# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | コンビニの女の子 | 蘇泉 | 594 |
2 | 窓 | 竹野呉蒙 | 620 |
3 | 楓 | 青沢 | 997 |
4 | 誰そ彼の屋上 | 朽縄 | 992 |
5 | 毒蛇 | Dewdrop | 598 |
6 | 猫を飼いたい。 | さばかん。 | 998 |
7 | 海欲し | テックスロー | 994 |
8 | 翼 | 霧野楢人 | 1000 |
9 | やさしい花火のつくりかた | 朝飯抜太郎 | 1000 |
10 | ねこなべ。 | 吟硝子 | 500 |
コンビニのあのバイトの女の子が気になっていた。
このアパートに引っ越しして一年、アパートの下にコンビニがあり、ほぼ毎日通っている。
そのコンビニにバイトの女の子がいる。ほぼ毎日いるので、ひょっとしたら正社員かもしれない。コロナのご時世で、店員はみんなマスクをしている。その女の子も当然、勤務中はマスク着用。
かわいい女の子だ。コンビニに行くたびに気になっている。その雰囲気と仕草は100%タイプの女の子。しかし顔は一度も見たことがなかった。
そのまま1年間経った。職場には友達がいない。毎日コンビニに寄るのが一番の幸せだった。別に顔を知らなくても良いと思った。アイドルだって素顔を知ったら何も得しないだろう。
転勤が決まり、引越しすることになった。これからもうバイトの女の子と会えないかもしれない。せめて最後の1週間は今までのまま過ごそうと思った。コンビニに向かう。店の前に、店員の制服姿の人が数人いた。打ち合わせかな、と思ったら、マスクをしていないかわいい女の子がいた。3秒止まっていたら、まさにバイトの女の子だったことを認識した。そしてその女の子は、タバコを吸っている。
気まずい空気だったが、とりあえず水を買って帰った。
俺はタバコを吸わないが、タバコを吸う人に偏見を持っていないはずだ。でもなんかモヤモヤした気持ちになった。
最後の1週間は、ちょっと遠いコンビニに通い、さっさと引越しを済ませた。
幼いころの話である。
私と弟は高速道路に載っていた。車は父が運転していた。母は助手席で眠っていて、私と弟は、後部座席に荷物と一緒に詰め込まれていた。なぜ、私たちがそこにいたのかは記憶にない。それがどこだったのかも忘れてしまった。
春だったことだけを覚えている。艶やかな赤紫の木蓮が車窓をたびたび横ぎった。トンネルの多い道だった。私は、耳の気圧を調整するために、しばしば唾を飲みこんだ。暖房のせいもあって喉はからからだった。
その日何度めかのトンネルの入口だった。不意に弟が、トンネルの名板を指して読み上げた。私は窓の外に目をやったが、それを見る暇もなく車はトンネルに入った。
読めるんだ。
弟は自慢げに言った。私は黙って手を叩いた。薄暗いトンネルの壁に車の影がちらちらと走った。等間隔に並んだ蛍光灯は、同じ速さで窓の外を流れていった。
僕ね。あれ、ずっと、天窓だって思ってたんだ。
弟が蛍光灯を指して言った。
外の光がね、遠い山の地面から掘られた、ちっちゃなトンネルを通って、僕たちのトンネルに差し込んでくるんだって。
私は小さくうなずいた。
でも、違った。
弟はぽつりと言った。
しばらく走って、車はトンネルを抜けた。
ほら。外の光だよ。
私が言うと、弟は困ったように頬をかいた。
……僕、トンネルの中のほうがいいなあ。まっすぐで、外の光ってかんじがするもの。
私は黙って窓の外を見た。
真っ赤な木蓮の花が、何かを守るように咲いていた。
一時的な幸福ほど不幸をもたらすものはない。
二十三歳の奈々子は、いつだってそう思って生きてきた。
それに気づき始めたのはたぶん、幼い頃、家族で海に行った日の帰り道。
楽しい時間には必ず終わりが来る。海に来なければ、帰りたくない気持ちにもならなかったのに。
車の後部座席で泣きじゃくる奈々子を、母は優しく抱き寄せた。
「また来年来ようね」
運転席の父は、優しい声で慰めの言葉を口にした。
父の好きなスピッツの「楓」が車内に響き、切なげなメロディーが幼い奈々子の寂しさを煽った。
確信に変わったのは十六歳のときだった。
父が出張先で倒れ、三十九歳の若さで亡くなった。しっかり者の母が、来る日も来る日も泣き続けた。
父が誠実で優しい人でなかったら。母と奈々子を心から愛する人でなかったら。こんなにもかけがえのない人でなかったら。今、一生分の涙を使い果たさずに済んだのに。
幸福は怖い。当たり前の幸福に浸されるのは怖い。それが当たり前でなくなったときの不幸は、あまりに大きいものだから。
ぼーっとしていることが増えた母を見て、奈々子の確信は深まっていった。二十年を共にした二人がどれほど愛し合っていたのか、それを考えることすら恐ろしかった。
十八歳のとき、奈々子は初めて男の子を振った。
大学生。父と母が出会った年頃だった。
「なんか、付き合ったり……、将来のこと考えたりするの、怖くて」
そう言うと、相手の男子は肩をすくめた。
わたしがおかしいのだろうか。
奈々子は何度も考えた。
勉強も人付き合いも頑張ってきたつもりだ。しかし心の奥底にある、幸福の分だけ不幸を味わうのではないかという恐怖心が、時折奈々子を臆病者にするのだった。
二十三歳のとき、職場の同期からプロポーズされた。
半月前に彼の二回目の告白を断ったとき、奈々子は初めて両親の話をし、幸せになる勇気がないのだと伝えた。彼は真剣に耳を傾け、話してくれてありがとうと言ってくれた。
「どんな不幸にも負けないくらい幸せになろう」
それが、彼なりに精一杯考え抜いた答えだった。奈々子は困ったように苦笑いをしながら、少し涙ぐんだ。
翌日、奈々子は久しぶりに実家に帰った。
夫が去り、娘が出て行った家で、母は手作りのハーバリウムを所狭しと並べていた。
食卓に置かれた父の遺影に、「カズくん、奈々子が帰ってきたよ」と笑いかける母の笑顔は幸福そのもので、奈々子はようやく彼への返事を決断することができた。
僕が通っていた小学校では、屋上への出入りが禁止されていました。それ自体は特段珍しい話ではないでしょう。どこの学校でもおおよそ同様の処置が取られていると思います。
ただ奇妙なのは、僕の学校の場合、その禁止令が児童だけでなく教職員にまで及んでいたことです。そう、僕たち児童だけでなく先生方も屋上に上がることを許されていなかったのです。実際、僕が調べた限り、屋上に上がったことのある先生は一人もいませんでした。
こんな話を聞いて想像を逞しくしない小学生などいないでしょう。特に好奇心が人一倍強かった僕は、四年生のある夏の日、何としても屋上に侵入してみせると決心しました。
その日の早朝、まだ先生方の姿もまばらな職員室に赴き、古びた屋上のカギを盗み取りました。その後、逸る気持ちを抑えて午前の授業をマジメに受け、昼休みになってから屋上に通じる階段に向かいました。そして周囲に人の目がないのを確認しつつ、身長かつ素早く階段を上りつめ、屋上に通じるドアの前に立ちました。
ついに来た。さあ、これから前人未踏の「偉業」を僕が達成するんだ――ワクワクとドキドキで手を震わせつつ、僕はドアを解錠して長年の封印を解きました。そして、友達も先生も、誰一人足を踏み入れたことのない屋上へと身を躍らせたのです。
……赤い。それが第一印象でした。
まさに鮮血と表現するのが相応しい深紅の夕焼け空が僕の頭上に広がり、屋上の床のタイルを真っ赤に染め上げていました。
(あれ? 今はお昼休みなのに……)
怪訝に思いつつ、とりあえず下界を見下ろしてみました。
眼下には運動場が広がっていて、ワイワイと追いかけっこやボール遊びに興じているみんなの姿が見られました。見慣れた光景です。
……一人残らず、人体模型のように半身の皮膚が剥かれていることを除けば。
――ヤバいッ!
俄に恐怖心が湧き起こり、急いで立ち去ろうとした時でした。
運動場にいる児童の一人が、こちらをジッと見上げていることに気付いたのです。
それは他のみんなと同じく無残にも皮を剥かれた、紛れもない僕自身でした……。
それから何があったのか、全く覚えていません。気がつくと、ぼくは教室で午後の授業を受けていました。
僕が見たのは夢か現か、今となってはわかりようがありません。ただアレ以来、夕焼け空と「屋上」という言葉に怖気を覚えるようになったのは事実です。
若く美しい女性がいた。彼女は失恋し、その傷心を癒すために南の島を一人で訪れていた。
そしてガイドのおじさんと一緒に歩いている最中に、事件は起こった。
「きゃあああっ!」
突如現れた毒蛇によって、彼女は脚を噛まれてしまったのだ。
「コノヤロ! オイコラ、アッチヘイケ!」
ガイドのおじさんは急いで毒蛇を追い払うと、倒れた彼女の、噛まれた痕を見定めた。
「コレハ、タイヘンナコトニ、ナリマシタ。デモ、マカセテクダサイ。シツレイシマス」
「あっ……」
ガイドのおじさんは、彼女の脚に吸い付いて毒を吸い出しては吐き、吸い出しては吐きし始めた。
……その手際よい、献身的な働きに身を任せていると、彼女はヘンな気持ちになってきた。
そして彼がその反復をし終えた後、彼女はトロンとした表情で言った。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「ドウイタシマシテ」
彼女は、ガイドのおじさんを見つめて申し出た。
「お礼に……お礼に、あなたのも吸い出して差し上げます」
「……エッ?」
ガイドのおじさんは、何を言われたのか信じられない、といった表情で彼女を見返した。
彼女はトロンとした表情でガイドのおじさんをじっと見つめて、繰り返した。
「あなたのも、私の口で吸い出して差し上げますよ」
するとガイドのおじさんは嬉しさとイヤらしさを隠し切れない表情になり、彼女の気が変わらぬうちにと大急ぎで自分の脚を毒蛇に噛ませた。
(了)
「行ってきます」
ひとり暮らしになって日が経つが、何となくそう呟いて家を出る。勿論答えてくれる人もいないし、誰かが応えてくれることも期待していない。
しん、とした1Kのアパートの一室を閉じこみ、鍵をかけた。
……やはり、猫でも飼おうか。
毎日会社と家を行き来するだけの生活は、少し……いや、だいぶ疲れる。
馴染めない職場。曖昧な指摘ばかりする上司。減っていく同期。
毎日怒られながら仕事をしていると、自分が何も出来なくて無能であるかのように錯覚するようになった。(私が無能であるならば私よりも仕事をしていないあのクソ上司はミジンコなのだし、そうではないはず。)
辞めたいと思うことも多いが、次の職場が見つかるとも限らない。しかし、定年までこの職場に居続けたくはない。
日々のストレスと漠然とした不安で、毎朝吐き気と戦いながら出勤をするほどになった。毎日複数の薬を飲んでまで、私は何をしに行くのだろう。
まだ鬱ではない。しかし、それも時間の問題だ。そうなる前に手を打たなければ。そうした焦りの中で出した結論が『猫を飼う』なのだ。
猫は万病に効くというではないか。ストレスにはうってつけのトップセラピストだろう。
あのもふもふとした毛玉に顔をうずめたい。ネコ特有のにおいで鼻孔をいっぱいにして幸せになりたい。
いや、触らなくても家に帰ってきたときにもふもふとした生き物が出迎えてくれるというのはそれだけで癒しになりえるのではないだろうか。私が帰る頃は、お腹が空いたと鳴いて寄ってくるだろう。餌を与えたときに「私が養ってあげている」、「私がいなければこの子は生きてはいけないのだ」と考えると、生きている心地になる。仕事をする意義にも繋がるだろう。
しかし、長毛の猫は毛の生え変わり時期が大変だというから、飼うならば短毛の種のほうがいいのだろうか。いや、ブラッシングをしている時間が癒しになるのでは?種類は何が良いだろう。名前もとびきり良い名前を考えてあげなければ。
そんなことを考えながら電車に揺られていれば、吐き気も呼吸も一瞬だけ忘れることが出来る。猫の事を考えているだけで良くなるのだから、やはり猫を飼おう。家に猫がいたら、良くなるに違いない。
気道がふさがりかけているかのような息のし辛さは仕事に打ち込んで入ればそのうちに止まる。吐き気も、薬を飲んだから吐くほどまではいかないだろう。
早く猫が飼いたい。
だから今日も頑張るのだ。
三月の海水浴場は海風と波の音で心地よかった。そっと足を波に洗わせるとしぶきが戯れてくる。人懐っこいようなくすぐったさで思わず笑みがこぼれるが、何か変だな、と足元を見るとしぶきははっきりとまんまるの形をとってころころと私の足の甲を滑っていった。くらげ? と一瞬足指をきゅっと丸めるがそれはビー玉か猫の目のような透明の球形だった。上空を滑る雲を見て、天気予報ではそろそろ風が強くなるころだと思い出した。案の定まもなく風が吹き、波が高くなった。解像度の低い動画を見ているような荒い波の粒が見えた。昔行ったどこかの駅前にあった、冨嶽三十六景を小さな円いタイルで描いた壁面を思い出していた。だっぱんと、もったいぶった、のたうつ感じで波が足もとの砂浜を叩きつけると、波の玉がそこらに飛び跳ねた。一粒は私の頬まで跳んできた。とっさに出た手ではたくと波玉は二つ三つと別れた。空には血の色をした太陽が浮かんでいた。日が傾くにつれその赤さは黒味も帯びてきて、海の向こうにじっくりと漬けこまれていった。そして夜が来た。私は宿泊する海沿いの旅館に戻って浴衣に着替え大浴場に向かった。露天風呂から見る海は暗く、赤黒い太陽が海の中を駆け巡るのが見えた。そこから逃げるように海の玉たちは荒れ狂い、その音は地響きのように鳴った。「海鳴りが今日はひどいですね」と部屋に戻る廊下ですれ違う女将は困ったような笑顔を見せた。部屋に戻っても、音は鳴りやまず、時折海の中で赤く輝く太陽を窓から見ながら焼酎のお湯割りを飲んでいた。
翌朝、血の気を失った青白い太陽の光で目が覚めると私は海を見た。おびただしい数の海の玉は太陽の血で赤く染まり、昨日のような弾力を失い干からびていた。浴衣のまま朝食会場に向かい、ご飯に味噌汁、ソーセージ、ハッシュドポテト、今朝どれの卵を使った目玉焼きやサラダなどを盆に載せて、最後に良く漬かった海干しを一つご飯にのせた。「朝どれですんで、昨日はたくさん鳴ったものですから……」女将が私の後ろの宿泊客に説明するのを聞きながら、赤い海干しを口に放り込んだ。歯を立てると種の部分がぷちっと破けて中から海があふれた。口や鼻、目などから海があふれ、私は裸足で海へと走りだす。海干しに足を取られながら、脱ぐのももどかしい浴衣はウロコやヒレとなって私に張り付き、そのまま私は一匹のトビウオとなり赤い海の先へ飛び立った。
軒下で燕が枯草や泥を忙しなく運び、急造した巣で卵を温めだしたかと思えば雛鳥の声が響き始め、今度は採餌給餌に奔走している。四羽いた雛のほとんどはあっという間に大きくなり、そろそろ巣立ちの時期だった。一羽だけ中盤で地面に落ちて潰れ、息子は原型を失っていく残骸を見るたび「なんで動かないの?」と振り向いて私に尋ねた。
「死んじゃったんだよ」
「どうして死ぬの?」
最終的にはいつも、私は彼と「生きる」ということについて議論した。小さな左右の手に各々掴まれた私の手は薄く汗ばむ。何度言葉を重ねても、核心に至る前に息子は痺れを切らし駆け出した。私の背丈の半分ほどの息子は両手を目一杯広げて走り、私は後ろから息子と手を繋いだまま、中腰で引きずられるようについて行く。
最初に手を取ったのは私の方だった。力が入らず掴まり立ちから一歩踏み出せないでいた息子の両手を、もどかしくなって引っ張り上げた。妻が撮った写真を見ると、二本の足で立つことの叶った彼の顔には、嬉しさが溢れていた。
私の手に引かれ、バンザイの形に両手を上げた彼は歩き始めた。歩くことに精力的な彼の足は日を重ねるごとに力強くなる。それでも、彼自身が私の手を離さなかった。
「あなたがそういうものだと刷り込んだんでしょ」と指摘する妻は、バンザイが彼の歪んだ歩行ひいては走行フォームとして定着することを懸念していた。妻の言う通りかも知れなかった。
私が支えることで格段に広がる彼の自由を、私は私のエゴゆえに奪えなかった。雑草だらけの空き地だろうが近所の婆さんに見られていようが、息子は構わず柔らかな頭髪をなびかせて突き進む。興奮の閾値に達すると彼は勢いよく跳ね上がる。私は黒子となり、軋む腰に力を込めて彼を飛翔させる。否、私も一緒に飛んだのだ。足をばたつかせて笑う息子の声は大空に響いた。二人ならどこまでも飛んでいけた。そう思えた。しかし勿論それは錯覚だった。
親鳥が帰って来るのを見上げた拍子に、腰を強い痛みが襲った。足のもつれた私の手を息子はもどかしげに振り払い、道を先へと駆けていく。弾かれた私の両手は千切れてどこか彼方へ飛んでいく、ような気がした。
待ちなさい、危ないから、手を繋ごう。
躊躇いが取り返しのない事故を招くとは思った。それでも一瞬口をつぐんだ。初めからそうであったかのように、自らの足で上手に大地を蹴る息子の後ろ姿を、私は目に焼き付ける。
「綺麗……」
彼女の横顔は、思いのほか静かだった。
空には、大輪の花が咲いていた。目まぐるしく変わる光と音。
俺は目を閉じて、耳をふさぐ。
目を合わせられなくて、うつむいたまま挨拶する彼女。稚拙ないたずらで、文字通り飛び上がった彼女。振り向いた彼女の、見開いた綺麗な琥珀色の目に俺は息をのんだ。
やがて彼女も笑うようになり、喧嘩もして、泣いて。支えて、支えられて、過ごした日々。
「わたしも、散っていくんだなあ」
その声に悲しみの色はなくて、それがとても悲しくて、思わず大きな声が出た。
「やめたっていい」
俺は自分の声に勇気づけられるように、もう一度言った。
「俺は別にやめたっていいんだ」
彼女は笑った。
「わたしはやだな」
空を見ながら、小さな声で言った。
「そしたらわたしはまた石になるだけだもの」
「それだって」
いなくなるよりマシだ。自分勝手な気持ちに気付いて言葉に詰まる。
「わたしはね、わたしは、あなたに見て欲しい」
空に一段と大きな花が咲いた。鮮やかで美しく、儚く、黒に溶けていく。
俺は彼女の目を見た。暖かく、優しい、琥珀色の光。
彼女はもう一度笑った。
「いい、花火師になってね」
そして彼女は、黒い穴の中にその身を投げた。
劇光。炸裂音。遅れて、夜空に広がる光と音。
俺は、空を見上げた。
今日のために、この島の若き花火師は、擬人化した花火と六か月間一緒に過ごす。俺らが過ごした時間と心の在り様が、夏の夜空に咲く。
彼女の記憶が、それを思い出す心が、連続する光と音のストリームとなり、空に出力される。さらに、それを見て聴いた人間の中で再度発火する。脳内で疑似的な記憶の再現が起こり、擬人化花火が体験した記憶や感情を『思い出す』。
毎年100万人以上がこの島に訪れている。島を取り囲むように集まった大型客船の上で、人々は花火を見ているだろう。
今、この空一杯に広がる彼女の記憶と感情が、それを見た全ての人間に共有されている。それは狂おしいほどの嫌悪感と喜びになって俺の中に渦巻いていた。
伝統行事として日本からは容認されているが、国際擬人化法には明らかに違反していた。またデジタルドラッグ技術の転用も限りなく黒に近いグレーだ。それでも俺は花火師になろうと思った。
つまり、俺は何もわかっていなかった。
いつの間にか泣いていた。
それでも目を離せなかった。その光の一粒さえも、見逃したくなかった。
みーんな、ねてる。
しろいのもちゃいろいのも、しろくろのもまっくろのも。起きているのはあたしだけ。五匹目のあたしだけ。
土鍋に入れられたあたしたち。おなべにはいって写真をとるの、みんなやってるんだって。ねこなべっていうんだって。
うまれてすぐに、かみぶくろにいれられていたあたしたち。かみぶくろごとひろわれて、ぬるいミルクもらって、うまく飲めなくて口のまわりびしゃびしゃにして。それからあらってもらって、あったかくしてもらって、四匹くっついてねて。それから一日か二日してびょういんにいって。
それからちょっとして、写真をとろうねって。かわいいからきっとすぐに貰い手がつくよって。土鍋にまあるくおさまった、しろくろちゃいろの子たち四匹。
あたしは五匹目。土鍋に入らなかった五匹目。かみぶくろに入れられていたうちの一匹で、土鍋に入らなかった五匹目。ほかの子にくっついてあっためられていたけど助からなかった五匹目。ほかの子といっしょにかみぶくろごと連れてってもらって、おかおもふいてもらって、ミルクを口にちょんとつけてもらって、おにわに埋めてもらった。
ねえ、四匹のきょうだいたち。いいひとに貰われてね。