第243期 #8

マイナンバーの功罪

 マイナンバーによる呪殺が初めて起きたのは、2030年のことだ。
 起こるべくして起きたと有識者は語り、国民は憤った。第三次呪術ブームに各宗教団体の設立した呪術高等専門学校卒業生は全国に約8万人。国民の呪術に対する興味と知識レベルは高かった。
 本来、個体認識呪術は効果が薄い呪術だ。低い呪力に対して広すぎる認識能力が、対象を分散させオーバーヘッドを生み、効果を薄めてしまう。最も有名なのが1987年に起きた佐藤太郎呪殺未遂事件である。個人的な怨恨に端を発する大がかりな術式は、結局全国の佐藤太郎の0.1%に風邪をひかせるに留まった。
 マイナンバーがその常識を変えた。
 陰陽丁主導で行った政府の対策はどれもが失敗した。
 例を挙げる。
 個人番号の対象をペットまで適用する制度。呪力は半分に減衰するが、動物好きは制度を使わず、動物嫌いはペットを飼わなかった。動物愛護団体から袋叩きにあい中断。
 マイナンバーのワンタイム化。一定時間でランダムかつユニークな番号に変え、使用者はカードで認証を行い番号を使用する。根本的なシステム改修プロジェクトが始まり莫大な予算が計上されたが、結局はカード中の認証情報により呪術が可能と一部のハッカーによって実証され、中断。
 マイナンバーによる呪殺事件は多くはなかったが、諦観と不安が国中を包み、数十年の間に政権与党は3回変わった。
 光明は、呪術と科学の相互発展によりもたらされた。
 群体化技術の実用化である。脳からコピーした電気信号および神経伝達物質のパターンを記憶したナノマシン同士が密に呪術的通信を行うことで意識を生成する。それにマイナンバーが核となって、7兆個のナノマシンが一人の人間となる。これが群体化人類である。呪術とは、言わば意味や観念を通して効果を及ぼす体系であり、呪術的通信は距離を無視する。仮に日本全体にナノマシンが散らばったとしても意識は存在できる。この偏在する個人が、個体認識呪力を7兆個に分散させ、効果をほぼゼロにまですることに成功した。
 2090年、全国民の群体化を日本が決断。マイナンバー誕生より75年で、人類は個体認識呪術を乗り越え、次のステージに立ったのである。

 そう言った直後にチャイムが鳴った。これで講義を終わる、と言う前に講義室の気配がばらばらと散らばったかと思うときれいに霧散した。私も先に帰宅した半身に追いつくために窓から飛び出した。



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