単に回り、苺ジャムが姿を現した。
パパ、開けてー、と簡単に人を頼る私はもういない。諦めなければ、私はきっとなんでもできるんだ。
私が瓶を開けられないでいるのをじっと眺めて、開けてと言えば嬉しそうに頭を撫でたパパも、もういないんだから。
その日のジャムは、少し寂しい味がした。

7年後、私は大学生になって、初めて恋人ができた。
彼は私のカバンを持ちたがり、学食のランチさえ奢りたがり、課題を手伝おうとすらした。
「私に色々してくれようとしないでいいからね。子供じゃないんだから」
自分自身の不満をどう表現していいかわからず、そう伝えるのが精一杯だった。
彼は怪訝な顔をした。
「自分の彼女のために色々するのが悪いこと?」
バカにしないで、私はなんでもひとりでできる。ジャムの瓶だって開けられるんだから。私の中の、12歳の私がそう叫んでいた。

ある日彼と構内のベンチに座っていたとき、突然彼が立ち上がって自販機に向かって歩いていった。
戻ってきたとき、彼はオレンジジュースのペットボトルを持っていて、キャップをカチッと音を立てて開けてから、閉め直して渡してきた。
「はい、これ好きでしょ」
ありがとう、という言葉が、喉に詰まったように出てこなかった。
幼い頃に見たパパの姿を思い出す。
いつもママと私のカバンを持ち、よく花やケーキを買ってきた。
でも、ママを叩いたし、浮気して出て行った。
私は嫌いなのだ。パパみたいな男性が。
無自覚に、人を所有物扱いする男性が。
立ちつくしたまま不思議そうな顔をしている彼を見上げた。
「あなたは悪くないと思う。たぶん、私の問題なの。ごめんね、さようなら」
私は立ち上がって、ジュースを受け取らず、彼のもとから去った。
私を、ジャムの瓶を開けられる女でいさせてくれない男には耐えられない。
歪んでいるのは彼の善意か、私の心か。
本当はわからない。
構内のアスファルトの道を踏みしめながら、はじめてジャムの瓶を開けた日のような、万能感と孤独を感じていた。


#4

空想少女と空腹少女

 空想少女は、ポテトチップスを食べていた。
 でも、割れたポテトチップスの尖った部分が歯茎に刺さって、血の味がしてきた。
「普通はポテチが歯茎に刺さるなんてありえないでしょ? でも、すごく面白いからアイデア採用!」
 パソコン画面の前でそう興奮気味に喋っているのは、空想少女の小説の作者。
 でも当の少女は、口の中の痛みや、勝手に空想でいろいろやらされる馬鹿らしさにうんざりしていた。
「少女は、出血した口の中を携帯で撮影し、ポテチの会社に苦情のメールを送った。すると一週間後、その会社は律儀に、謝罪の手紙と、お詫び代わりの新作ポテト商品を三つも送ってきた……。うわ、なんだか物語が広がりそうな展開だぞ!」
 空想少女は、新作のポテト商品を見て少し嬉しくなった。
 しかし、細長い形の“ポテ棒”というお菓子を口に入れると、今度は口の中の上側にその尖った部分が刺さって、血が出て、自分はやっぱり不幸な少女なんだと思った。
「少女は、また苦情を出そうかと考えたが、クレーマー扱いされるだけだろうと思って、口の中に広がる血の味をただ噛み締めた……。空想上の少女なのに、ちょっとした社会常識もあるなんて、キュンとくるポイントかも!」
 小説のクソ作者は、ポテト菓子が口の中に刺さる、という変な設定がお気に入りのようで、このままだと空想少女の口の中は傷だらけになってしまう。
「いつも口から血を流している少女は、吸血鬼じゃなくて、実はただのポテチ好きでしたというオチ、最高!」
 この作者は馬鹿かと空想少女は思ったが、少女はただの創作上の、文章上の存在でしかないからどうしようもない……。

「あ、このポテチ食べていい?」
 そう突然、空想少女に聞いてくる少女が現れた。
「あたしは空腹少女だから、目の前に食べ物があると全部食べてしまう少女なの。このポテチ食べていい?」
 この空腹少女もクソ作者の創作かと思って、空想少女は小説を確認したが、どこにも空腹少女なんて現れてこない。
「あたしは、美味しそうな食べ物を探して旅をしているだけで、あらゆる小説や創作物とは関係のない存在です。このポテチ食べていい?」
 ポテチなんていくらでも食べて下さい。私は作者のクソみたいな空想に付き合わされるだけの存在に絶望している少女です。
「空想することは人間の自由だけど……もぐもぐ、でも空想されるのが嫌なら、その作者を殺す自由もあるはずで……あ、何か刺さった」


編集: 短編