第24期 #21

赤土に死す

 民宿の小さな露天風呂に浸かって空を眺めていたとき、柵を飛びこえて青いねこが現れた。
 あとでよくよく見れば紺を帯びた黒ねこだったが、西北西からの強い月光にさらされて青く輝いて見えたらしい。
 輝くといってもそんなに綺麗なねこではなかった。

 それから私がどこへ行こうとも後を尾けてきた。汽車で一日に百キロを移動したときさえ翌日には土産物屋の軒先にいて店主とじゃれついている。あるときは拾った車の座席にちょこんと乗っている。海辺で魚をくわえていたり、昆布に絡まっている。山頂では高山病にかかっている。私が東北を旅行しているあいだ毎日一度は必ず姿を見せたのだった。近付いていくと警戒する素振りをみせず隠れようともしない。どうやって移動しているか訊ねると、ねこは、一時間に四キロ歩いていれば一日に百キロだと言った。

 青森りんごを手土産に東京へ戻ると、部屋にねこがいた。
 互いに睨みあい、りんごを投げつけようか、齧ろうか迷った。
「長いことお前を見張っていたが、やはり殺さなければならない」 ねこは言った。

 どうしてそんな目に遭わなければならないのか理解に苦しんだものの、そういえばりんごは果樹園から盗ってきた物だったし、宿賃もちゃんと払ってはいないなと思い当たる節はいくつかあった。でも、ねこだって宿賃を払っていない。殺されるほどのことをしたんだろうか。考えをぐるぐる廻らせながらりんごを齧り、話を聴きながら一つを食べ終えた。
 あるいはねこはりんごを食べるだろうか。食べれば、彼は落ちつくのか。

「わたしは未来からやってきた、からくりねこだ」 へええ。
「与えられた任務を遂行するのだ」 そんな。
「この殺鼠剤をつかえば……」 私は人間だ。
「武器をとってくるから待ってろ」

 そう言い残してねこは、机に飛び込み、未来に帰った。
 殺されたいとは思わない私は、引き出しに鍵をかけ、その鍵をアパート裏の畑に埋めた。
 青空に東京の赤土がよく映えた。



Copyright © 2004 川野直己 / 編集: 短編