第246期 #9

アイ アム インフォメーション

 美術館でなぜ? というような場所にその女は座っていた。美術館で座っている女はだいたいは学芸員なのだが、その女が学芸員かどうか判断に迷ったのは、女が座っている場所が廊下だからだった。常設展と特別展を結ぶその廊下は片側は大きな一枚ガラスで、その向こうには錨を模したモニュメントがどっしりと、なんてことはなく、ただの芝生だった。芝生はところどころ荒らされていて、なぜならば芝生は立ち入り自由で、家族はそこでピクニックをするし、子供たちはそこで鬼ごっこをするからだった。女は廊下の壁側に座って芝生を見ていた。椅子は女の右隣に三脚、左に二脚あり、そのことから椅子が女のためにあつらえたものではないとはわかった。私が実際女の姿を認めたのは、椅子を通り過ぎて特別展の入り口に入る直前だった。振り返ろうかという意識だけが頭の後ろで展開され、私は頭の後ろのほうで女がいる光景を想像した。美術館にいるとたまにそのような、自分も表現者になったような気になることがあり、「女のいる風景」などと題した自分の心象を楽しんでいたが特別展の入り口すぐの5メートル四方の「赤い神」と題された赤い神の絵に圧倒されて女の姿は吹き飛んだ。「赤い神」のほかにも土竜が舌を出して地面からうねりながら出てくるのを、永遠に固まらないような粘土で表現した彫像など、わからないけどなんかすごい絵や彫刻に圧倒されて気が付いたらEXITと書いてある扉の前にいた。
 私は目を閉じて息を吸い吐いた。このまま美術館を出たら自分は今日一日を有意義に過ごしたと言える、そういう確信があった。ただもう少し自分はそこに何かを加えたかった。そういえば、などとごまかしながら実のところ私は廊下の女がとても気になっていた。表現そのものでしかないような展示が並ぶ特別展示室を遡行するのはためらわれたが、どこからその動機が来るのかわからないまま私は廊下まで早足で戻っていった。
 はたして女はそこにいた。そしてその横には男がいた。二人は笑って広場を指さして、そこにはその二人のものと思われる子供がいた。私は自分の描いた心象が揺さぶられる体験を現在進行形でしていた。それはぐらぐらいう怒りというよりは、車の中で変な恰好で眠ったときに生じる足のしびれのような感覚だった。私は女の笑顔が自分の好みであることだけを確認し、踵を返し赤い神に対峙した。今度はもう負ける気はしなかった。



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