第240期 #8

列を抜け出してパスタ屋に向かった、あの日。

 部屋で彼女とテレビを見ていると、盛りがすごいことで知られるラーメン屋が映った。前に住んでいた街にある店。彼女と付き合うきっかけになった店だ。
 画面に腕を組んだ店主が出てきた。女子アナが質問すると、「電子マネーを使いたくて店を始めました」と答えている。テレビ受けしそうな不思議なコメントだ。
「アプリをダウンロードして下さい」という張り紙が見える。
 常連っぽいお客が映る。店に入るとすぐに注文をしてレジへと向かう。スマホを取り出し自力で支払いをしている。
「そういう店なの? ずいぶん変わってるね」
 僕の横で彼女が言う。

 あの日、僕がラーメン屋の長い列に一人で並んでいた時、通りがかった彼女が声をかけてきた。彼女とはそれまであまり会話したことがなく、だからびっくりして僕の中のラーメン欲は即座に消えた。彼女と一緒に違う食べ物屋に行くことにした。列を抜け出る時に他の客からじろじろ見られた。そしてパスタ屋に向かった。
「ああいう店なら、私お金払えなかったかも。電子マネー使ってないから」
 彼女が思い出したかのように言う。僕は気づいたことがあって、彼女の顔を見た。
「急に何? ちょっと恥ずかしいんだけど」
 テレビはCMになった。一番人気のラーメンはCMの後に出てくるという。

 実は彼女はラーメンが気になって何度かその店の前まで来ていたらしい。そして毎回長い列を見て圧倒されていたようだ。あの日、並んでいる僕をたまたま見つけて声をかけた。一方僕のほうには、盛りがすごいラーメンを女の人が食べるという発想はなかった。想像力が足りない。確認することなしに彼女をパスタ屋に連れて行ってしまった。パスタ屋で僕は早口で話してしまった。付き合ってから気付いたことだが、彼女は空気を読むのがうまい。

 CMが終わり、ラーメンが出てきた。盛りがすごいラーメンに画面エフェクトがましましである。
「すごいね。知らなかった。みんなあんな量食べるの?」
 彼女はそう言い、僕は無言でうなづく。
「ていうか」
 彼女は続ける。
「アプリあるんだったら、それで待ち時間管理すればいいのに。店の外に行列させなくてもいいんじゃない?」
 それは僕にも分からない。ただ、そこに行列ができていて僕にとっては結果的によかった。恥ずかしいのでそれを彼女に伝えたりはしないのだけれど。
 パスタの味はよく覚えていない。彼女が僕の話を熱心に聞いてくれたことは覚えている。



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