第246期 #7

焚火

 谷間に正面から朝日が差し込み、厚い残雪に木立の長い縞模様が現れた。巨大な影絵の中でやっさんが僕を呼ぶ。硬い雪面は長靴で簡単に歩けるが、油断すると落とし穴のように踏み抜いて腰まで沈んだ。倒木が隠れてたな、とやっさんは笑った。
「坊主、これは何に見える」
 背が低い木の二股に、器型の小枝細工が乗っていた。均整の取れた小さなお椀のようで、昔見た土産屋の民芸品を思った。そんなわけはないが。
「何かの巣」
 メジロの巣だ、とやっさんは言った。彼は無駄なことをたくさん教えてくれる。得体の知れない隣人だと嫌がる母より、僕はやっさんといる方がまだ気が楽だった。
「そろそろ戻ってくる時期だな。この巣も使い回されるかもしれん」
 僕は巣に産みつけられる卵や雛を適当に想像した。親鳥は飛び回って餌を探すのだろう。頭上は葉が茂るはずの空間を持て余した枝たちが様々な伸び方で空を這っている。
「その前に山火事にでもなったら、どうしようもないけど」
 皮肉っぽく言ってみた。やっさんは顎髭を二、三撫でてから、
「俺は現場監督やってな、山一つ消したことがあるぜ」と返した。面食らった僕は言葉を掴み損ねた。
「そういう理不尽もある」
 やっさんは斜面際の大木に近づく。燻んだ白っぽい樹皮が所々捲れかけている。それを引っ張ると幹を回るように大きく剥がれ、下からは真新しいオレンジ色の肌が出てきた。
「マカバの皮は扱いやすいのよ」
 僕はやっさんの指示で枯れ枝を探し、複雑に枝分かれした大枝を雪から掘り出した。二人で枝軸を折って立て、剥ぎ取ったマカバの樹皮で周りを緩く包み、残りの枝を組み上げる。ちょっとしたやぐらだ。
 やっさんはライターと、僕が預けていた学校からの処分通知をポーチから出した。慣れた手つきで着火し、紙をやぐらの下に潜り込ませる。数秒と経たずに樹皮から火が出始め、火は静かに大きくなり、渦巻いて空に昇った。見上げた先で立木の生枝が熱に歪んだ。
「すぐに落ち着くさ」
 やっさんの言う通り、炎はじきに僕の背より小さくなった。煙が酷くなり、風下にいても苦しくてしゃがんだ。米粒大の黒い虫が雪の上を必死に逃げていた。
 さっきの落とし穴の感覚が襲ってきた。
「やっさんが消した山って、どうなったの」
 僕は聞いた。
 火を見つめ、またしばらく顎髭を撫でた後、やっさんはポケットの菓子袋を引っ張りながら、
「でかいニュータウンだ。子供が多いらしい」と答えた。



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