# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 東京文化大学 | 蘇泉 | 466 |
2 | 花見猫 | 吟硝子 | 500 |
3 | 魔法使いの末裔 | たなかなつみ | 1000 |
4 | 国内および国家間の不平等を是正する | テックスロー | 999 |
5 | 会社の一日 | 狐狸等間隔 | 131 |
6 | シゲさんは不器用 | 霧野楢人 | 1000 |
7 | あなたがくれるもの | わがまま娘 | 998 |
8 | 列を抜け出してパスタ屋に向かった、あの日。 | (あ) | 1000 |
9 | 日曜日の音楽 | euReka | 1000 |
10 | そして石になる | 朝飯抜太郎 | 1000 |
11 | 剝き身になったわたし | ウワノソラ。 | 748 |
12 | 聖域 | Y.田中 崖 | 1000 |
13 | 祝電 | 八海宵一 | 1000 |
王さんは中国人で、昔の日本留学生。結構前に日本に留学して、また中国に帰国した。
ただ王さんは日本語学校と専門学校を転々として、結局大学に行かずに、専門学校卒で中国に帰った。いわば、専門卒です。大卒ではない。
しかし専門卒は中国で認められないので、王さんは嘘をついた。日本の大卒と名乗っている。でも実際にある大学の名前を出したら、その学校の校友たちにバレるかもしれないから、架空の大学の名前を考えた、その名は「東京文化大学」。
いかにもリアルな大学の名前っぽいね。
その学歴で、王さんはある日本語塾に入社、教師として働いている。学歴は偽物ものの、日本語力においては実力者なので、だんだん昇進して、分校長になっている。
王さんは部下に「プロフィールに俺の学歴書かないで」と指示している。
そして平和な日々は続く。王さんは日本語教育に没頭している。
今年はまた新人日本語教師の募集をやっている。王さんは部下が集めた履歴書を読んでいる。そして、なんか馴染のある大学名が目に入ったみたい。王さんはよく見たら、その応募者の出身大学は、「東京文化大学」だった。
ワガハイは猫である。
カイヌシはまだない。
カイヌシはいないが、いっときよく構ってきたニンゲンならいた。
散歩途中に出くわすと、慌てて鞄を探っていた。
ワガハイはニンゲンがナマグサい魚を干したカケラをビニール袋から取り出すのを待たずにとっとと逃げた。ワガハイは魚が嫌いなのである。ようやっと離乳するかしないかの目の青い若造の時分に喉に小骨を引っ掛けて死にかけて以来、あれは食い物ではなく罠に違いないと確信しているのである。魚屋の親父が気まぐれに投げて寄越すウレノコリにがっついているそんじょそこらの猫と十把一絡げにされるのは心外である。
ワガハイは肉派なのである。
ニンゲンはなにかというとワガハイにチョッカイをかけてきた。クチビルを突き出してちちちと音をたててみたり蜻蛉でも捕まえんとするかのように指をワガハイに向けてぐるぐると廻してみせたりした。
そんなニンゲンだが、日向ぼっこのときだけは手を出さずにワガハイを見ていた。日向ぼっこしながら微睡むワガハイを見ていた。
ある時微睡からさめるとニンゲンはいなかった。
それきりニンゲンの姿を見ない。
さて、ニンゲンが育てていた花を見に行くとするか。
たくさんの音が同時に入ってくるから、耳のなかはいつもうるさい。それぞれの音を分解して聞くこともできるけど、大概はそのまま同時に聞いている。人の声。風の音。機械の音。虫の声。それから?
人には聞こえないはずの音まで聞こえていると、聴音検査で診断されたのはずっと前。その後はさらなる検査に次ぐ検査が続き、貴重な研究対象とされ、珍種の超能力者扱いをされた。騒がれまくった挙げ句に怒り狂った親は、この子はただのニンゲンです、という、当事者の自分さえもが、もしかしたら本当にニンゲンではないのでは、と疑いをもってしまうような言葉を残し、自分を連れて行方をくらませた。
実際のところは引っ越しをしただけだ。そして、美容師である親の手で、完全に外見を変えられた。髪型を、髪の色を、眉毛の形を、身につける衣装を、そして名前を変える。それだけで多くの人は騙されてくれた。実に呆気なく。
もしや親は本当は魔法使いで、ニンゲンではないのでは。そして自分は魔法使いの末裔で、やはりニンゲンではないのでは。
混乱するたびに屋根にのぼり、人には聞こえないはずの音を聞く。
天上からはずっと小さな音が降り注いでいる。大気のなかの粒子が震える音もあるけど、それだけでは説明しきれない音が鳴っているのが聞こえる。
音と会話をするのは簡単だ。舌先を小さく動かすだけで、音は変化する。動きに反応する周囲の環境音もあるけど、それだけではない。
天上からはいつも小さな音が降り注ぎくる。
もしや天国は本当に存在するのでは。はたまた宇宙人? などとロマンチックなことを考えたりもするが、頭部に電極をつけ聞こえている音を解析され続ける見世物にはもう絶対にされたくないので、そんなことは絶対に口にしない。
ニンゲンのさらなる理解のためだとか、科学のさらなる発展のためだとか、ギフトは社会に還元すべきだとか、たぶんそれらはみなタダシイ言葉だろうけど。
ただのニンゲンとして暮らせる環境をととのえてくれたのは、魔法使いの親だけだ。
おとなになるまでにこの能力を最大限にコントロールできるようにして、跡を継ぐよ。そう告げると、親は鋏を点検しながら、そんなことはいいから、好きなように生きなさい、と言う。
それで、天上から降り続ける音に合わせ、指先をほんのわずかだけ動かしてみる。
音が変わる。
いま、ほんのわずかだけ、わたしは世界を救った。
たぶんね。
ついに桃太郎達は鬼をやっつけた。厳しい戦いで出まくったアドレナリンで興奮した彼らは、鬼が隠していた金銀財宝を見て目を丸くした。それを四分の一ずつ山分けにしようと雉が提案した。犬はわれわれの主人である桃太郎が7、犬猿雉が1ずつが妥当だろうと言った。猿は自分はより桃太郎に遺伝的に近いため、桃太郎5、猿3、犬雉が1ずつだと言い張った。桃太郎は俺はゼロでいいよと言った。犬猿雉は耳を疑った。
猿がすかさず「じゃあ私が6で、犬雉が2ずつで…」と言いかけたところで「君らもこれ、ほんとにいるの?」と桃太郎がかぶせた。「別に置いていってもいいかな、これ」と言った。猿は牙を剥きながらわれわれは何のために戦ったのかと反論したが、桃太郎は「じゃあ猿は何のために戦ったの?」と逆に問い返した。「お金?」と単刀直入に聞いた。猿はとっさに犬雉を見たが、彼らの目から何か読み取るのは難しく、しかし何も答えないのはだめだと考え「はい」とうわずった声で答えた。
「そうか」と桃太郎は特にがっかりした様子もなく、犬雉に「君たちは?」と問うた。犬はもとよりここまでやってこられたのは桃太郎のおかげであり、桃太郎が金銀財宝を置いていくならそれに従うと言った。雉は金には多少未練があると正直に告げた。金銀財宝は少しあてにしていて、それで派手な生活をしたいと考えていたと。ただ、今回の鬼退治で自分は成功体験を得たし、そういった生活は自分で勝ち取ると今は信じられるので、お金はいらないと言った。桃太郎は別に感心した風もなく「じゃあ、猿が10ね」と配分を決めた。猿はうきーと喜びたかったが、なんとなくそれも違う気がして、「本当にいいのですか」と桃太郎の顔を伺った。「いいっていいって。さあみんな、大八車に財宝乗せて帰ろう」と、率先して財宝を積み込み、自らそれを引いて帰った。猿は後ろから車を押しながら、いつ桃太郎達が駆け出すか見張っていたが、のんびりとしたペースで彼らは家に着いた。おじいさんおばあさんは無事に桃太郎が帰ってきたことに喜び、その後ろにある財宝に目を丸くしたが桃太郎が
「いや、これは全部猿のだから」と言うと
「そうかい」と言って、「みんなご飯食べていきなさい」と続けた。猿は「いや、私はこの財宝でもっとおいしいものを食べます」と言うと、おばあさんは「や、まあそりゃそうだけど、お腹減ってるでしょ。一緒に食べよう」と言った。猿は。
お疲れ様です!今日は疲れましたよ。コピー機は壊れました。スーツケースは届かないし、飛行機は飛びませんでした。オフィス備品は案の定在庫切れ。お陰様で何回もアポを変更しましたよ。そろそろ飽きますね。でも、明日もまた、TOEIC試験センターの社員として頑張りましょう!
こんな朝から汗が噴き出して口の中は塩辛い。俺たちは夏を蹴り起こす。杉の枯葉が積もった地面から、発声練習もできていない蝉たちが慌てて飛び出していく。出合え出合え。
水のない谷をひたすら歩く。ポケットから地形図を取り出して読図、ついでにGPSの座標を確認して立ち止まる。振り返ると、俺が蹴り散らした埃の中を木漏れ日が幾筋も降りている。光に照らされたシゲさんと目が合って、ずんぐりした汗まみれのシゲさんはノソノソ歩きながら罰が悪そうに笑う。しなった杉の枯枝に躓いて、もう三回転んでいるから薄汚い。
俺は紅白のポールを十字に組んで風景の一部になる。渓流荒廃状況写真だっけ? 知らん、あとは好きに切り取ってくれい。
カメラを取り出すのにてこずるシゲさんも風景には溶け込んでいた。
今日が夏のピークらしい。俺たちは蜘蛛の巣デストロイヤー。夜のうちに綺麗に整えられた巣を容赦なく破壊していく。退避する女郎蜘蛛を見送って進む藪だらけの川は暑いんだか涼しいんだか分からない。後ろで熊みたいに盛大な水の音、呆れるくらいに。
昨日の電話は漏れていた。多分親御さんから、仕送りの催促だったんだろう。
シゲさんはどうにか一人で立ち上がる。浅い川水は俺からシゲさんの方へただ流れていく。
「大丈夫ですか」
「え?」虚をつかれたシゲさんはプーさんの顔。やっぱり熊だ。
こんなんでも、会社にいる時よりシゲさんはずっといい顔をしている。新人にこき使われようが山が好きなんだ、きっと。チーフのデスク前に立たされて一日中詰められている姿が朧げに浮かぶ。まるで夢みたいだ。夢なんだろう。
山を抜けたら風が乾いて少し冷たい。何となく外で電話連絡。チェーン脱着場にゴロゴロ転がる毬栗を足で転がして。
「チーフ、シゲさんのこと褒めてましたよ」
運転席でぼんやり外を眺めていたシゲさんは外を見たまま目を細めて「うん、そっかぁ」とだけ言った。
シゲさんは会社に戻ったら仕事をやめる。実質クビらしい。なのに泥だらけの作業着はシゲさんの平和な呼吸に合わせて穏やかに膨らむ。
「帰りの運転、かわりましょうか」
シゲさんははにかみながら首を振り、車は緩やかに走り出す。ため息を呑んで見やったずんぐりの肩に丸々太ったヒル発見。黙って取っても右折するシゲさんは気づかない。
万感の思いを込めて窓を開け、ヒルを指でこねくり回してから外に放り投げた。俺たちは夏を後にする。
月曜日の朝、いつもならコーヒーの匂いがするのに今日はしなくて、あぁそうか、と昨日の出来事を思い出す。喧嘩したんだった。
顔も見たくないと言われて、いっちゃんの実家から後ろ髪をひかれながら帰ってきた。
お湯を沸かすために電気ケトルに水を入れ、セットして、スイッチを押す。
インスタントコーヒーの粉をマグカップに入れて、ケトルがカチッと音がして、お湯を注ぐ。
コーヒーの匂い。インスタントだし誰が淹れても同じ匂いなんだと思うんだけど、いっちゃんが淹れてくれた方がおいしそうな匂いがする。
冷凍庫に入っていた食パンをトースターで焼いて、遅めの朝ごはんにする。
トーストをかじって、また溜息が出た。
味が違う。本当にいつもと同じパン?
いっちゃんは、誰がやっても同じだよ、って笑っていたけど、いっちゃんが作ってくれた方が絶対においしい。
結局、昨日は迷って電話でもしなかった。だって、顔も見たくないって。声だって聞きたくないんじゃないかと思ってしまう。
それでも、声が聞きたいし、会いたいって思っちゃう。
この状態あとどれくらい続くの? 自分が耐えられない。まだ、1日しか経ってないけど。
1日しか経ってないけど、もうずっといっちゃんがいないみたいな雰囲気が家の中に漂ってきている。理由は全然わからないけど、使って戻したはずの物の位置が微妙に違うから?
今日1日耐えたとして、明日は俺大丈夫なのかな?
変な不安がよぎる。
電話して、謝ればいいんだってことはわかっている。でも、いっちゃん本当に怒ってて。あの時を思い出したら、どうしたらいいのかわからなくなる。
電話だって出てくれないかもしれないじゃん。電源切られているならまだしも、着信拒否られてたら俺もう立ち直れないかも。
でも翌日、耐えきれずにいっちゃんの実家に向かった。
出てきたおばさんに「こんばんは」と声をかけて中に入る。
いっちゃんの部屋に近づいていくにつれてドキドキが強くなる。
部屋の前で「いっちゃん、開けるよ?」って言ったら、中でバタバタと音がして、ゆっくり薄く扉が開いた。
「零くん? どうしたの?」
隙間から見えるいっちゃんがもどかしくて、力を入れて扉を押し開く。
「寂しくて、会いに来ちゃいました」
そう言って、いっちゃんのことをギュッと抱きしめる。
「ゴメンね」って言ったら、いっちゃんが腕の中で首を振った。
いっちゃんの体温とか匂いとか、やっぱり好きだ。
「明日、一緒に帰ろうね」
部屋で彼女とテレビを見ていると、盛りがすごいことで知られるラーメン屋が映った。前に住んでいた街にある店。彼女と付き合うきっかけになった店だ。
画面に腕を組んだ店主が出てきた。女子アナが質問すると、「電子マネーを使いたくて店を始めました」と答えている。テレビ受けしそうな不思議なコメントだ。
「アプリをダウンロードして下さい」という張り紙が見える。
常連っぽいお客が映る。店に入るとすぐに注文をしてレジへと向かう。スマホを取り出し自力で支払いをしている。
「そういう店なの? ずいぶん変わってるね」
僕の横で彼女が言う。
あの日、僕がラーメン屋の長い列に一人で並んでいた時、通りがかった彼女が声をかけてきた。彼女とはそれまであまり会話したことがなく、だからびっくりして僕の中のラーメン欲は即座に消えた。彼女と一緒に違う食べ物屋に行くことにした。列を抜け出る時に他の客からじろじろ見られた。そしてパスタ屋に向かった。
「ああいう店なら、私お金払えなかったかも。電子マネー使ってないから」
彼女が思い出したかのように言う。僕は気づいたことがあって、彼女の顔を見た。
「急に何? ちょっと恥ずかしいんだけど」
テレビはCMになった。一番人気のラーメンはCMの後に出てくるという。
実は彼女はラーメンが気になって何度かその店の前まで来ていたらしい。そして毎回長い列を見て圧倒されていたようだ。あの日、並んでいる僕をたまたま見つけて声をかけた。一方僕のほうには、盛りがすごいラーメンを女の人が食べるという発想はなかった。想像力が足りない。確認することなしに彼女をパスタ屋に連れて行ってしまった。パスタ屋で僕は早口で話してしまった。付き合ってから気付いたことだが、彼女は空気を読むのがうまい。
CMが終わり、ラーメンが出てきた。盛りがすごいラーメンに画面エフェクトがましましである。
「すごいね。知らなかった。みんなあんな量食べるの?」
彼女はそう言い、僕は無言でうなづく。
「ていうか」
彼女は続ける。
「アプリあるんだったら、それで待ち時間管理すればいいのに。店の外に行列させなくてもいいんじゃない?」
それは僕にも分からない。ただ、そこに行列ができていて僕にとっては結果的によかった。恥ずかしいのでそれを彼女に伝えたりはしないのだけれど。
パスタの味はよく覚えていない。彼女が僕の話を熱心に聞いてくれたことは覚えている。
祖母は朝や夕方の決まった時間、祭壇の前にひざまづき、静かにお祈りをしていた。
祭壇の中央には小さな何かの像が置かれていて、その右側には花を差した花瓶が、左側には古くて分厚い本が置かれていた。
幼い頃の私は、なぜか、祭壇に置かれたその古い本に興味があって、初めてその本を開いたとき、文字がびっしり書かれていることに圧倒されて、思わず閉じてしまったことを今でも覚えている。
「そこに書いてあるのは、ただの物語なのよ」
祖母は幼い私の肩に、優しく手を置きながらそう言った。
「ものがたりって、なあに」
「物語はね、誰かが、別の誰かに出会って、いろんなことが起きることだと思うわ」
幼い私には、物語や、なぜ文字が沢山書かれた本が存在するのかよく分からなかった。
「じつはお婆ちゃんも、物語や本が何か、よく分かっていないの」
祖母は、私が中学二年生のときに亡くなった。
とても質素な人だったので、持ち物もほとんどなく、祭壇の上に置かれたものだけが遺品になってしまった。
祭壇の中央に置かれていた像は、何十年も昔に流行ったアニメの女性主人公のフィギュアで、右側に置かれていた花瓶は百円ショップで購入したものらしかった。
そして、祭壇の左側に置かれていた古い本は、『ドン・キホーテ』というスペインの小説で、数年後によく調べてみると、大正時代に日本語訳された初版本の上巻だったことが分かった。
当時、他の親族は祖母の遺品に全く興味がなかったので、中学二年生だった私が全部引き取ることになり、祖母の祭壇が、私の部屋の中に移動しただけだった。
「今、カルト宗教がすごく話題になっているけど、お婆ちゃんもそうだったの?」
祖母のお通夜に集まった親族や家族の前で、私は思い切ってそう質問をした。
「ああ、お婆ちゃんはね、そういうのじゃなくて趣味でやっていただけなのよ」
祖母の娘にあたる叔母さんが、煙草を吹かしながらそう言った。
「お婆ちゃんは、自分の好きなものに祈りを捧げたかっただけで、周りの家族は理解できなかったけど、あんただけは興味を持ってくれて、お婆ちゃんも嬉しかったんじゃない?」
あと一つだけ、私には祖母の記憶がある。
日曜日に、祖母のラジカセからよく聞こえてきた音楽だ。
「君は君、私わた菓子、リズム重なり合う、二人のランデブー、ワープして、ここどこ、そこどこ?」
今思い出すと、あれはラップと呼ばれる音楽だったのだろう。
2029年、ケイ素型知的生命が宇宙より来訪。全人類に対して意識浸食して去る。
「我々は全ての知的生命に幸福な生と死を望みます。方法は伝えました。さようなら。地球の人。愛。平和。友だち」
直後、地球のあちこちに直径10メートルの謎の球形巨石が出現。
SNSで情報が共有され、それぞれの国の軍隊なりが動き出すまでの十数時間で、巨石を触った数万人が石になった。
その石に触れた人間は石化する。痛みも苦しみも、意識もない。石の体は電気と水を通し、内部に回路が形成され、完全停止まで数百年らしい。
要するに、奴らは安楽死の専門家でテロリストだった。
そして俺の話だ。
大石化時代の始まり、賛否の嵐が渦巻く中、俺たちは大学生で、究極の自由意志の行使手段には否の立場だった。
そして、友人・家族の石化というイニシエーションを経て、反石活動を開始する。大学内サークルが革命組織となり、やがて世界中の同志と接続されてテロリストと認定されると、止まれなくなった。
安楽死システムの合法化直前、俺たちの組織は石の機能停止技術を得た。どうやって? 何のことはない、奴らも一枚岩ではなかった、ということだ。俺たちに選択する余地はなかった。石化機能停止作戦が開始され、今日、俺のチームは担当の石の前に立っていた。
隣を見ると、円が瞳を潤ませている。鉄の女と呼ばれた彼女が。
人の幸せを得るのは大義を為してから。そう互いに奮い立たせ闘ってきた。
だが、明日から俺達は人に戻る。円、君と一緒に。
「円」
円の肩に手を置く男。誰だ。
その手の上に自分の手を重ねる円。何故だ!
「泣いていいさ。明日から僕たち二人、ただの人だ」
俺のやりたかったやつ!
「ありがとう、来夢(くるむ)。でも二人じゃない」
「えっ」
「三人よ」
そういって、お腹に手をやる円。優しい顔。心底、驚いた顔の来夢。
俺はその千倍驚いている。15年一緒にいた。手も握ってなかったけど。
何がダメ……いや、もうやめ。考えない。何故なら、俺はまだ何も失ってな………あ、ダメ。昨日、何か盛り上がってPCで長文告白メール書いて、機能停止予定時刻に送信予約したんだった。あー。あー。
「リーダー、時間よ」
体がビクッと震える。
みんなの視線が突き刺さる。
俺はうなずき、石の近くまで歩く。せめて、せめて、スマホを家に忘れていてくれ……!
俺は目を瞑り、
ピロン♪
笑って、そして石になる。
お久しぶりです。別れたのはずいぶん前の話ですが、あなたと付き合っていた頃に西野カナをよく聴いていたせいか、西野カナの歌を耳にすると自然とあなたのことが思い出されます。
あのときわたしは、あなたの気持ちを代弁してくれているという西野カナの曲を繰り返し聴くことで、うまくやっていくためのヒントを模索していたような気がします。
あなたは付き合っているとき、わたしの全部を欲しがっていましたよね。
時間、心、言葉、からだ……。
あなたはわたしに、あなたを一番に優先することを求めると同時に、あなたはわたしを一番に優先してくれていました。とはいっても、わたしはあなたが求めていることに対して、うまくやれませんでしたけれど。
価値観が違っていたせいで、わたしたちはなにかと衝突が多かったですが、あなたとぶつかり合っていたあの瞬間は、なににも代えがたい濃密な時間だったと思います。
あなたには、よく散々なことをいわれていましたね。
問い詰められて、わたしがどもりがちになると「あなたはアスペルガー症候群かもしれないから病院で検査してもらったほうがいい」といってきたり、わたしが熱心に取り組んでいた相談援助職の勉強に対して「あなたには向いていないから、相談援助職に就かないほうがいい」と一刀両断してきたり……。
そんなあなたがくれた言葉のなかに、わたしが大事にしているものがあります。
それは散々ラインで文字の殴り合いみたいな喧嘩をしたあとに、ぽっとくれた文字でした。
「あなたは話すより、書くことのほうが向いてるんだよ」
わたしを完膚なきまでに論破することが趣味だったあなたが書き捨てた言葉を、わたしはお守りみたいにしながらいまも文章を書き続けています。
あなたはそんなこと、知りもしなかったでしょうけれどね。
地下通路を歩いていた。湿気と黴、すえた臭い、淀んだ空気。でかい屋敷だとは思ったが、義母の実家の下にこんな空間があったとは。先を行く老婆は見るからに齢八十を超えており、ごつごつした石だらけのトンネルをすいすい進む様はどこか妖怪じみている。彼女の持つカンテラ型の懐中電灯が、格子状の木組で補強された岩壁を照らす。私は取り残されぬよう必死についていく。
突きあたりに赤黒く錆びた鉄の扉。両開きで腰ほどの高さしかない。老婆は扉を少し開き、向こう側に掛かっていた紐を外した。屈んでくぐるとなかは意外に広い。
ぴちゃぴちゃと雫の垂れる音が響く。生臭さと甘ったるい臭い。生き物がいる。二本の柱の向こうに再び補強された岩壁が見えた。と思ったら、格子は扉と同様に赤黒く、隙間から先の空間が覗いている。鉄格子。牢だ。地下牢。奥の闇に目を凝らす。どんな恐ろしい存在が閉じこめられているのだろう。老婆が立ち止まる。こちらを見つめる眼差しは憐れむようであり、同時に急かすようにも思われた。私は意を決して柱の間を通り抜け、鉄格子に近づく。
暗闇に薄ぼんやりと乳白色の塊が浮かび上がる。表面の凹凸は痘痕のようで、目鼻口もないのに人間の頭に見えてぎょっとする。ひとつ、ふたつ……土の上に無数に転がる塊はすべて楕円球形をしていて、卵か繭、あるいは発酵したパン種を思わせた。それらがじりじりとこちらに這い寄ってくる。
鉄格子の前まで行って屈みこみ、隙間から左手を差し伸べる。なぜそうしたのかわからない。塊の一体が人差し指に触れ、綿菓子をちぎり取るように、すっと抜いていく。次の塊は中指、次は薬指。五指がなくなると掌を、手首を腕を抜き取った。塊たちは指を掲げたり、掴んだまま立ち尽くしたりしている。奥の祭壇めいた小さな台に腕の一部を積んでいるものもいれば、踊りを踊るものもいる。そんなに激しく動くと壊れるんじゃないか、そう思った途端、踊っていた塊が破裂した。撒き散らされる血と肉片。ほかの塊たちが動きを止める。身を縮こませ小刻みに震えながら、祈るように指を掲げる。
振り返る。無表情で立ち尽くす老婆。その手前に立つ二本の柱を見上げると、天辺でもう一本が水平に渡されていた。鳥居。扉に掛かっていたのは注連縄だ。
この身が畏れられ、祀られている。しかしもう、これが何者で、地上で何をしていたのかわからない。ただ右腕を鉄格子の向こうに伸ばす。
電報が届いた。
「祝20年、おめでとうございます」
心当たりのない電報だった。
私は商売人じゃないし、定年を迎えたばかりの退職者でもない。
それなのに、さっき私の家に祝電が届いた。
家のローンは終わっている。長く続く趣味もない。
一体、なんの祝いだろう。
電報を広げ、居間で首を傾げていると、細君がやってきた。「どうしたの?」と声をかけるので、私は持っていた電報を細君に見せた。
「いま、これが届いたんだ」
「これって……祝電じゃないの?」
「おそらく。でも、もらう心当たりがない」
「そうなの?」
「君の方に、心当たりは?」
「うーん。思いつかないわねぇ」
細君はおっとりした口調で答えた。
「送り先を間違えたんだろうか?」
「そうかもしれないわね」
「困ったな。送り返すべきだろうか?」
私がそういうと、細君は少し驚いたようすで聞き返してきた。
「送り返す? どこに? 心当たりないんでしょう?」
「そりゃあ、届けにきたNTTに決まってるじゃないか」
「祝電、受け取りましたけど、やっぱり返しますって、返すの?」
「まあ、そうだな……」
いいながら、あまり格好のいい話じゃないなと、私は思った。
そして、細君もそう思ったにちがいない。
「もらっておいたら」
びっくりするような提案をしてきた。
「なんだって!?」
「返さないでもらっておくの。あなたが本来お祝いされる人の代わりに、お祝いされたらいいのよ。祝電もあなたを祝おうとして、ここに来たんだから、それでいいんじゃない?」
さすがは細君。細かなことにこだわらない肚の据わった発言である。
そして、肚の据わった発言はさらに続いた。
「私たちがお祝いすれば、本人がお祝いしなくても、きっと、それでプラマイゼロよ」
わかるような、わからないような理屈だが、私は細君のそういうところが好きなので、その提案を受け入れた。
鯛を買い、赤飯を炊いて、私たちは20年をお祝いした。
たくさんのご馳走を作り、細君と二人で祝いの酒を呑んだ。
「おめでとうございます」
「いや、めでたい、めでたい」
おそらく誰かが言うはずだった祝いの言葉を述べ、気がつくと私たちは心の底から祝っていた。
いつ以来だろう。こんな祝い事をするのは。
私はごま塩をふりかけながら、ふと思った。
そういえば、長い間、祝い事から離れていた気がする。
私はしみじみと感じながら、届いた祝電に感謝し、そして、久しぶりに赤飯を食べた。