第240期 #12

聖域

 地下通路を歩いていた。湿気と黴、すえた臭い、淀んだ空気。でかい屋敷だとは思ったが、義母の実家の下にこんな空間があったとは。先を行く老婆は見るからに齢八十を超えており、ごつごつした石だらけのトンネルをすいすい進む様はどこか妖怪じみている。彼女の持つカンテラ型の懐中電灯が、格子状の木組で補強された岩壁を照らす。私は取り残されぬよう必死についていく。
 突きあたりに赤黒く錆びた鉄の扉。両開きで腰ほどの高さしかない。老婆は扉を少し開き、向こう側に掛かっていた紐を外した。屈んでくぐるとなかは意外に広い。
 ぴちゃぴちゃと雫の垂れる音が響く。生臭さと甘ったるい臭い。生き物がいる。二本の柱の向こうに再び補強された岩壁が見えた。と思ったら、格子は扉と同様に赤黒く、隙間から先の空間が覗いている。鉄格子。牢だ。地下牢。奥の闇に目を凝らす。どんな恐ろしい存在が閉じこめられているのだろう。老婆が立ち止まる。こちらを見つめる眼差しは憐れむようであり、同時に急かすようにも思われた。私は意を決して柱の間を通り抜け、鉄格子に近づく。
 暗闇に薄ぼんやりと乳白色の塊が浮かび上がる。表面の凹凸は痘痕のようで、目鼻口もないのに人間の頭に見えてぎょっとする。ひとつ、ふたつ……土の上に無数に転がる塊はすべて楕円球形をしていて、卵か繭、あるいは発酵したパン種を思わせた。それらがじりじりとこちらに這い寄ってくる。
 鉄格子の前まで行って屈みこみ、隙間から左手を差し伸べる。なぜそうしたのかわからない。塊の一体が人差し指に触れ、綿菓子をちぎり取るように、すっと抜いていく。次の塊は中指、次は薬指。五指がなくなると掌を、手首を腕を抜き取った。塊たちは指を掲げたり、掴んだまま立ち尽くしたりしている。奥の祭壇めいた小さな台に腕の一部を積んでいるものもいれば、踊りを踊るものもいる。そんなに激しく動くと壊れるんじゃないか、そう思った途端、踊っていた塊が破裂した。撒き散らされる血と肉片。ほかの塊たちが動きを止める。身を縮こませ小刻みに震えながら、祈るように指を掲げる。
 振り返る。無表情で立ち尽くす老婆。その手前に立つ二本の柱を見上げると、天辺でもう一本が水平に渡されていた。鳥居。扉に掛かっていたのは注連縄だ。
 この身が畏れられ、祀られている。しかしもう、これが何者で、地上で何をしていたのかわからない。ただ右腕を鉄格子の向こうに伸ばす。



Copyright © 2022 Y.田中 崖 / 編集: 短編