第246期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 同窓会 蘇泉 257
2 夜明けの天使 ののはな 993
3 愛を。 吟硝子 500
4 黒い幽霊 Dewdrop 995
5 オープンワールド 朝飯抜太郎 1000
6 廃校と少女と、午後の音楽 euReka 1000
7 焚火 霧野楢人 1000
8 からすのめがねやさん 川野 1000
9 アイ アム インフォメーション テックスロー 996

#1

同窓会



高校の同窓会で、久しぶりにL君と会った。
昔は文学サークルの仲間で、話が盛り上がった。
L君の仕事について聞いたら、L君はこう言った。
「小説の『三体』の作者劉慈欣は、昔公務員だったことって知っている?」
「うん、もちろん知っている」と私は答えた。
「彼は公務員小説家として成功したわけよ。俺も公務員小説家として、半分は成功している」とL君は言った。
俺は興味を持った。「同じSF小説を書いてるんっすか?」とL君に聞いた。
L君は、「いや、俺は公務員試験に受かったが、小説はなかなか書けない。だから今はただの公務員だ」と言った。


#2

夜明けの天使

今日も夜明けが来る___

私は桜月。ある暴走族の総長をやってる。
え、何?そこのあなた、暴走族なんて〜って思ったでしょ?
でもね、ほんとに生きるのに必死な人たちが集まった
そんなわけで、私のチームは日本一だと思う。
無関係の人は絶対に守るし仲間第一だし
ここに来たら仲間が見つかる。一人だった日々が終わる。
そんなチームの総長だから、冷たい日々の終わりという意味で
私の異名は
『夜明けの天使』
天使なんて柄じゃないけど。ところで、

「優衣、遅い!」

「ごめん!桜月!」

「今日、皆の信頼度ドッキリ覚えてるよね?」

「あ、う、うん。」

なんだっけ。
まあいいや
彼女が副総長の優衣
ひよこみたいな人だ。

今日、裏切り者が出た。
ありえなかったが、優衣だという証拠まで見つかった。
優衣が裏切り者だ。
集会がちょうど今日。皆の前で罪を認めてもらう。

「集会を始める!優衣、前に出ろ!」

「え?桜月?私なんも聞いてないよ?」

「裏切ったんでしょ?私達の事」

「    フフッ」

何笑ってるの、、、?

「桜月、このチームはもうじき終わる」

「はっ⁉ふざけるのも大概にして!」

このチームは、皆の幸せと永続を願って作られたもの。










まさか、

「桜月、今、私に裏切られて幸せじゃないでしょ?」

「そんなのっ」

「じゃあ、このチームは総長が壊れたから解散。もしくは内乱。」

そんな事になったら私だけじゃなくて、皆が不幸になってしまう。

「優衣、やめて。」

「じゃあこのチームは解散ねっ?」

「判った」

優衣、あなたは私を殺したいんだね。

そりゃそう思うのも仕方ない。

勝手に親友とか名乗ってたけど。

なにしろ私は優衣の元カレを




















実質奪ってしまったから。

私はそんな心算なかったけど、向こうから急に
告られたから。
憎むのも当然だ。親友に彼氏を奪われて。
殺意が沸かないわけがない。

「良いよ。殺して。私のことを。」

「え、桜月?何言ってるの?」

「え?彼氏奪ったのに、殺さない人なんている?」

そう、私の彼氏も、

あ、れ?私の彼氏って、?

なんだろ、分からない、、全部、全部わからない、、、

---
解説

信頼度ドッキリというもので、優衣が裏切り者。そういう設定だ。
桜月はそれのことを忘れていた。【優衣が裏切る】の単語以外を。
そこで、優衣が裏切ったから尋問しよう。そう思っていたのです。
でも、一部の記憶だけ忘れるとは
そんな突発的に起こることでしょうか?
あれ、そういえば、桜月ちゃんの彼氏って、、

end


#3

愛を。

 あなたは屋上から飛び降りぎわに、笑顔でわたしに手を振った。
 あなたは笑いながら、夜の海に身を投げてあっという間に見えなくなった。
 水の入ったガラスのコップに白い粉をさらさらと落として、あなたはひと息にそれをあおってわたしに微笑んだ。そうして血を吐いて倒れて、そのまま動かなくなった。
 わたしを抱きしめようとするようにこちらに手を伸ばして、あなたはそのままダンプの前にまろび出た。
 物陰から飛び出してきた男の振り回す出刃包丁がわたしの服の裾を裂いて、わたしの皮膚のかわりに服を裂いた包丁とわたしの間におどり込んできたあなたのからだをその包丁が貫いたのを、あなたのからだが受け止めた衝撃をわたしははっきりと感じた。わたしに背を向けて包丁を受け止めたあなたが笑ったのをわたしは感じた。
 あなたは、いつもいつもわたしの目の前で死んでいって、わたしはそのたびにびくんと体をこわばらせて、そのはずみで目が覚める。
 顔も知らない現実では会ったことのないあなたはいつもいつもわたしの夢にでてきて、いつもいつもわたしの目の前で死んでいく。死にぎわの顔をまっすぐわたしに向けて、あなたはいつも笑顔でわたしに愛を告げる。


#4

黒い幽霊

 俺が昔、夜間施設警備で働いてた時の話だ。

 俺がある晩、毎度のようにブツブツ独り言を言って見回ってると、どうも俺とは別の声がしたような気がして、俺は黙ったんだね。
 すると、やっぱ聞こえる。微妙に聞こえる。俺以外の声が。俺以外には誰もいないはずなのに。そんで耳を澄ますと、しっかと「……恨めしい」って聞こえたんだよ! 俺の背後から!
 これには俺も、びっくーってしたね! いやみんなビビるよあれは!(笑)
 で俺も、まあ怖いんだけど何だろ、とにかく振り返ると、何かいるのよ! 人間じゃない感じのヤツが。何か半透明なヤツがさ。
 これはもう、ホント血の気が引いたよ。初めて見たねあーゆーの……で? それで俺が固まってると、向こうがまたしゃべってきたんだわ。
 「……おまえも夜勤か」。「も」って何? みたいな(笑)。最初はよく分からんかったけど、でもコミュニケーションできそうっていうか、夜勤に理解ありそうっていうか?(笑) 俺も少しラクになって。
 ビビりながらも、そうだけど、アナタも夜勤なの? みたいに聞くと、「……そうだ」って答えがきて。更に、「……おまえも血色が悪いな」って言ってきて。
 さっき言ったとおり、俺は血の気が引いてたわけだけど、それが無くても体調悪かったんだよね。不摂生と夜勤でボロッボロで(笑)。
 だから、ハイ悪いです、みたいに答えたんだけど、何かだんだん、共感が形成されつつある気はしてた。
 そしたらだよ、何と次は、「おまえも待遇が悪いのか」って言ってきて。俺の独り言聞かれてたのかよ! っていうかオマエ何なんだよ! っていう(笑)。
 それで俺が、ハイ毎日大変です、みたいなことを言ったと思うけど、そしたら向こうが「……俺もだ……もう疲れた」って言い出して。それからも愚痴られたんだけど、どうも幽霊の世界でもブラック労働があるらしいんだな。で、ソイツはこう言い出した。「……疲れ切ったので、神主を呼んでほしい」。
 俺も、しんみりと気の毒になってね。俺たち似てたからさ。俺も助けてやりたい気がして、神主を呼んでどうするんですか、みたいなことを一応確認したら、
「……神主が『払いたまえ〜』ってやってくれると、会社に未払い給与を払わせることができるんだよ」
 で俺が、労基かよ! ってツッコんだら、アイツ満足そうな顔で消えてったね(笑)。ホント何だったんだろうねあれは……(笑)。

(了)


#5

オープンワールド

「おぉ〜」
「第一声マジ何も変哲なしの感嘆」
「マジ残念」
「うるせーよ」
 山腹の、少しだけ開けた場所に数人の軽装の若者たちが立っていた。彼らの後ろには人が入れるような洞穴があり、奥に階段が見える。
 緩やかな斜面には短い草が敷き詰められ、草と土と岩でまだらになった獣道がふもとに向かっている。風が強く吹き、少女が髪を押さえた。
「今、『肌で』感じた」
「あと鳥の声とか」「匂いとか」「リアル〜」
「マジでこのクオリティでずっと続いてんの?」
「しかも80億人が常時ログイン」
「楽しみしかない」
「じゃ、ぼちぼち」
「攻略しますか」
 彼らはふもとに向かって歩き出した。
 映像はそこで終わった。
 明るくなった会議室で、イタリアンスーツの男が目の前に円卓に座る老人達に向かって朗々と語る。
「いかがでしょうか? 彼らの感動が、目の輝きが伝わっているでしょうか?」
 老人達は無表情で感情が読めない。
「いわゆる『ひきこもり』の数はこの国に約70万人。それだけの人材が、世界が自分に開かれていないと感じ、閉じこもっている。我々は、彼らにもう一度、世界はあなたに開かれていると伝える。それがこのプロジェクトです」
「そのために、現実と仮想世界を混同するまで、半年以上ずっと仮想現実漬けにするっていうの。まるで一昔前のSF小説ね」
「目的は混同ではなく、現実の再発見です」
「大丈夫なのかね」
「もちろん。健康上の問題はなく、本人及び保護者の了解は得てます」
「そうじゃなくて。これ、薬物も使ってるだろう。記憶も多少改ざんしているな」
「ご心配なく。アスリートがやるような筋肉強化や暗示程度です。『現実』が覚めないよう」
 そのとき、会議室の扉が勢いよく開いた。そして、ぞれぞろとラフな格好の若者達が入ってきた。手にはバットや木刀。
 そしてまず入口近くにいた老人がバットで殴られて倒れる。会議室に悲鳴と怒号が響いた。
 男の前にもバットを肩にかついだ少年が立った。男は笑みを浮かべた。
 「警備員はどうした? 全く、恐れを知らない子供達だ。素晴らしい。しかし、これは悪手」
 後ろから振り下ろしたバットにより男は前のめりに倒れる。
「おい、まだ喋ってたぞ」
「ごめん。俺、こういうの最後まで聞かない系」
「バカ。なんか、イベント始まりそうだったのに……」
 少年は頬についた液体を手で拭った。手の甲にべったりと男の血がついた。
「おぉ……これ」
「「マジ、リアル〜」」


#6

廃校と少女と、午後の音楽

 とくに何もすることのない午後、僕は真っ白なCDから流れる音楽を日が暮れるまで聴く。
 真っ白なCDは、広い体育館の中にディスク剥き出しのままで無数に積みあがっており、どれも題名や音楽家の名前は書かれていない。
 体育館は、廃校になった学校の校舎とセットになっているものをゼロ円で買った。
 周辺に誰も住んでいないから不動産としての価値が低く、無数にあるCDという廃棄物の処理に困ってゼロ円という価格になったようだ。

 学校を買ってから三年後、校内を歩いていると、廊下に髪がボサボサの少女が立っていて、幽霊が出たかと思った。
 気を取り直して少女に話を聞くと、彼女は理科室に棲んでいるのだという。
「いい感じの広い机がベッドになるから」
「この学校は僕が買った不動産だから、悪いけど、出て行ってくれないかな」
「いくらで買ったの?」
「ゼロ円だけど」
「じゃあ一円あげるから学校売ってよ」
 まあ、タダで手に入れた学校だから、幽霊のようなものが付いていても仕方ないかと思って、僕は少女が理科室に棲むのを仕方なく承諾した。

 髪がボサボサの少女とは、学校の中で三日に一回ぐらい顔を合わせるのだが、いつも素っ気なく挨拶をするだけだ。
 家庭科室で料理を作っていると、たまに髪がボサボサの少女がやってきて物欲しそうにしているので、料理を分けてやることがある。
 でも、料理をガツガツ食べたあとそのまま床で眠ってしまうので、まるで動物みたいなやつだなと僕は思った。

 そんなふうに、僕は髪がボサボサの少女とたまに交流したりしていたが、基本的には何もすることがないので、体育館にある真っ白なCDを毎日聴きつづけた。
 しかしあるとき、CDの山の中に文字が書かれたCDを見つけた。
「ボサノバ イパネマの娘」
 言葉の意味は「の娘」しか分からなかったが、文字の書かれたCDを初めて見つけたことに興奮した僕は、放送室まで走り、息を切らしながらプレーヤーにCDを差し込んだ。

「と・えんぎぇーな・いえーがらーぶり・だ・ぎゃーふろーいーぱねーま・ごすうぉーきん」

 放送室の窓から外を見ると、髪がボサボサの少女が校庭で変な踊りをしている。
 普段は放送室の中だけでCDを聴いていたのだが、なぜかスイッチが全校放送モードに切り替わっていた。
 ときおり歌に合わせて、「あーい!」と声を上げながら踊り続ける少女。
 そんな馬鹿げた風景を、僕は日が暮れるまで眺めていた。


#7

焚火

 谷間に正面から朝日が差し込み、厚い残雪に木立の長い縞模様が現れた。巨大な影絵の中でやっさんが僕を呼ぶ。硬い雪面は長靴で簡単に歩けるが、油断すると落とし穴のように踏み抜いて腰まで沈んだ。倒木が隠れてたな、とやっさんは笑った。
「坊主、これは何に見える」
 背が低い木の二股に、器型の小枝細工が乗っていた。均整の取れた小さなお椀のようで、昔見た土産屋の民芸品を思った。そんなわけはないが。
「何かの巣」
 メジロの巣だ、とやっさんは言った。彼は無駄なことをたくさん教えてくれる。得体の知れない隣人だと嫌がる母より、僕はやっさんといる方がまだ気が楽だった。
「そろそろ戻ってくる時期だな。この巣も使い回されるかもしれん」
 僕は巣に産みつけられる卵や雛を適当に想像した。親鳥は飛び回って餌を探すのだろう。頭上は葉が茂るはずの空間を持て余した枝たちが様々な伸び方で空を這っている。
「その前に山火事にでもなったら、どうしようもないけど」
 皮肉っぽく言ってみた。やっさんは顎髭を二、三撫でてから、
「俺は現場監督やってな、山一つ消したことがあるぜ」と返した。面食らった僕は言葉を掴み損ねた。
「そういう理不尽もある」
 やっさんは斜面際の大木に近づく。燻んだ白っぽい樹皮が所々捲れかけている。それを引っ張ると幹を回るように大きく剥がれ、下からは真新しいオレンジ色の肌が出てきた。
「マカバの皮は扱いやすいのよ」
 僕はやっさんの指示で枯れ枝を探し、複雑に枝分かれした大枝を雪から掘り出した。二人で枝軸を折って立て、剥ぎ取ったマカバの樹皮で周りを緩く包み、残りの枝を組み上げる。ちょっとしたやぐらだ。
 やっさんはライターと、僕が預けていた学校からの処分通知をポーチから出した。慣れた手つきで着火し、紙をやぐらの下に潜り込ませる。数秒と経たずに樹皮から火が出始め、火は静かに大きくなり、渦巻いて空に昇った。見上げた先で立木の生枝が熱に歪んだ。
「すぐに落ち着くさ」
 やっさんの言う通り、炎はじきに僕の背より小さくなった。煙が酷くなり、風下にいても苦しくてしゃがんだ。米粒大の黒い虫が雪の上を必死に逃げていた。
 さっきの落とし穴の感覚が襲ってきた。
「やっさんが消した山って、どうなったの」
 僕は聞いた。
 火を見つめ、またしばらく顎髭を撫でた後、やっさんはポケットの菓子袋を引っ張りながら、
「でかいニュータウンだ。子供が多いらしい」と答えた。


#8

からすのめがねやさん

 荷台から視力検査器を下ろし、ランドルト環から五メートルの位置に白線を引き、車のまわりに「めがね」の幟を立てれば準備はもう終わりだった。ラジカセから流れる音楽に集落の誰ひとり反応する気配はなく、樹上から様子を窺っていたカラスだけが車のすぐ近くへ着地した。たとえ鳥の一羽であっても誰も近寄らないよりは良いだろうと、順太は菓子パンをちぎって放り投げた。残りのパンを朝食とする。
 商売っ気を出さずに鳥と遊んでいれば、警戒心を解いた誰かが車を訪れるかもしれない。そのときには時間をかけて説明する。長年勤めた眼鏡店をやめて開業し、山あいの集落を車でまわり視力検査をしていること。必要があれば眼鏡を作り、あとで届けに来ること。代金は後払いで構わないこと、などを丁寧に伝える。こんなにのんびりと仕事する行商の眼鏡屋はきっと自分くらいだろう、でも、気長に構えるしかないと順太は考えている。鳥の餌付けのように何かを撒いて客を呼び寄せることはできない。呼び寄せたところで眼鏡が飛ぶように売れるはずもない。昼を過ぎてもなお、車に近寄るのはカラスだけだった。朝一番に菓子パンを投げたきり餌はやっていない。それとも欲しいのは眼鏡か。高所から獲物を見つけ出せる、視力が良いはずのカラスに眼鏡が必要だろうか。必要だとしても商品を渡すわけにはいかないから、追加の菓子パンをちぎって放り投げ、残りをおやつとする。
 幟から長い影が伸びる頃にようやく、ひとりの老人が「よお」と言って来訪した。荷台に腰かけて本を読んでいた順太は立ち上がって会釈する。車から何歩か離れた隙をついて、樹上から舞い下りたカラスが素早く荷台へ飛び込む。羽音に気付いて順太が振り返ったときには、眼鏡フレームをくわえたカラスがすでに飛び立っていた。しばらく口をあけて空を見上げていた順太と老人は、やがて顔を見合わせると溜息をつきながら静かに笑い合った。少し離れた電柱のてっぺんに、木の枝やハンガーで編まれた巣があるようだった。眼鏡フレームを編み込んでさらに補強された巣で、かわいい七つの子が育つのなら悪くはない話だ。あきらめた順太と老人は荷台へ腰かけて話し始める。たとえば車を真っ黒に塗ってカラスの眼鏡屋さんと名乗り、人間の目にも良い眼鏡だけどカラスの生活にも少し役立つと宣伝する、そんな商売の方法はどうでしょうか、売れないだろうな、と二人は日が暮れるまで話し続けた。


#9

アイ アム インフォメーション

 美術館でなぜ? というような場所にその女は座っていた。美術館で座っている女はだいたいは学芸員なのだが、その女が学芸員かどうか判断に迷ったのは、女が座っている場所が廊下だからだった。常設展と特別展を結ぶその廊下は片側は大きな一枚ガラスで、その向こうには錨を模したモニュメントがどっしりと、なんてことはなく、ただの芝生だった。芝生はところどころ荒らされていて、なぜならば芝生は立ち入り自由で、家族はそこでピクニックをするし、子供たちはそこで鬼ごっこをするからだった。女は廊下の壁側に座って芝生を見ていた。椅子は女の右隣に三脚、左に二脚あり、そのことから椅子が女のためにあつらえたものではないとはわかった。私が実際女の姿を認めたのは、椅子を通り過ぎて特別展の入り口に入る直前だった。振り返ろうかという意識だけが頭の後ろで展開され、私は頭の後ろのほうで女がいる光景を想像した。美術館にいるとたまにそのような、自分も表現者になったような気になることがあり、「女のいる風景」などと題した自分の心象を楽しんでいたが特別展の入り口すぐの5メートル四方の「赤い神」と題された赤い神の絵に圧倒されて女の姿は吹き飛んだ。「赤い神」のほかにも土竜が舌を出して地面からうねりながら出てくるのを、永遠に固まらないような粘土で表現した彫像など、わからないけどなんかすごい絵や彫刻に圧倒されて気が付いたらEXITと書いてある扉の前にいた。
 私は目を閉じて息を吸い吐いた。このまま美術館を出たら自分は今日一日を有意義に過ごしたと言える、そういう確信があった。ただもう少し自分はそこに何かを加えたかった。そういえば、などとごまかしながら実のところ私は廊下の女がとても気になっていた。表現そのものでしかないような展示が並ぶ特別展示室を遡行するのはためらわれたが、どこからその動機が来るのかわからないまま私は廊下まで早足で戻っていった。
 はたして女はそこにいた。そしてその横には男がいた。二人は笑って広場を指さして、そこにはその二人のものと思われる子供がいた。私は自分の描いた心象が揺さぶられる体験を現在進行形でしていた。それはぐらぐらいう怒りというよりは、車の中で変な恰好で眠ったときに生じる足のしびれのような感覚だった。私は女の笑顔が自分の好みであることだけを確認し、踵を返し赤い神に対峙した。今度はもう負ける気はしなかった。


編集: 短編