第238期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 留学生のためのAI添削 蘇泉 431
2 2222年のある日 狐狸等間隔 214
3 高嶺ヶ原 霧野楢人 1000
4 あの国へ わがまま娘 1000
5 誰かのアンモニア 朝飯抜太郎 1000
6 ソーラーパワーアマネ (あ) 1000
7 ドラゴンのキキ euReka 1000
8 ダンス・ステップ Y.田中 崖 1000
9 転生 たなかなつみ 1000
10 やみよ テックスロー 1000

#1

留学生のためのAI添削

留学生のKくんは、なんでもできる博士のところへ来ている。
「日本語でレポートを書くとき、よく文法を間違えます。自動校正は使いにくいです。レポート添削AI、開発してくれないかな?」
博士は「まあ、いいでしょう」と答えた。
翌日、博士からメールが来た。同封にウェブサイトのリンクが入っている。
Kくんがリンクを開くと、「留学生のためのAI添削」だった。
Kくんは大喜び、書いたレポートを入れた。そして画面には、「約1時間がかかります」というお知らせが表示された。
Kくんはパソコンを閉じて、本を読み始めた。30分ぐらい経ったら、メールが来た。
Kくんがメールを開いたら、添削された文章が添付されていた。
すごい!とKくんは感心した。
システム開発のお礼として、Kくんは博士のところにまた行って、お土産を差し上げた。そしてKくんは、「こんなすごいAIを1日で開発できたってどうやって?」と聞いた。
博士は、「実はUIを作ったがAIを作ってない。その辺の大学院生に外注しただけだ」と言った。


#2

2222年のある日

時は2222年、2人の大学生の会話。
「こないだ、TanpenJPという前々世紀のサイトを見つけたさ」
「お?どんなサイト?」
「千文字以内の小説コンテストを毎月やるみたいな感じ」
「面白そうね」
「短いし読みやすいから、しかも全部著作権切れてるはずなので、まとめて脳波出版する予定だわ」
「いいね。新青空文庫にも載せられそう」
「そうそう。あ、こんな小説もあるんだ。ちょっと待って、この小説のタイトルは変だな。『2222年のある日』だって」


#3

高嶺ヶ原

 前方の稜線を越えた霧は崖を駆け下り、瞬く間に高原を覆っていった。振り返れば下方の湖沼群はもう見えない。熊を主とする危険物を警戒する仕事も、これでは殆ど意味がなかった。保全対象である登山道の利用者を無線で尋ねると、無しとの回答が管理棟から返ってきた。高原の低木林から顔を出す巨石の上で、僕は望遠鏡の三脚に触れないよう慎重に、大きく伸びをした。
 水筒に入れてきた紅茶を飲み、ビスケットと魚肉ソーセージを食べた。大学のゼミをちょろっと覗いてから、山に戻って四日目。沢音が日夜絶えない宿舎で寝て起き、早朝の登山道を定点まで登る日々。新鮮な食材を食い尽くした僕に、昼飯を工夫する粋な心得はない。ノゴマの澄んださえずりが近くから聞こえるので見回すと、十メートルほど先の枝に止まっている赤い喉が辛うじて見えた。
 一向に霧は晴れない。こういうとき、僕はこっそり小説を読む。ザックに忍ばせてきた文庫だ。万年雪をわたってくる風は冷たく、手は冷えるし紙も湿るしそもそもバレたら怒られるのだが、それでも贅沢がしたい。可視範囲の物影には気を配り、ベビーカルパスを齧り、ページを繰る。時々、崖からの落石が崖錐地を転がる不穏な音が聞こえてくる。反響が高原の広さを暗示する。僕は笑ってしまうくらいちっぽけだ。
 下界からの解放、と言いたいところだが、昨日は思わぬ来客があった。同じ大学の後輩で、卒業研究のための視察に来たのだとか。彼のことは知らなかったが、彼がいる研究室は知っていた。
「院生の保科っていう先輩が、よろしくって言ってましたよ」
 業務を終えてから、僕と彼は宿舎の隣にある温泉に入って話をした。今思えば、やめておいた方が良かったかもしれない。
「お知り合いなんですか?」
「基礎クラスが一緒で、学部生の頃仲が良かったんだ」
 それで去年告白して振られた。休学を決め、電波が届かないこのバイトを始めて、やっと彼女のことを考えずに済むと思っていたのに。
「美人ですよね。僕にとっては憧れって感じで」
 露天風呂の湯煙を揺らし、彼は照れ臭そうに笑った。まあ、あいつ彼氏いるんだけどな。
「最近会ってないんだ。元気にしてるかな」
「元気そうですよ」
「そうか、よかった」
 入山者三名との無線が入り、僕はいったん本に栞を挟んだ。
 出所の知れないどこか遠くで鹿が二、三鳴いた。短く鋭い鹿の声は、山肌にぶつかって高原の一帯に響き渡り、文字通り霧散した。


#4

あの国へ

「絶対ダメ!」
「なんでよ」
「駄目なものは、駄目なの」
「だから、なんでなのかって聞いてんの!」
連日繰り返される問答はこれの繰り返しだった。
きっかけは、ある国から届いた一通の手紙。あの国から手紙が届くとかあるんだな、と驚いた。外国と通信する手段があると思っていなかった。
中身もそんなことあるんだ、と思うような内容で、それが連日兄妹喧嘩のタネだった。
「あんな国に嫁いだら、もう二度と会えないんだぞ」
そんなこと許されるか。
「どこの国嫁いで行っても、そんなフラフラと会えないわよ」
バカじゃないの?
お互いにらみ合って全然話が進まない。
「そろそろお茶にしませんか?」
場違いなセリフがふたりに割って入る。
「おふたりとも、お疲れでしょう」と、紅茶の入ったカップがふたりの前に置かれる。
入口でずっと立っている俺にもカップが出てきた。
「立ったままじゃ飲みにくいでしょうけど」と苦笑いを浮かべて。
「ありがとうございます」受け取ってお礼を言う。
王妃が紅茶を運んでくる国なんて、ここぐらいじゃないかと思う。
王妃も毎朝、今日はどの紅茶がいいかしら、と楽しそうなのでこの兄妹喧嘩も悪くないのかもしれない。
ゆっくりとソファに座った王妃がカップの紅茶を一口飲んで、ふたりに問いかけた。
「ご本人はどう思われているのかしら?」
ふたりが一斉に王妃の方を向く。
「ご本人?」
さすが兄妹、息ピッタリじゃんって思った。

なんで王妃、もっと早く言ってくれなかったのかな。
妹が帰って行った部屋で、国王が机に突っ伏している。
「あいつなんでこの婚姻話に乗り気なんだろう?」
「本人の気持ち、知ってんじゃね?」
「そうなの?」
「知らないけど、あそこまで頑ななのはそういうことなんじゃね?」
「俺、バカ?」
「バカっていうか、純粋?」
「なにそれ」
国王もただのお兄ちゃんなんだなって思う。
過去のこと引きずってんだな、お前が。

「そのお話、お受けさせて頂きます」
深々と頭を下げる女を見ながら、国王が「わかった」とムスッとしながら言った。そして、「でもな〜」と呟く。
「いいじゃない。双方合意してんのよ」
娘を嫁にやると思えばいいのか? と呟いたのが聞こえて、吹き出しそうになる。
侍女故に、嫁に出すという立場なのかと疑問が出たようだ。
「準備は私がするので、兄さんはお返事だけ書いてくださったら結構です」
身を転じた妹の前に紅茶を持った王妃が立っていた。
「あの国の紅茶はどんなのかしら?」


#5

誰かのアンモニア

 会社のトイレが混んでたりすると、誰かのすぐ後に便器の前に立つことがある。そうすると、便器から立ち上る、その誰かのアンモニアを浴びることになる。お父さんの会社にいるのは大体おっさんだから、前の人は大体おっさんだ。おっさんのアンモニアは、家族のアンモニアと比べると、ほんのちょっと、イヤだなと思ってしまう。いや、差別はいけない。おっさんだって、好青年だって、おしっこは匂うもんなんだ。なんだけど……違うと思うのはなんでだろう。
 実は、アンモニアにおっさんの成分はあんまりない。おしっこそのものはアンモニアを出さないらしい。おしっこが細菌によって分解されて初めて、アンモニアが発生する。おしっこそのものはおっさん固有のオリジナルカクテルかもしれないけど、アンモニアはNH3っていう化学式の物質でしかない。そこにおっさんはいない。
 だから、そのアンモニアに『おっさんの』ってタグをつけて、何かを感じとったのはお父さんだ。
 人間には、物理法則と無関係の、そういう恐ろしい力があるんだ。
 ――これ、何の話?
 希望の話だよ。


 確かにおじいちゃんはもういない。でも、この家の畳や障子、でっかい柱、その木彫りの熊や賞状や、帽子や扇子、そういう諸々には「おじいちゃんの」タグがついてる。それらのモノはいずれなくなるけど、タグは消えない。似ている扇子や帽子にだってタグはついてて、それに気づいたら、また思い出すことができる。受け取ることができる。
 ――それ、辛くない?
 いずれ、穏やかな気持ちに変わるさ。
 ――信じられない。
 大丈夫。お父さんは知ってる。
 ――お母さんがしんでも?
 それは無理だ。ダメ、考えたくない。お母さんがしんでも、お前たちがしんでも、お父さんはおかしくなる自信がある。
 おじいちゃんのと違う、別の悲しみとか悔しさとか、いろいろあるんだよ。
 ――じゃあ、だめじゃん……。
 いや、まあ、でもね。なんとういうか……その、えーと。
 ――お父さんのお腹って。
 うん。(腹筋の効果が出たかな)
 ――くさいね。
 うん……加齢臭だから。みんなそうなるから。アイドルも皇太子も石油王も。宇宙の法則だから。
 ――くさいけど、『お父さんの』においは、まだゆるせるかも。ゆるせないかも。
 可能性があってよかったな……いや、できれば、まだゆるしてほしいな。
 ――今日はゆるす……明日はわからない。
 それでいいよ。

 おやすみ。


#6

ソーラーパワーアマネ

 六年ぐらい前に流行った「ソーラーパワーアマネ」を覚えているだろうか? あれは自分の同級生Aが原作で、Aの幼馴染Bが作画で、二人で始めた作品である。初めの数話を掲載していたころは予想していなかったけれど、読者からの反応がすごくて、それから途中からBの作画能力が向上したから、今では漫画家Bのデビュー作ということになっている。
 Aはバイトとか研究とかで忙しくなって、原作を書くことから少しずつ離れていった。だからあの作品の人気はひとえにBの実力によるものだ。そして少し内輪の話をすると、作中のアマネの設定はAの実際とちょっと似ている。海外に旅立ったところなんてそのまんまだ。

 なぜこういう話を書き出したのかというと、先週Aが突然自分の家にやってきたのだ。それこそ六年ぶり。成田空港から直に来たという。自分はオフィスワーカーで、現在オフィスワーカーはリモートワークをしているというAの理解は間違っていないが、LINEで連絡が欲しかった。Aはハーフパンツにサンダル、キャスケットにマスク。日差しを恐れて昼間外出しない自分とは大違いのスタイルだった。

 Aは差し出した麦茶を飲み終えると、Bの話を始めた。駅の構内でBの作品のアニメ化の広告を見たという。Bとはこの前電話をしたそうだ。Bはやはり忙しいらしい。
 その後でAはぽつりぽつりと太陽光発電の話をした。赤道直下の島だからパネルの劣化がひどく、コロナでメンテナンスが遅れたこともあって発電能力はかなり落ちているそうだ。自分も状況は想像できた。というのも、島に設置する当時手伝いに行ったから。自分は途中で帰国して会社勤めを始めて今に至る。一方、Aはずっと島の電気にかかわり続けている。きゃしゃな体なのに、タフな女なのだ。
 当時、自分たちは太陽の動きに合わせて規則正しく生活していた。パネルの角度を変える実験を行ったり、気象データを分析したりする作業を行った。木陰でぼんやりする時間もあった。Aは自分とは違い、休まずパソコンに向かっていたようだ。

 ここまで読んでくれてありがとう。やがてアマネ似のAは島の人々の信頼を得ていくのだけれど、実は生配信を計画しているのでそこはぜひA本人の語りを聞いてほしい。それから島のためにクラウドファンディングを計画している。Bも一肌脱いで何枚か原画を提供してくれると言っている。
 あの海と空と人の姿が伝わればいいなと思っている。


#7

ドラゴンのキキ

 ドラゴンのキキと出会ったとき、私は地面に横たわって星空を眺めていた。
 何かデカイものが近くにいるなということには気づいていたが、そいつにとって私なんか虫けらみたいなものだろうから、そのままやり過ごせるだろうと思っていた。
「お前に、ちょっと頼みがある」
 声のするほうを見上げると、そこには巨大なドラゴンがいて、どうやら私の命もここまでだなと。
「だから、オレにはお前を殺すつもりはなくて、ただ頼みがあるだけだ」
 ドラゴンはそう言うと、まぶしく光を放って人間の女の姿に変身した。
「オレは人間というものを知るために、お前にその手引きをして欲しいだけさ」
 私は、人間の姿になったそいつを見てキレイだなと思っった。
「人間の男は、たいてい女が好きだというから女の姿になってみたが、お前の好みに合っているか?」

 私はただの旅人で、ドラゴンの頼みを断る理由もなかったので、結局、女の姿をしたそいつと一緒に旅をすることになった。 
「オレはただのドラゴンで、まだ名前がないからお前がつけろ」
 私は、危機一髪でドラゴンに殺されなくて済んだから、キキという名前はどうかと提案した。
「名前の理由は気に入らないけど、キキって名前は悪くないな」
 私が、小さな紙に「キキ」と書いて渡すと、そいつは一時間ぐらい紙を眺めたあと、それを丸めて食べてしまった。
「これでオレはキキになったから、これからはそう呼んでくれ」

 私とキキは、行く先々の街で日雇いの仕事を数週間やって、ある程度金を稼いでは別の街へ行くという旅をずっと続けていた。
 仕事は、荷物運びや雑用などがあるが、キキは女の姿をしているからレストランや酒場のウェイトレスとして働いた。
「酔っ払いの男がよくからんできたり、体を触ろうとしてきたりするが、人間はこんなことで金を稼いでは食べ物を得ているのだな」
 大抵の仕事は、嫌なことを引き受けることでお金が貰えるようになっているのさ。
「オレには理解できないけど、人間は嫌なことをやり続けながら生きていく生き物なのだな」

 キキと旅を続けて三十年が過ぎたとき、私は旅を続けることにだんだん疲れてきた。
「じゃあオレと結婚して、どこかに家を見つけて、そこで子どもを作ったりして一生暮らすか?」
 ドラゴンと人間の間に生まれた子どもなんて、きっと酷い人生に決まっている。
「でもオレは、お前と一つになったら何が生まれるのか、それを見てみたいんだよね」


#8

ダンス・ステップ

 こっち、と君が手を引いて、ショッピングモールで誰もいない通路に私を連れていく。こんなところに階段あったんだ、私の独り言も聞こえていないのか、君は満面の笑みで上り始める。踊り場まで行ったら振り返って私を呼んで、おっかなびっくり下ろうとする。私は慌てて抱き上げる。この階段は上りだけ。下ることはできないんだよ。

 君はふらふら自転車を漕いでいる。補助輪が取れるまで帰らない、と唇を突き出す。何度も転んでようやく乗れたら、次の踊り場では鉄棒の逆上がり。次の踊り場ではピアノのソナタ。できたできた! と喜んで、一段飛ばしで階段を駆け上がる。私は重い足を上げて、君の後をついていく。

 君が涙を流している。目を真っ赤にして、声を出すまいと唇を噛んで、ずたずたに切り裂かれた画用紙を両手でぎゅっと掴んで。そこに描かれているのは、君の両親だろうか、友達だろうか、はたまた片想いの相手だろうか。下っていった人とは二度と会えないから、ついて行ってはいけないよ。この階段は上りだけ。

 君は踊り場で本に埋もれている。推理小説、冒険小説、歴史小説にファンタジー。暗い部屋で読むと目に悪い、と言っても聞かずに眼鏡をかける。君は授業用とは別にノートを一冊持っていて、そこに君だけの文章を綴る。そうして、一段ずつ確かめるように階段を上る。

 君が、ぴんと背筋を伸ばして階段を上がっていく。紅を差した唇で微笑んで、踊り場でターンする。ふんわり広がる、真っ赤なドレスの裾。時に鋭く、時にやわらかい言葉を紡ぎ、君は毎晩誰かと踊る。私は階段の途中で腰を下ろして、踊り場の君を見上げる。君は気まぐれに私に話しかける。どうして上がってこないの? 大丈夫、ゆっくり行くよ。心配することは何もない。この階段は上りだけ。

 ようやく追いついた踊り場で、君が恋人を紹介する。私は祝福し、手を取り合って階段を上っていく二人の背を見つめる。私の次の踊り場で、痩せた私が管で繋がれ、ベッドに横たわっている。恐ろしくても下りることはできない。
 君が上階から見下ろす。大丈夫、こんなことは、何でもないことなんだ。君はもっと階段を上って、美しい景色を見、温かな人びとと出会い、素晴らしい作品に触れ、君という存在を謳歌する。君は私とは踊らない。

 重力から解放されて、私は久しぶりにステップを踏む。裸足の足裏に感触はない。白装束を揺らしながら、ゆっくりと階段を下りていく。


#9

転生

 あの人は姿を消す前に、わたしに手のひらいっぱいの結晶を手渡した。
 「わたしはあなたのそばからいなくなっても、ずっとあなたを守る。あなたもこれを大事にして。そして、守るべきものを手に入れたら、その人にこれを渡して」
 あの人がそう言った途端に、手のなかのそれは消えた。目を上げると、目の前にいたあの人の姿も消えていた。幼い頃からずっとともに在ったあの人がいなくなったのは、初めてのことだった。
 それからずっと、わたしはそれを大事にしている。目には見えないけれども、それはずっとともに在る。そして、ずっとわたしを縛りつけている。あの人が示してくれた道から足を踏み外さぬように。あの人が示していたと同じように生きていくように。
 負担ではなかった。むしろ喜びだった。あの人が示していたとおりの行動をとった自分を確認して、安心を得る。あの人が口にしていたとおりの言葉を述べた自分を確認して、自信を得る。その姿が見えなくなってからもずっと、あの人はともに在り、わたしを守ってくれた。
 ある日、拾いものをした。小さな生き物で、ひとりでは生きていけそうにない、痩せ細った身体をしていた。守らねば、と思った。わたしよりもずっと小さな身体。ずっと小さな存在。この子が生きていけるように、守らねば。わたしはその子を抱き、家に連れ帰った。
 あの人と同じように、その子を育てた。あの人と同じように、その子を愛した。小さなその子はすぐに大きくなり、わたしを慕った。わたしよりもずっと大きくなったその身体は、いつまで経っても粗略で、少し目を離すと、すぐに周囲を破壊し、ずっと小さな生き物を死滅させてしまう。わたしはその子を諭す。あの人の言ったとおりの言葉で、あの人の示したとおりの道を。その子は言うことを聞かない。このままでは、あの人が守ってきたこの世界が壊れてしまう。
 そんなことにはさせない。たとえこの身が消滅しようとも。
 そうして、わたしは自身の存在をかけて、結晶をつくる。それは、その子を縛るもの。その子の動きを制御するもの。その子のあらゆる行いが、この世界の存続に捧げられるように。
 そうして、わたしは言うべき言葉を口にする。
 「わたしはあなたのそばからいなくなっても、ずっとあなたを守る。あなたもこれを大事にして。そして、守るべきものを手に入れたら、その人にこれを渡して」
 そうして、やっとわたしは消滅する機会を得る。


#10

やみよ

 いいですか。今から本当のことを言います。よく聞いてください。あなたが抱えている悩みは、少しの視点をずらすことで、消えます。少しの行動があなたを変えて、あなたの悩みはすべて消えてしまいます。知っていましたか。あなたが思っているほど、周りの人はあなたのことを見てはいません。馬鹿みたいだ、と少しは思えてきましたか。取り越し苦労、という言葉が浮かびましたでしょうか。そんなこと知っているよ、とうそぶきますか。知っていても、そう言われたことで少しは楽になったのでは無いでしょうか。
 何でもいいからはじめてみましょう。まずは深呼吸をして、リラックス。自分の立ち位置を確認するところから、始めましょう。落ち着いたら、無理のない範囲で、何でもいいですので、今日は新しいことを一つ、やってみましょう。庭の木に水をやることでもいいでしょう。庭が無ければ、近所の公園に生えている木に水を与えてもいいと思います。公園に出て行くことが怖くて抵抗があるのなら、自分を木に見立ててシャワーを浴びてみることをおすすめします。そうすると、地に足がついた気がして、伸ばした手足と背骨が太陽を欲することが分かるでしょう。そう感じられればしめたもの、あなたが部屋を出てほかの人に優しさを与えられるようになるのも、時間の問題です。
 あなたは少し外へ出て、やはりまた元の場所に戻ってきてしまうかも知れません。でも、あなたは外に出たのだから、ずっと部屋の中にいたあなたとは明らかに別人です。そのことを信じて、一歩一歩、外に、外に出るようにしましょう。
 いろいろやって、あなたがなお、何一つ変わっていないとすれば、おめでとうございます。あなたの心に巣食う闇は本物です。私が上で述べたことは、すべて御託と切って捨てていただいて結構です。発想を転換し、闇を育てる方向へ舵を切りましょう。あなたの闇はあなたが目を凝らせば凝らすほど深くなり、いずれあなたと同化します。大人、お金、エゴ、愛情、いろいろな言葉が入れ替わり立ち替わりあなたを刺激します。あなたの周りのひとや、些細な偶然による幸運が、あなたを照らし、あなたはつかの間自分の闇の深淵が見えた、と思うかも知れませんが、それはただの光の当たる角度の問題です。心の闇ではなく、心が闇になるのです。愚かなものはそれを絶望と呼びますが、そんな陳腐な言葉では言い表せないと、きっとあなたは思うことでしょう。


編集: 短編