第242期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 上海ホテル 蘇泉 558
2 コールドスリープ Dewdrop 812
3 記憶の向こう側 たなかなつみ 1000
4 セメゲィ テックスロー 997
5 離魂丸 志菩龍彦 999
6 一時的リカバリーモード (あ) 1000
7 薄明 霧野楢人 1000
8 絶望六人組 euReka 1000
9 すたんばい Y.田中 崖 1000
10 類友 わがまま娘 996
11 さて、醤油麹でも漬けるか。 吟硝子 500
12 九九連続殺人事件の解決 朝飯抜太郎 1000

#1

上海ホテル

出張で上海に行って、由緒のあるホテルに泊まっていた。そのホテルは戦前からあった建物であり、歴史的なものが好きだからそこを選んだ。チェックインして、ホテルのカフェで一服。その時、大学の後輩のR君と会った。
R君と会うのは卒業以来で、本当に嬉しかった。話を聞いたら、彼は上海の不動産会社に勤めていて、今日は用事でこのホテルに来ているそうだ。これからまた仕事があるみたいで、コーヒー1杯を飲んで帰ることになる。貴重な時間であるため、大学の話とかで盛り上がった。
そしてR君は急に、「このホテル、結構歴史がありますよ」と言い出した。
「そうみたいね。」俺は言った。
R君は、「戦前のとき有名人が泊まったりして、いろんな事件の現場だそうですよ。噂で幽霊が出るみたいです。」と言った。
「へーそれは面白い。」俺は逆に興味があった。
「僕は不動産やっているから、そういう情報たまに入るんですよ」とR君が自慢げに喋っている。
コーヒー飲み終わって、R君は帰った。俺は部屋に戻り、プレゼンの準備をした。

出張は無事に終わり、北京に帰った。半月後、大学の同期で友達のA君と食事をすることになった。その時、上海でR君と会ったという話をしたら、A君は、「え、R君って、半年前海外出張して事故に遭って、亡くなっているよ。知らなかったの?」と驚愕した顔をした。


#2

コールドスリープ

 彼は、いわゆる億万長者のひとりであった。
 しかし過労と加齢のために深刻な病に陥り、彼の万能感は大いに動揺させられていた。健康は富に勝る、などという言葉に、彼のプライドも大いに痛めつけられていた。
 が、それでも彼が諦めることは無かった。
 庶民では到底支払いようのない大金を支払って、コールドスリープをすることに決めたのである。
 これによって彼は、病に勝利できる希望を得た。彼が次に目を覚ます時には、頑張った人類がさまざまな問題を解決してくれているはずである。目下死ぬ以外に闘いを終える方法が無い難病の治療法が発明され、容姿が悪くて泣く者のために遺伝子の治療法が発明され、ものぐさな学生や大人のために知識を脳にインストールする方法が発明され、誰もがお手軽に月旅行に行く方法も発明され……人類の進歩があの問題もこの問題も解決した、そんな夢を抱えながら、所有する豪邸の特別室で、彼は百年の眠りについた。

           *           *

「お目覚めですか、旦那様」
 ひとりの男性と目が合った。
「私は、旦那様がよくご存じのセバスチャンのひ孫です。曾祖父の遺言で、この場に付き添わせていただくよう命じられております」
 彼はその男性を観察しながらつぶやいた。
「……ああ、確かに面影がある。そうか、とうとう……二一二二年になったか」
「はい旦那様」
 と、彼は笑顔を作って間も無く、その表情を不安そうなものに変えた。
「おお、セバスチャンの子孫よ……」
「どうかなさいましたか?」
 彼は横たわったままゆっくりと手を動かして、彼自身の目を覆った。
「本当に今は、二一二二年なのかね」
「ええ旦那様。間違いなく、二一二二年一〇月一七日でございます」
「私は人類を……人類が進歩する力を買いかぶっていたようだ。いったい、人類はあとどれだけすれば」
 彼は呆れたように続けた。  
「人類はあとどれだけすれば、チャックの閉め忘れを根絶できるのか」

(了)


#3

記憶の向こう側

 かれとは中学校で出会った。親しくはなかった。言葉を交わしたのも数えるほど。
 けれども、かれの印象は強い。
 何度も隣の席になった。席はくじ引きだったが、クラス内政治に疎かった自分が隣にされていたことは、友人ができた三年生になってから知った。壁際のいちばん後ろがかれ。その隣がわたし。
 かれはよく教室を出て行く。授業中でも上の学年の人たちと廊下で騒いでいた。かれのまとう煙草の匂いは自分の席まで漂う。校舎の窓が夜のうちに割られていた当時、かれは「不良」だった。
 授業中にかれが席にいるときは睡眠中。あるいは、彫刻刀で机の上を彫っていた。教師に注意されても知らんぷりで、かれは机上を彫るのに忙しかった。
 尋ねることはしなかったが、何しろ隣の席だ。何を彫っているのかずっと気になっていた。実際、かれのいない隙に何度かその机の上を見た。
 誰かわからない女の子の名前。そして「LOVE」という文字と歪なハートマーク。やがてその恋文には彫刻刀で何度も線が引かれ、かれの恋心を削り取り消し去った。
 それが本当にかれの恋心を示していたかは知らない。けれども、掃除後の空っぽの教室で、その机の上に目をやり何気なく触れたのを、なぜだか教室に戻ってきたかれに目撃された。
 かれは目を見開いてわたしを見た。そして、わたしが触れている机の上に目をやり、幼げな顔で笑った。
 「おれら今から遊びに行くけど、あんたも来る?」
 わたしは迷うことなく断った。「おれら」って誰とか、どこへ行くかとか、尋ねることすらしなかった。
 かれは、ばいばい、と笑って手を振り、わたしに背を向けた。
 その後も何度か隣の席になり、時折声をかけられた。かれはいつも笑っていた。
 卒業式の日、親しい友人のいなかったわたしは、ひとり校門へと足を向けた。
 そのとき、わたしの名前を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。
 振り返ると、かれがいつもの笑顔で立っていた。
 「おれら今から遊びに行くけど、あんたも来る?」
 わたしは迷うことなく断った。
 かれは、ばいばい、と笑顔で手を振り、わたしを見送った。
 翌日、新聞でかれの死亡記事を見た。ノーヘルで先輩の原付の後部座席に乗り、事故に遭った。
 今でも思い出すことがある。もしもあのとき、「行く」と返事していれば。
 かれの笑顔は今でも鮮明だ。わたしの名前を呼ぶ声も。
 (おれら今遊んでるけど、あんたも来る?)
 そして、わたしは。


#4

セメゲィ

 デジタルデトックスだーと言って全然知らない田舎にでかけた。一人は怖いから友達とでかけた。行く前に言葉禁止の約束をしていた。そしてその約束を守った。車で行った。どこに行くかは決めていなかったけど、交通ルールは守った。田舎に入るとこれがおそらく最後の信号なんだろうな、というところで赤信号を無視して、それを合図に私たちは鳥になった虫になった獣になった。車を運転しているのが怖くなって足で踏んでるそれがどんどん自分たちを前に押し進める役目を果たしていると気付いては忘れて手を叩いて笑っては握っていた円いそれをグルグル回転させて自分たちもぐるぐる回った。そうして車から投げ出されて草原の上にいた。奇跡的に助かって、奇跡的に草原の上にいて、奇跡的に空が青くて、そよ風が吹いていて、そんなときにはデジタルは私からそよそよ流れて行った。正直デジタルデトックスは楽勝だった。でもこういう、風が吹いている風景は過去デジタルで見たことがあって、その時に感じた風っぽい感じが猛烈に吐き気のように言葉になって私からあふれそうになった。それも飛び切り陳腐な奴が出てきそうになって、口を抑えるその行為自体がもう言葉に支配されていて泣きそうになった。隣を見ると友達は上半身裸で右乳房の下を一心不乱に搔いていた。彼女が乳を掻くたびにその乳首がぴくんぴくんと跳ねて動いていて、その姿が今だから言えるけれどとても尊かった、かわいかった。乳房丸かった。私は空っぽのまま彼女が乳房を掻くのを見ていた。何とかその尊さを伝えたいと私も上半身裸になったけどこの距離がこの距離がこの距離が近づかない近づかないので言葉がやっぱりほしい届きたい。彼女は私を見た。私は口をぱくぱくさせていた。彼女は何も私に伝えない。私は彼女に何かを伝えたい。そうっと彼女の肩に手を置いた。なんにも作為は、なかったと思う。その間にも彼女はまるでギタリストのように乳房を掻いて、いや、世界中のギタリストは彼女が乳房を掻くようにギターを弾いた。音楽はそこからすべてが出てくる。うおおおおおおおお、彼女尊い彼女尊いけど、もう言葉なんかに頼らないとどうにもならないので、せめて私はこういう感情を表現する言葉を発明してぶつける必要があると思った。それがせめて彼女に対する礼儀だと思った。
「セメゲィ」
 私は言った。彼女は乳房を掻く手を一瞬止めた。そんな気がした。


#5

離魂丸

 仕事を終えた大工の五助が、長屋へと帰ってきた。
「お清、土産に鰻を買ってきたぞ……」
 五助の言葉は尻すぼみに消えていった。
 狭い部屋の中に、女房のお清の姿がない。
 またか、と五助は溜息一つ。ムカムカと腹も立ってくる。
 ここ最近の女房はどうもオカシイ。否、アヤシイ。
 さり気なく訊いてみても、「買い物」「女房連中と世間話」との素っ気ない答え。
 しかし、勘の悪い五助でも流石に気づく。手前味噌だが、町内一の別嬪と噂されているお清のことだ。こいつは浮気に違いない。
 ただし、証拠がないでは話にならぬ。怒鳴って問い質したところで、尻尾を出す甘いアマではない。
 こっそり浮気の現場でも覗ければ――
 如何したものかと腕組みしていると、背後より、
「おや、お内儀かと思いきや、五助さんかい」
 やや残念そうな口振り。振り向くと、馴染みの薬屋が戸口に立っていた。
「お清は留守だよ。いや待て、お前さん何か知らねえか?」
 突然尋ねられ、要領を得ない薬屋は「はあ?」と間抜け顔。
 五助は、ことの経緯を語って聞かせた。
 事情を飲み込んだ薬屋、ポンと手を打ち、
「覗き見するなら、面白い薬がございますぜ」
 そう言って差し出したるは、赤と白の二種の丸薬。
「赤いのは離魂丸。飲むと魂が抜け出る薬。白いのは復魂丸で、魂が身体に戻りやす」
 五助は「馬鹿にするな」と叱ろうとするも、渡りに船と思い直し、飲んでみる気になった。
「ちゃんと白い丸薬をお飲みなさいよ。そうしないと死んじまうからね」
 薬屋の念押しを聞き流しながら、五助はゴクリと赤い丸薬を飲み込んだ。
 すると不思議、確かにスルリと魂が身体から抜け出た。
 こいつはしめたと、五助は空に浮かんでお清を探す。
 お清の姿はすぐに見つかった。案の定、お清は若い男と密会の最中。身体を預けるその仕草、その表情。これで浮気の証拠は掴んだ。
 さあ、戻ってとっちめてやると意気込む五助。しかし、長屋に帰り、はたと気づいた。
 身体に戻るには白い丸薬を飲まねばならない。だが、魂のままでは薬に触ることもままならぬ。
 慌てて薬屋にそのことを告げようとするが、いくら叫んでも声は届かない。
 五助の身体を見下ろしていた薬屋は、ふいに「へへへ」と笑い、
「それじゃ、あっしはこれで。お代は結構。もう頂いておりますんで」
 ぺこりと頭を下げて、出て行った。去り際、呟くように、
「効果は覿面。これで離婚とあいなる訳でさ」


#6

一時的リカバリーモード

 地方都市と地方都市を結ぶ特急列車はガラガラだ。この車両には僕と若い女の人しか乗っていない。新卒で入社した会社を一年で辞め、僕は無目的で旅をしていた。次の停車駅はO駅。まだかなりかかる。
「ちょっといいですか」
 突然、前のほうに座っていた女の人が僕の横に来て話しかけてきた。
「手伝ってほしいのですが、今日この後予定ありますか」
 人を暇人扱いするなよと思ったが、彼女に対しては少しだけ興味があった。列車に乗り込む前、駅のスタバでも見かけていたから。列車も車両も偶然同じだった。
「O駅で降りて、一緒に、ええと、病院にお見舞いに行くので付き合ってほしいです。二時間ぐらい」
 何が何だか分からない。ただ僕には時間がたっぷりあった。

「私、ルート営業の仕事をしています」
 彼女は言う。
「今日訪問する予定だったお客様、急に入院しちゃって。ここは田舎で、女性はアシスタントという偏見があるので、病院で私の上司のふりをしてほしいです」
 とりあえず曖昧に返事した。
「お客様にも伝えておくので大丈夫です。仕事は、ええと、ITの仕事なんです」
 ITは僕の専門だ。何のITなのか尋ねた。
「ITはITです。細かいことは大丈夫です。犯罪でも宗教でもないので安心してください」
 彼女は僕のほうを見ながら息を吐いて、それから少しだけ細かいことを教えてくれた。まず、お客様は関という名字だそうだ。

 病室で関さんを見て、彼女は絶句していた。小さな会社を経営している関さんは、それほど歳をとっているようには見えないけれど、ベッドから起き上がれない状態だった。
「わざわざ来てくれてありがとう」
 関さんは言う。
「課長さんも」
 僕は課長になっていた。
「病気に何としても勝つつもりでいるけど、でも正直どうなるかわからないから。最後にあいさつしておこうと思って」
 関さんは彼女の手に触れた。二人は手をしっかりと握った。しばらく無言だった。
「今までありがとう」
 関さんがやがてそう言うと、彼女も同じように返事をした。関さんは体をねじって手を伸ばし、引き出しを開け、何かを探し始める。
「十分です、関さん、もう十分いただいてます」
 彼女は関さんを止めに入る。僕は何もすることができないでいた。

 この件の後、僕と彼女は時々連絡しあうようになった。数か月たって、関さんが退院したという知らせを彼女からもらった。僕も次の会社が決まった。全然課長待遇ではないけれど。


#7

薄明

 妻の寝息だけが聞こえた。隣からだ。半身を起こし目覚めた理由を考えたが、漠然とした不安が身体を蝕んでいくようで堪らず、喉が渇いた、ということにした。
 初めて盗みを働く空き巣のような慎重さでベッドを抜け出した。私の意思ではないが、目が覚めたことを後悔していた。仕事に摩耗した心身を癒すものはほとんど睡眠だけだった。惚れ込んだ妻の寝顔を見れば疲れも吹き飛ぶ、というのも、長期にわたれば流石に気休めでしかない。何時間眠れたのだろう。あと何時間眠れるのだろう。
 忍び足で居間に向かった。廊下は仄かに明るく、胃のあたりがズシリと重くなる。寝起きの逆説的な浮遊感だけが私を守っていた。本当にふわふわと浮き上がり、そのままどこかへ飛び去ってしまえれば良いのに。
 ドアを開けると海だった。海原のように秋草が一面を覆っていた。揮発性の枯葉の匂いが鼻を通り抜けていく。私は揺れるススキのような穂の間に分け入る。そこら中から虫の鳴き声が立ち昇っていた。繊細な無数の声が周囲に満ち満ちている。命を繋ぐ切実な合唱の波が私を呑み込んでいる。
 幻覚から我に返るのは一瞬だった。立っていたのは確かに見慣れたリビングだった。しかし虫の音はなおも世界を支配していた。私はベランダに続くガラス戸が開いていることに気がついた。
 サンダルを履きベランダに出て、さんざめく虫の音を浴びた。夜明け前だ。眼下の通勤路を新聞配達のカブが走っていく。その向こうに空き地があり、そのまま堤防、河原へと続いていく。雑草が生い茂る地帯。おそらく声の主たちはあのあたりにいる。
 空気が澄んでいるせいもあるのだろうが、音の大きさに驚いた。少なくとも、故郷でこんなに鳴いていた記憶はない。よく聞けば、鳴き声は一種類ではなかった。口笛のような音もあれば、切れかけの蛍光灯や理科で使う豆電球の光に喩えた方が相応しい、儚げな音もあった。昔習った童謡を思い出し、私は口ずさんだ。
 こうやって何もせずぼんやりと外を眺めたのは、ずいぶん久しぶりのことだ。
 誰もいないのに、ほどなく自分の歌声が恥ずかしくなった。空白地帯のような時間に、頭には妻の顔が浮かんだ。
 戸を閉めて寝室に戻った。変わらず寝息を立てている妻の顔を覗く。何も知らない無防備な寝顔に、頬が勝手に緩んだ。まだ幾ばくかは寝られるだろう。私も布団に入って目を閉じる。残響か、妻の寝息に混じり、微かに虫の音が聞こえた。


#8

絶望六人組

 何かが変わるかもしれないと思って、頭に麺を乗せてみることにした。
 茹でた麺をよく湯切りし、十分ほど冷まして頭に乗せると、麺がほんのり温かかった。
「そんな馬鹿なことをするより、僕にごはんを下さい」
 猫のピーターは、一カ月ぐらい前から言葉を喋るようになり、日に何度もごはんをくれと言ってくる。
「もぐもぐ……。一つ意見を言っておくと、もぐ……、部屋の中だけでそれやっても、きっと何も変らないよね」

 私は、ピーターの意見ももっともだなと思って、彼の頭を撫でてやったあと、麺を頭に乗せたまま外へ出てみることにした。
 数分ほど歩くと、道で何人かとすれ違ったが、特に私のことを気にする様子はなかった。
 麺の色は白いから、彼らは単に白い帽子でも被っていると思ったのかもしれない。
 だから私は麺をほぐして顔に垂れるようにして、麺の雰囲気を強調してみた。
 すると、私をチラ見する人が現れてきたが、やはりすぐに無関心な表情に戻っていく。
「ちょっとお兄さん、こっちに来て」
 気がづくと、私は繁華街まで来ていて、急に女性に腕を引っ張られて路地裏に連れて行かれた。
「街の人たちは大抵のことでは驚かないから、お兄さんが少し変なことをしても何も変わらないわ」
 まあ、そうかもしれないけど、私は一ミリでも世界を変えたかった。
「あたしも世界が変ってくれたらってよく思うけど、お兄さんの言う世界を変えるって、いったい何?」

 女性からの質問について考えていると、私はいつの間にか、どこかの部屋のソファに座っていた。
「お兄さんの姿があまりにも痛々しかったから、無理やり連れて来ちゃった」
 部屋の中には、さっきの女性の他にも何人か人がいた。
「頭に麺を乗せて世界を変えようなんて人間、俺は初めて見たぜ」
 目がギラギラで特殊な髪型をしている男性はそう言ったが、どうも苦手なタイプだなと私は思った。
「俺たちは世界を変えるために集まった、絶望六人組さ。一人死んだあとだったから、あんたを歓迎するぜ」
 部屋をよく見渡すと、窓辺に猫のピーターが鎮座していた。
「ピーターはあたしたちのリーダーで、あなたの飼い猫でもあったわね」
 私は、窓辺のピーターに詰め寄って、いったいどういうつもりなんだと問い正した。
「君は弱い人間だから、仲間が必要だと思ったんだ。世界を変えるとかどうかより、君の精神状態が心配になったんだよ。君が狂ったら、ごはんを貰えなくなるからね」


#9

すたんばい

 時刻は八時八分前。
 鏡に映る銀鼠の着流し。眉間に皺、瞼を閉じてぶつぶつと呟く。部屋には男一人。ペットボトルのお茶、背もたれのない椅子、ロッカーの隣のドアが開く。入ってきたのは栗皮の男。
「おう熊さん」
「よう八つぁん」鏡の前の熊五郎が笑いかける。「今日はまた寒いね。ところでこの前あんたがやった噺だが」
 へえと返事する八五郎の顔がやけに青白い。
「死んだ奴が何度も生き返るのかと思ったら、違うんだな。死んだら死体は転がったまんま、次の奴はそれを頼りに進む。持ってた武器を使い罠を避けて。でもよ、死体が見えるなら、そいつと死人は別人じゃねえのかい?」
「いえこれが同じってなもんで」
「同じ人間が大量にいるてえのかい」
「げえむですから」
「そういうもんかね。おいどうした、具合でも悪いのかい」
「いえ何でもありやせん」
 八時五分前。呼ばれてもいい頃だがと熊がぼやき、八が見てきやすと出ていった。時計がカチコチうるさい。

 八時三分前。
 熊は妙なことに気づいた。時間の進みが遅い。五分はとっくに回ったはずが、まだ一分も経ってない。しかし体感では予定時刻を過ぎてるものだから、いつまでたっても呼ばれないような心持になっている。
 ノック。八だ。
「おい。出番はまだかい」
「前が詰まってるみてえで」
「なんだか今日はおかしいぜ。時計が全然進まねえ」
 すると八は笑った。
「熊さん、あんたもう噺に入ってるんで?」
 噺に? 怪訝そうな熊をよそに八は出ていく。

 それから何時間、何日、いや何年の時が過ぎたか知れない。時計は八時一分前のまま秒針だけがぐるぐる回り続ける。
 ノック。時計が八時ちょうどを指し、何をしても動かなかったドアが冗談みたいに開く。血と糞尿にまみれ、死体の上で胡座をかく男に八が言う、「熊さん、本番お願いしやす」。手に握りしめるは出刃包丁。
 熊は八の喉に自分の脛骨を突き刺す。咲く彼岸花。廊下で蜂の巣にされた己の死体。間一髪で木枯しを躱す。上腕骨を投擲。呻き声。眼窩から潰れた柿を滴らせて八が崩れ落ちる。進む先に転がる腕。銀杏色の光芒が袖を焼き切る。大腿骨を振り抜く。倒れる八。
「八つぁんよう」熊は八の頭を枯れ葉みたいに踏みつける。「おめえ何人目だ? 俺は何人目だ?」
「噺が違う」
「今演ってんのは俺だからな」
 日本刀マシンガン槍ヌンチャク、四人の八が熊を取り囲む。熊は死体からびいむさあべるを奪い、ぶぉんと一閃させた。


#10

類友

「付き合って何年目ぐらいなら結婚してもいいと思う?」
「ん?」
たまたま休憩室で一緒になった同期が、コーヒーを買う俺の後ろからそう言った。
「何年付き合ってんの?」
「3年ぐらい?」
「あやふやだなぁ」
丸いハイテーブルにコーヒーを置いて、同期と向かい合う。
「で、そろそろ結婚しようかな〜って?」
問うたら「どうかな〜」とまた曖昧な返事が返ってきた。
「違うのかよ」
「どう思う?」
「いや、俺にきくなよ」

それから数日後。
あいつの上司から呼び出された。今、あの部署に関連している仕事もないし、呼び出される覚えもない。
指定された会議室に入ったら、「適当に座って」と促され、入り口に一番近い椅子に座る。
「山田のことなんだけど」と切り出され、「はぁ」と間抜けな声が出た。
「あいつ、最近何か悩んでいるとか聞いてないか?」
「そんなに仲良くないです」
「なんでもいいんだ」
「本人に聞いたんですか?」
「聞いたけど、なんでもないって言うし。でも、溜息が多すぎて、周りが迷惑していて」
「鼻詰まって、呼吸しにくいんじゃないですか?」
言って、そう言えば最近会ったとき鼻詰まっている感じではなかったな、と思い出した。
「……」
「スミマセン」
あの時、彼女との結婚がどうこう言っていたのを思い出し、「ちょっと話聞いてみますよ」と言うと、あいつの上司は「そしてくれると助かる」と言って、去って行った。

面倒くさいこと引き受けちゃったな〜と思いながら、休憩室の前を通ったら、以前プロジェクトで一緒になった後輩が泣きながら飲み物をすすっていた。
これ以上面倒なことに巻き込まれたくないと思って、サッと通り過ぎようとしたのに、なぜか後輩と目が合ってしまい、呼び止められた。
「俺、付き合って2年の彼女に、別の人と結婚するから、って言われて。僕とは始めから遊びだったみたいで、僕みたいのが5人ほどいるんですって」
「え?」

「お前の彼女、総務の佐藤さん?」
「そうだけど。なんで知ってんの?」
「なんで知っているかは置いといて、その人結婚するらしいぞ」
「俺と?」
「社外の人と」
「そうなの? なんだ、そういうことかぁ」安心したわ〜と山田はハイテーブルに突っ伏した。
「俺とは遊びだって言ってたのに、最近結婚がどうこう言うから焦ってさぁ」
はぁ?
「これで俺も遊ぶことを満喫できるわ。ありがとう、教えてくれて」
清々しい顔をして山田は去って行った。
遊ぶことって、お前もだったのか。


#11

さて、醤油麹でも漬けるか。

 仕事帰りにスーパーに立ち寄ったら、いつも買うのより五十円高い醤油が五十円引きでいつものと同じ値段になっていた。こういうときってつい元値が高い方に手が伸びちゃうよね。賢い買い物をする人なら、いつもの醤油が五十円引きになる時を狙うんだろうけど。どうせ味の違いなんて分からないし。
 せっかく醤油を買ったんだし、と百円引きのパックのお刺身にも目をやって、烏賊が入っていないなあと思う。大好きというほどでもないけど、盛り合わせには入っていてほしい。なんとなく。視線をさまよわせていると、隅に烏賊刺しだけのパックを見つけた。ああ、そういうことじゃないんだよ。心の中でぼやきながら烏賊なしの盛り合わせをカゴに。あとはお酒かな。レジへ向かおうとした足が止まる。「米こうじ」と書かれた小さな袋。まえに実家で食べた醤油麹のドレッシング、おいしかったな。いつもの和風ドレッシングの醤油を醤油麹にしてみたの。麹と醤油を瓶に入れておいたらできるわよ。そんなふうに言ってたっけ。麹もカゴに。
 帰宅して刺身を冷蔵庫に入れて、写真に挨拶。醤油麹の作り方はもう直接には聞けないけど、大丈夫。ネット検索っていう強い味方がいるから、ね。


#12

九九連続殺人事件の解決

「犯人が、分かりました」

 そして広間に50人近い関係者が全員集められる。
 探偵が口を開く。
「71人もの人間が死んだこの連続殺人事件。それを繋げ、犯人につながる糸を、やっと見つけました」
「もったいぶらずに早く言いたまえ」
 さらにためた後、探偵は言った。
「それは、九九です」
 探偵は裏にあるホワイトボードに式を書いていく。1×1、1×2……9×9。
「殷一が胃血、殷二が煮、殷三が酸……二人が死、兄さんがロック……これらは全て被害者の死の状況を指し、全てが九九の見立てなのです」
 警部は手帳を捲りながら唸った。
「殷一さんは、毒で血を吐いて死に、殷二さんは、風呂で煮られて死んだ。殷三さんは、青酸カリで……まさか、そんな」
「9人目の被害者がインクを丸呑みして死んだ所で私は見立てに気付いた。だが犯人には至れず、それからさらに62人もの被害者を出してしまった」
 探偵はそこで言葉を切り、少し目を瞑った。
「70番目の被害者の死因は、体中を蜂に刺されてのアナフィラキシーショック。この被害者は、商売に失敗、知人に騙され借金を背負い、妻に浮気された上に大嫌いだった虫に囲まれて死ぬという四重苦を味わっている……つまり、ここで『蜂死致、四重苦』の見立てが完成する。しかし、ここに犯人の失敗があった」
「ん? ふむ……そうか」
「そう。8×7は49ではない。56です。犯人は九九を間違えた。7×8、『死地は誤銃ロック』は合っていたのに。つまり、犯人は」
「8の段が苦手……」
「そう。では何故? 私はこう考えた。犯人は、まだ8の段を習っていなかったのではないか……?」
「な、まさか……!」
「つまり、犯人は」
 探偵は、ゆっくりと右手をあげ、空を彷徨わせ、やがて一人の人間を指差した。

「この中で最年少……小学2年になったばかりの亜由美ちゃん、あなただ」

 静まり返った広間に、遅れて、ぱちぱちという、小さな拍手の音が響いた。
「その通りよ。探偵さん」
 驚愕する大人たちの中、可愛い拍手の音だけが響いていた。


 当時、亜由美ちゃんはこう語っている。
「九九がどーしても憶えられなくて。ママも鬼みたいに怒るし。そんなとき何か印象的な事と一緒に覚えればいいって思いついたの。ね、いい考えだよね。でも、間違って覚えたら意味ないや。あーあ、最後の9×9で、先生を殺してやるつもりだったのに」

この事件の後、急速に「ゆとり教育」が推し進められる事となる。


編集: 短編