第259期 #3

瓶を開ける

初めてジャムの瓶をひとりで開けられたとき、私はなんて強くなったんだろうと思った。
そのとき、パパは既に家からいなくなっていて、代わりにママが朝から晩まで働いていた。パパが家にいたら、私は、この異様に固いジャムの瓶を自力で開けることはしなかっただろう。
力ずくで開けることを諦め、授業で習ったてこの原理を思い出し、スプーンの柄で瓶と蓋の間に空気を入れるのに成功すると、蓋は簡単に回り、苺ジャムが姿を現した。
パパ、開けてー、と簡単に人を頼る私はもういない。諦めなければ、私はきっとなんでもできるんだ。
私が瓶を開けられないでいるのをじっと眺めて、開けてと言えば嬉しそうに頭を撫でたパパも、もういないんだから。
その日のジャムは、少し寂しい味がした。

7年後、私は大学生になって、初めて恋人ができた。
彼は私のカバンを持ちたがり、学食のランチさえ奢りたがり、課題を手伝おうとすらした。
「私に色々してくれようとしないでいいからね。子供じゃないんだから」
自分自身の不満をどう表現していいかわからず、そう伝えるのが精一杯だった。
彼は怪訝な顔をした。
「自分の彼女のために色々するのが悪いこと?」
バカにしないで、私はなんでもひとりでできる。ジャムの瓶だって開けられるんだから。私の中の、12歳の私がそう叫んでいた。

ある日彼と構内のベンチに座っていたとき、突然彼が立ち上がって自販機に向かって歩いていった。
戻ってきたとき、彼はオレンジジュースのペットボトルを持っていて、キャップをカチッと音を立てて開けてから、閉め直して渡してきた。
「はい、これ好きでしょ」
ありがとう、という言葉が、喉に詰まったように出てこなかった。
幼い頃に見たパパの姿を思い出す。
いつもママと私のカバンを持ち、よく花やケーキを買ってきた。
でも、ママを叩いたし、浮気して出て行った。
私は嫌いなのだ。パパみたいな男性が。
無自覚に、人を所有物扱いする男性が。
立ちつくしたまま不思議そうな顔をしている彼を見上げた。
「あなたは悪くないと思う。たぶん、私の問題なの。ごめんね、さようなら」
私は立ち上がって、ジュースを受け取らず、彼のもとから去った。
私を、ジャムの瓶を開けられる女でいさせてくれない男には耐えられない。
歪んでいるのは彼の善意か、私の心か。
本当はわからない。
構内のアスファルトの道を踏みしめながら、はじめてジャムの瓶を開けた日のような、万能感と孤独を感じていた。



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