第24期 #4

アイ・シィ・ユー

 所在なげに病院のソファーに腰を下ろして、ゆっくりと時計を見上げる。あと面会時間まで10分。菊池寛をポケットから取りだして読みはじめる。ページをめくる音より、秒針の方が早い。思い出したように、今読んだところが二回目だと気づいて、また時計を見上げる。まだ面会時間まで5分。

 父、佑さんは集中治療室にいる。病室の照明は抑え気味で、ひとつひとつのベットには、まるで魚のように看護師が張り付いている。ガラス越しにパソコンやら機械が整然と並んだ制御コーナーでは、医師がイソギンチャクのような目でモニターをみつめていた。ダイオード・ランプに導かれて、病室を進む。どのベットにも、心拍計や投薬機、強制呼吸器に囲まれて、識別プレートが架かっている。プレートには、患者の名前と血圧やら心拍数やらの数値が書いてある。呼び捨てにしてあるのが、やっぱり気に入らない。

 父の症状は、ここへ運ばれてからしばらく安定していたが、なにかの弾みで呼吸器の管がずれて呼吸が止まってしまった。緊急処置を施されたがもう遅く、今では本人に意識がない。機器の管を抜かないように、その両手はベットに縛りつけてある。

 帽子に三本線のはいった看護師が、「林さん、今日はお一人なの」と話しかけてくる。"お一人"のところが皮肉っぽい。ここ数日、親戚やら孫やらが立ち代わりに思い思い入ってくるのを、快く思っていないのだろう。私が「ベットの両手をみるのが、母には忍びないようですね。」と答えると、一瞥して去っていった。治療なんだから、当たり前じゃないのとでも思っているのだろう。

 祐さんの顔を、また見詰める。まるで、もう眠ったかのような顔をしている。
「最期は、私が看取ってあげよう。」
「そうかい、家族みんなに見守られながら、やすらかに逝きたいねぇ。」
 ずいぶん以前に、酒の勢いが会話をそう滑らせたことがあった。

 父が家に帰ることは、もうないだろう。

 そう思うと、佑さんの顔が潤みだし、怒ったような笑顔に歪んでみえる。まわりの機器のランプが、十字の光彩にかわる。いつのまにか、病室は水槽の水で一杯に満たされて、佑さんの顔はそのゆらめきで、みえなくなりそうだ。この中を自分は、ただ漂うように浮かんでいる。

 面会時間は、もう終わりだ。父の葬式は、叔父に声をかけなければいけないだろう。もうすっかり乾いてしまった病室の床を、出口に向かてまっすぐに歩いていった。


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