第25期 #26
十字架が舞い上がるほどの風が吹くはずもなく、夏の終わりに落ちている枯葉が数枚、白い地面を転がることさえ怠っていた。街路樹を撫でさすり、その表面はかすかな熱を持っている。陽射しを受けての熱か、内から発しているのか区別はつかない。空が秋の色へ変わり、暑さと涼しさを同時に覚えるような朝だから故に気付いたという事は確かだった。
歩くことを止めても今は声が出ない。唸ったところで何も変わらず、うなりをたてる風はなく、本当にじっとしていれば葉の擦れる音はきこえていた。どこか見晴らしのいい郊外の空地であれば風があり、音がなかった。人を見送るときに静かでは寂しいから、今は街が嫌いではなくなっている。
このパレードが終わったら歌うことができたとして、他には何も変わらない。いつでも風は止んでいた。樹に耳をあてればコッコッと水を吸い上げる音がしていると知りながら、耳をあてたことはなく、いつか音をきく日が訪れたとして、さらに内のほうを知ろうと試みて諦める。
人の手が持っている熱を、陽が落ちれば冷めていく木肌の温かさに擬えることは誤りかもしれない。或いは簡単にすりかえと断定もできない気がしていた。心情描写を得意としない僕は、自分自身を説明するとき、視野に入った光景を書き記すよりほかにできない。掌に触れたとき、握り返されたことを除けば、温かさは樹と似通っていた。
声が出なければ代わりに歌う人がいるように、風が吹く場所はいつでも存在した。街がなく、樹と枯葉がなく、十字架さえ立ってはいないとして、僕の耳に行き当たる風はうなりをたてて通り過ぎていく。勿論すべては感傷的な喩え話に過ぎないから、僕が歩くことを止めてもパレードは終わらずに続く。見送ろうというときに、彼らがどこへ行くかより、どこから来たかを考えている。