第25期 #5

タクシーは青春を乗せて

 百貨店を出ると将はいよいよ本降りになってきた雨に少したじろいだ。雨は買い物をしている間に止むどころかますますその激しさを増していた。涼子への誕生日プレゼントを選んでいる間の弾んだ気分は瞬く間に萎えてしまった。こんなにもまとまった雨が降るのは何日ぶりだろう。しかも、よりによって今日という日に。
 将は萎みかけた自分の心を奮い立たせるようにデパートの紙袋を持った手に力を込めた。そこには銀のブレスレットが入っている。貧乏学生の将には些か高価な買い物だったが、涼子の喜ぶ顔を想像すれば何も惜しいことはなかった。
 傘を広げてバス乗り場に向かいかけたとき、ふとタクシー乗り場が目に入った。幸運にも客を待ったタクシーが一台止まっている。財布に残っている金額を素早く計算した将は思い切ってそのタクシーに乗り込んだ。
 騒がしい駅前から離れていくほどに将の胸は弾んだ。店を出た時に感じた不安はない。将はタクシーに乗って本当によかったと心から思った。
 「何かいいことでもあったんですか?」
 不意に運転手が聞いた。
 「ええ、まあ。今日は恋人の誕生日なんです」
 「それで今から彼女の部屋に行くと」
 将が照れ笑いを浮かべると運転手はうなづいて、「若いというのはいいもんです」と言った。
 「そういえばこの前も病院の前でお客さんぐらいの年の青年を乗せたんですがね」運転手は話し続けた。「ずいぶん奇妙なことを言うんですよ。俺をあの世へ連れていってくれって」
 タクシーは信号で止まった。ワイパーは規則的な動きを続け、雨飛沫を払い落としている。
 「仰っている言葉の意味がよく分からないんですが」
 しばらくの間を置いて将は正直に言った。
 「ええ、そうでしょう。私も最初は何のことだか分かりませんでした」
 信号が青に変わり、タクシーはウィンカーを出して左に曲がった。
 「よくよく話を聞いてみるとね、恋人が亡くなったらしいんですよ、病気で」
 運転手はそれきり黙ってしまった。
 タクシーは細い路地に入り、涼子のマンションの前で止まった。将は手早く料金を支払い、そそくさとタクシーを降りた。
 降りしきる雨の中を行くタクシーを、将は傘も差さずに見送った。黒い車体が完全に見えなくなるまで。
 冷たい雨が将の耳元を伝い、首筋を濡らせた。雨脚はますます強くなっている。将はようやく傘を広げると、紙袋を持った手にもう一度力を込めた。


Copyright © 2004 戸田一樹 / 編集: 短編