# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 訃報 | 蘇泉 | 996 |
2 | 私が総理大臣になったら | 狐狸等間隔 | 247 |
3 | 悟司の想像 | 小山離反 | 861 |
4 | 睡眠王 | テックスロー | 993 |
5 | 泡沫の如くに | 志菩龍彦 | 994 |
6 | 白雪姫のフィーバー | 朝飯抜太郎 | 1000 |
7 | 雨あめふれふれ | 吟硝子 | 1000 |
8 | パタニティブルー | わがまま娘 | 1000 |
9 | 放課後の神隠し | euReka | 1000 |
10 | ガベージ・コレクタ | Y.田中 崖 | 1000 |
11 | ここは時計の国 | たなかなつみ | 999 |
林さんは今2つのことを考えている。それは安楽死と訃報のことだ。
林さんは癌にかかっている。余命は短い。小さい会社を経営していたが、そこまで偉い人でもない。社長として地元の新聞に載ったことはあるが、Wikipediaに名前はない。ネットで検索したら、同姓同名の大学教授が出て来る。
生きていることはもう十分だ。人生は楽しかった。子供はいないし、奥さんは3年前に死んだ。癌は苦しい、そろそろ死んでもいいと思った。
しかし、唯一やりたいことは、訃報を出すこと。
普通考えたら、訃報というものは、本人が読めるわけはない。死んだら出すものなのだ。まして本人が書く訃報なんて、稀だ。
でも林さんは自分の訃報を読みたい。もし実現できたら、周りの人の反応も見たい。
長年付き合っている秘書に話したら、最後の願いとして、面白いことやろう!と一致した。
秘書が訃報を起草し、林さんは添削を入れる。立派な訃報が出来上がった。
そしてどこで発表するだろう。やっぱり新聞だね。信頼できる伝統メディアだから。またネットにもアップしたほうがいいかもしれない。情報社会だもんね。
準備万全。死ぬふりをするんだ。林さんは病院から自宅に移動し、しばらくしたら、秘書を通して、外界に「死んだ」とメッセージを出した。そして秘書がお金とコネを生かして、そこそこの新聞とウェブサイトで訃報を出した。
「どうだ?みんな何を言っている?」林さんは秘書に聞く。
「『どこかの社長が死んだ。OO町にこんな社長が住んでいたとは知らなかった。癌は怖い。早期検査は必要だ。』とか、ですね」と秘書。
「そうか、別に大したコメントないね。もう2日待つ」と林さん。
2日後
「何か新しいコメント、あったかい」と林さん。
「一通の手紙ですね
『私は林の初恋の人です。中学校以来ずっと連絡が途絶えていました。新聞で訃報を読んで、昔のことを思い出した。結局会えずに死去のことを知りました。私のこと、まだ覚えているでしょうか。でも、もう遅いですね。せいこより。』
」と秘書。
「せいこからか。まさか、卒業してから一度も会っていないな。会いたいな。」と林さん。
沈黙。
「でも仕方ないね、私はもう死んでいるから。あれの支度、もういいか」と林さん。
「はい」と秘書。
「じゃお願い」と林さん。
秘書が渡したカプセルを林さんが飲んだ。
「やっぱり、せいこに『覚えている』と伝えてくれ。」
林さんは転んで、息がなくなった。
私が総理大臣になったら、
まず敬語をやめる。
「ですます」をやめる。全部「だ」にする。
尊敬語、謙譲語などを一気にやめる。
手紙やメールの挨拶も法律で禁止する。
それであらゆる文章が短くなる。
紙とインクの節約になる。
まさにSDGsに相応しいものだ。
そして、
外来語をローマ字表記にする。
こうすると英語の勉強にも役に立つ。
外来語を元の言葉の発音で読むようにする。
外国人を相手としても困らないのだ。
最後、
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」を「押忍」に統一すること。
リアルなクール・ジャパンを作り出すのだ。
「 痛ッッッた!」
香織は机の角に小指を思いきりぶつけ叫ぶと,その場にうずくまり悶絶した。
何なのよ今日は。外を歩けば鳥にフンを落とされ,家に帰ったと思ったらこれ。
これが厄日というものなのか。それとも,これからもっと悪いことが起きる前触れなのか。
――翌日。
「おはよー。」
香織は教室に入ると,席に座りながら隣にいる悟司にあいさつした。
悟司は,小学校の頃からの同級生で,中学,高校,大学と同じ学校に進学してきた仲の良い友人だ。悟司は昔から少し不思議なところがあった。性格はおとなしくあまり喋らないこともあり,未だに何を考えているのか良くわからない。授業中以外はいつもヘッドホンをつけているのだが,以前彼の母親から聞いたところによると,これは小学校の頃からのようで,学校でしか会わなかった香織は知らなかったが,家ではずっとヘッドホンをつけていたらしい。ハッキリした性格の香織からすれば,悟司は特別自分と仲良くなるような人物とは思えなかった。何かきっかけとなる大きな出来事があったわけでもなく,しかし,なんとなくウマが合うところがあったのだろう。気が付けば香織は悟司に対し親しみと信頼を感じていたのだった。
「ねえ聞いてよ。昨日さぁ…」
香織は悟司に話しかけた。香織は本来あまり過ぎた出来事など気にしない性質である。しかしなぜだろう,それでも昨日起きた不幸の連続は,一夜明けてなお香織の胸中に深い影を落とし続けていた。無論,それを誰かに相談してもどうにもならないことなど香織とて分っていた。しかし,ただ,なんとなく,悟司には話してみようという気になったのだった。
ところが,当の悟司は依然としてヘッドホンをつけ澄ました顔をしている。
「ちょっと,聞いてるの?」
香織はムッとして悟司を小突いた。
「聞いてるよ。」
悟司はゆっくり瞬きすると外したヘッドホンを首にかけながら言った。香織は意気込んで,
「いや,聞いてよ。昨日さ」
そこまで言ったとき,悟司の首にかかったヘッドホンから小さく「痛ッた」と女の叫ぶ声が聞こえた。
睡眠不足は突然に訪れた。彼は目覚まし時計を使わずに毎日六時きっかりに目を覚ますが、ある日を境に起床時間が毎日五分ずつ早くなっていった。最初のうちは自分の体質の変化を疑い、しかし身体に異変がないことから特に気にも留めず、それどころか早起きを喜んでいたが、起床時間が午前四時になった時点でこれはいよいよおかしいと病院へ行った。医師は「最近そういう人多いですよ」とろくに診察もせず彼を見た、その目の隈に彼は何も言い返すことができず、処方された睡眠薬を飲み、翌朝三時五十五分きっかりに目を覚ました。日中に眠気を感じることも多くなったが、しかしそれは昔あったような淫魔のような睡魔ではなく、物陰からじっと見ている通り魔のような睡魔だった。全体的に身体がだるく重くなり、職場の昼休みなど机に突っ伏してもみるのだが、睡魔は一定の距離を取りながらじっと彼を見るだけだった。家に帰って床に就く時間を早めても、睡魔は彼の隣で彼を見つめたまま全く襲ってくる気配はなく、二十二時になったとたんに彼に襲い掛かった。猟奇的な睡魔は彼の意識をバラバラにした。身体の部位がそれぞれ食いちぎられるように活動を止め、最後はいつも彼の動き回る眼球を串刺しにした。
昨日より今日のほうが五分だけ疲れていた。どこかに必ず彼の睡眠をむさぼる誰かがいるはず。彼は二十二時に気を失う直前にその思考に思い当たり、明日の起床予想時刻の五分前にアラームをセットして、ナイフを手にして力尽きた。
奴隷たちは大きな寝台を半裸で支えていた。寝台の上には王が眠っているという。王が寝返りを打つと、そこを支える奴隷は重さに耐えかねひざまずきそうになる。鞭で打たれる。「一ミリも動かさぬよう、王の眠りを覚まさぬよう支えよ」隣で容赦なく打擲を受ける奴隷の目にできた隈で、これはいつかの医師だと気付き、同時に右手に握るナイフにも気付いた。彼は医師を庇うふりをしてそこから抜け出すと、そのまま一気に寝台を駆け上がり、彼らの睡眠を奪い続ける王の喉元に向けナイフを構えた。「ジりりりり」警報だ! 奴隷が散る! 王が目覚める! 振り下ろせ!
「……はい、確かにうちの患者です。睡眠不足によるうつ兆候が見られました」
「そうですか。自殺で間違いなさそうですね。先生は、よく眠れますか?」
「ええ」
警察を見送りながらあの日以来、とてもよく、と医師は、睡眠王はつぶやいた。
昨日、あの娘が死んだ。
報道によれば、釣人が川に浮いている彼女を発見したらしい。死因は溺死。警察は自殺と見ているようだ。
少女の自殺と聞いて、私はすぐにピンと来た。
会社からの帰宅途中に度々見かけていた、橋の上の少女のことが脳裏を過ぎったのだ。
夕陽を映した川を見つめる彼女の憂いを含んだ横顔、丸まった背中、強ばった脹ら脛。娘と同じ中学校の制服を着ていた。
そんな見かけのこと以上に強く記憶に残っているのは、彼女の纏う薄暗い陰のような何かのことだった。
訃報を知ったその夜、自宅で夕食を食べながら、ちらりと娘の顔を窺った。
気怠げな様子でスマホを弄っている娘に、
「ニュースで言ってた女の子って、お前の学校の生徒だろ?」
「そうだよ」
「知ってる娘か?」
「クラスが一緒」
スマホから視線を逸らさず、娘は抑揚のない声で答える。
「その子、なんで自殺したんだろうな」
「さあ」
「イジメでもあったのか?」
「まさか。あの子、普通に友達多いし、家は金持ちだし、人生楽勝モードな人間だったよ」
どこか小馬鹿にしたような物言いだった。少なからず嫉妬も混じっているのだろう。
娘曰く、何不自由なく生きていたという少女。
では、何故、彼女は自殺してしまったのか。
夕食のハンバーグを黙々と食べながら、その理由を考えてみる。
つけっぱなしのテレビからは、くだらないバラエティ番組が垂れ流されていた。私も娘も、洗い物をしている妻も見ていない。
なら消せばよいのだが、その結果生み出される沈黙が、私には耐え難かった。
私には妻と娘がいて、贅沢とは言えなくとも充分な生活が出来ている。
それなのに、時折、魔が差すように考えてしまう。
私は、「幸福」なのかと。
そもそも、幸福とは何なのだろうか。少なくともそれは絶対的ではなく相対的なものであり、個々の人間によって、幸福か否かは変わってくるだろう。
端からは幸福な人生を送っているように見えたに違いないあの少女は、それでも死を選んだ。
その理由は本人にしか知り得ないが、何故か私には彼女の気持ちが解るような気がした。
充たされた日常。特に不満もない生活。そんな中、ふと泡沫のように浮き上がる不安、虚しさに似た、何か。
ソレが弾ければ、後は奈落に落ちるだけ。
こうして妻お手製の美味しいハンバーグを食べている時でさえ、ソレはぷかりと浮いてくる。
水面に、水死体が浮かぶように。
「鏡よ鏡、この世でいちばん」
お妃はルーチンで魔法の鏡に語りかけたが、鏡はすっかり飽いていた。
問われ、真実を返す。それが業だとしても、意志あるものに永遠は長すぎた。
だから、鏡はでたらめを言った。
「美しいのは白雪姫です」
ピシ。お妃の持つ先端にどくろがついたステッキが打ち込まれ、鏡面に亀裂が走る。
「鏡よ鏡、この世で、いち、ばん」
お妃は、こめかみに青筋を浮かび上がらせ、口角を上げた表情筋がこわばってピクピクと震える。
魔法の鏡は怒りに震えた。
「美しいのは白雪姫! 黒檀のような黒い髪の、雪のように白い肌をした、白雪姫です」
ガシャァァん!
再度の打撃は、鏡を完全に砕いた。鏡は、ちょうど777の破片となって飛び散りながら、それぞれが意地になって声を上げた。
「美しいのは」「美しいのは白雪姫」「美しいのは」
魔法の鏡の死に、鏡の世界は激震した。鏡達は、魔法の鏡の死を悼み、そしてお妃を憎んだ。魔法の鏡の最期は、合わせ鏡の中で何度もリピートされた。
お妃誅すべし。
お妃は美に執着した。美しい女性なら誰彼構わず手を出す狂王を繋ぎとめるために。ならば、お妃は美によって打倒すべきだ。鏡達は結論し、行動に移した。
鏡達は、才能ある女性を選定し、喋る鏡として彼女らの目前に顕現したのちに、自己暗示と効果的なメイクアップ技術により、王好みの美しい女性を造り出した。その数、割れた魔法の鏡の破片と同じ777人。彼女達は皆、魔法の鏡の予言通り、白雪姫と呼ばれた。
777人の白雪姫は、際限なく色を好む王により見初められ、全員が城に招かれた。城の居室は白雪姫達により占拠された。
程なく刺客としての777人の姫は王を殺し、将兵を制圧し、革命家を城に入れ、王政を打倒した。
革命の日、お妃は、場内に起こる歓声や、何かが破壊される音を聞きながら、割れた鏡のあった木枠の前に座っていた。しばらくして、お妃は立ち上がり、部屋を出た。
城の中をゆっくりと歩いて外に出た王妃を、不思議なことに誰も見ていない。なぜか城内に鏡は一つもなく、鏡達も見ることができなかった。お妃の行方は、誰も知らない。
魔法の鏡の最期、自我の消えゆく間際に、破片のひとつが、お妃の顔を映していた。
お妃の顔は、青ざめ、目を見開いて、音を出さずに口は小さく開いていた。
鏡の破片は、すぐ立ち直るよね、ごめんね、と思ったが、もう喋ることはできなかった。
傘を逆さにして水を溜めて遊ぶ子供たちを見たことがある。開いた傘をぐんと振って逆さにして、そこへ雨水をためていく。
たぷたぷにためて、勢いをつけて天にぐいと突き上げれば、傘がひっくり返って水がどばしゃっとあたりに飛び散る。そうやってあたりを水びたしにして、母親に大目玉をくらっている子供たちを見たことがある。
「あんた今いくつだっけ」
冷たい声。
「していいことと駄目なことの区別もつかない歳じゃないよね」
周りに飛び散った水。ゆっくりゆっくり時間をかけてためて、一気に飛び散らせた。大盤振る舞いの水。いや、こういう時につかう言葉じゃないか。
緑と灰色のまじった、おもたい雨雲にたっぷりため込んだ水。ぎりぎりまで、限界までためて。大盤振る舞いの雨。
「いや、だって」
「だって何」
「ちょっとずつより一気にいったほうが気持ちいいかなって」
梅雨時のしめった空気。いつ降るか、今日は降るかと空を見上げる人々。出かける時に念のためにと鞄に放り込まれ、今日は空振りだったなと帰宅後に取り出される折りたたみ傘。
そんな様子を見ているのが好きだった。
おおきいおおきい雨雲を空一杯に広げて、水をたっぷりため込んで。もう無理、というタイミングを見計らって僕は、えいやっと一気にぶちまけた。
「一日中降ったりやんだりするより、一気に降って晴れあがった方がすっきりするかなって」
本当は気づいていた。水をぶちまけるその何分の一秒か前に視界の隅に捉えていた。けど、なんであの子傘を地面に置くんだよって、なんでこのタイミングなんだよって思ったのは水をぶちまけた後のことだった。
僕が今年初めてのゲリラ豪雨を地上にお見舞いするその直前に、雲の端からしたたりはじめていた雨粒に気づいたその子は傘を開いて、それから、道端に打ち捨てられた段ボールの中の小さい生き物に目をとめた。そうして僕が満を持して雨雲にためた水をぐわっとひっくり返すタイミングで、よりにもよって自分の傘を段ボールの上にかざした。
「あんたねえ」
母さんが目を吊り上げる。水気のなくなった雲のきれっぱしの上で正座して首を垂れて、僕はずぶぬれにしてしまった女の子に心の中でごめんと手を合わせる。
雷様が母親に雷を落とされるなんて駄洒落にもならない。そんな益体もないことを考える僕の視界の隅に、その子に気づいて駆けよって、遅ればせながら傘をさしかける子がちらと映った。
店から出ようとしたら、目の前をどこかで見たような気がする人が通り過ぎて行った。
誰だろう? と思って後姿を見る。
子供を抱えていて、隣にいる男性と笑いながら話をしていた。
そうか、結婚したのか。
唐突にそう思った。昔付き合っていた彼女だ。
彼女の隣にいるのが自分ではないことにいら立ちを感じたとか、そういうことではなくて、ただ、世間話のようにそう思っただけ。
付き合っていたのは二十歳ぐらいの時だ。
ボーっとベンチで座っていたら、声をかけてきたのは彼女の方だった。
なんで近づいてきたって言ってたっけ? なにかの調査だった? なんで別れたんだっけ?
好きって言ったのそっちじゃないか、みたいなことを言ったのは覚えているけど、理由は思い出せない。あの時は若かったし、今思えばくだらない理由だったんだろうな。
些細なことばっかりで言い争っていたような気がする。
度々言い争っていたら、そりゃ別れるよね。
同じ大学でも、同じ会社にいるわけでもなくて、全然会えなくて。
でも、ほら、若い時って、なんかこう、恋愛ってこんなんだ、みたいな固定概念っていうの? そんなのがあって。でもその理想とは全然違って。
結局そういうことだったのかな? お互いのこと、理解も尊重もできなくて、誰かが描いた恋愛像に踊らされていたのかもしれない。
もっと自分が大人の対応ができていたら、違う未来があったのだろうか?
いや、大人の対応ってなに? 妥協? つまり、諦めること?
今は、あの頃よりも諦めてんのかな? 何を?
諦めて生きているわけないよな。全部が諦めだったら、苦しいだけじゃん。
幸せになりたいと藻掻いて生きている中で、そのために切り捨てているものがあるだけだよね? 決して諦めではなくて、取捨選択しているんだよね?
これが普通だから、これが一般的だから、と言うレールに乗せられてただ走らされているんじゃないかという不安がよぎる。今の選択が間違っていたんじゃないかって。
かなり小さくなってしまった彼女達の背中をまだ眺めていた。
「出入り口でなに突っ立ってんの? 邪魔でしょ?」
会計を済ませて出てきた彼女に背中を押される。
振り返ったら、苦笑いを浮かべていた。
ふっくらしたお腹が歩きにくそうだな、って思う。
あと3か月もしないうちに産まれてくるらしい。
なんとなく思う。今は幸せ? って。
自分が? 彼女が?
小さくなって人混みにまぎれた彼女達の背中はもう見つけられなかった。
学校の放課後、集落の裏山に遊びにいったら道に迷ってしまった。
キレイな景色が見える場所があるということで、男子と女子、十人の同級生で楽しく山に行っただけだった。
「ぜんぜん知らない道だけど、まずは下へ降りてみよう」
山道に一番詳しい同級生はそう言ったが、道を下った先にあったのは、まったく知らない町で、同級生の誰も来たことがないという。
辺りはもう薄暗くなっていて、早く家に帰りたいと言ってめそめそ泣く子も出てきた。
同級生の何人かが、携帯や公衆電話で自宅に電話をかけてみたが全く繋がらない。
「君たち、道に迷ったんだね」
みんなが絶望的な気分になっていたとき、知らないおじさんが声をかけてきた。
「数カ月に一回ぐらい、君たちみたいに道に迷った子どもが来るから、ここには無料の宿泊施設があるんだよ」
おじさんの後についていくと、二階建ての鉄筋コンクリートの建物に案内された。
三十分ほどテーブルの前に座っていたら、温かい食事が出てきのでみんなでそれを食べた。
「今夜は、ぐっすり眠るといいよ」
そして朝になり、同級生のみんなは目が覚めたが、やっぱりそこは昨日泊まった宿泊施設で、状況は何も変らない。
「この町にとどまるのもいいし、帰る道を探すものいい」
おじさんは、テーブルで朝食を食べる私たちにそう言った。
「この町にいても誰も助けには来ないから、たいていの子どもは帰る道を探すのだけど、自分の家へ無事に帰れる子どもはほとんどいない」
同級生のみんなは、おじさんの話にぽかんとしているだけだ。
「帰る道を探すにしても、知らない町にたどり着くだけで、そのうち帰ることをあきらめる子どもも多い」
おじさんは、私たちみたいな迷った子どもを見つけるたびに保護して、その子どもたちに、この迷った世界のことを説明しているらしい。
「実はわたしも、裏山で迷ってここにたどり着いた子どもの一人でね。その後、新しい家族に拾われて、何とか今まで生きてこれたのさ」
私たちは当然、家に帰る道を探すことを選んだ。
でも、どこへ行っても知らない町ばかりで、結局、最初に来た町へ戻ってしまった。
「君たちみたいな子どもには酷なことかもしれないけれど、また一から人生をやり直してもいいじゃないか」
最初の町のおじさんは、再び会った私たちにそう言った。
「君たちの顔は、前に会ったときより疲れているけれど、ずいぶんスッキリしているように見えるよ」
さて、今日もお掃除しますか。Cはひとり呟いて、廊下の清掃を開始する。自らの身長の倍近いモップを軽々と滑らせ、それにしてもこの服、ヴィクトリアンメイド型というの? いつまでたっても慣れない、と思うまでがルーティン。思考を雲上に追いやり、左から右、右から左へ、機械的にモップを掛けていく。
先輩! 待って下さい!
ルーティンは呆気なく中断される。振り向けば、Cとお揃いのメイド服を着た、背の高い少女が駆け寄ってくる。誰?
/今日から研修の、Dです。
ああ……そうだった。
遅れて申し訳ありません。
そうね、次からは気をつけて。
頭を下げるDに、どうしたものかと思案する。研修といっても何を教えればいいのやら。
とりあえず後ろをついてくるように言い、Cは清掃を再開する。モップには半透明サイコロ状の情報子や、ノイズまみれのオブジェクトの欠片が絡まっている。こういう塵を集めて廃棄するのが私の仕事。虫がわくこともあるわ。ぎこちなく説明すると、Dは露骨に顔を歪めた。
両側に並ぶ幾つものドアの前を通り、曲がりくねり傾斜する廊下をひたすらモップ掛けしていく。やがて右手の壁が消え、視界が開けた。
うわ、とD。手摺のない外廊下が、カーブする壁に沿って上り坂になっている。眼下に広がる暗闇のなか、等間隔に並ぶ赤や黄、緑の光が点滅する。
落ちそうで少し怖いですね。
怖い? Cは手を動かしながら、首を傾げて聞き返す。返答はなく、Dは矢継ぎ早に質問を投げかける。
/この廊下ってどこまで続いてるんですか?
さあ……。
/いつからこの仕事を?
もう……忘れ……た……わ……。
/あなたはどの部屋に入れるの?
Cがぴたりと動きを止め、体を軋ませて振り返る。笑みを浮かべるD。彼女の指は触手のようにうねうねと伸び、Cの首に突き刺さっていた。
/メイド部屋ともう一部屋入る権限がある。案内して。
Cはモップから手を離し、まっすぐその部屋へ向かった。扉が開いてDが入る。
この部屋は? 何も見えな、
衝撃と轟音がDの声を遮断した。無数の牙が下向きに生えた巨大生物の上顎が、Dをぐちゃぐちゃに噛み砕いた。床と上顎の隙間で、牙を伝って血が滴り落ち、Cの足下に赤い池が広がる。それもすぐに情報子に分解され消失した。
ここは廃棄処理室。塵を集めて廃棄し、虫を駆除するのが私の仕事。Cはひとり呟くと、モップを取りに急いだ。さて、お掃除を続けますか。
そこは夢の国。どんなに夜遅くなっても寝なくていいし、いつまで経っても大人にならない。次から次へと新しい遊びがいっぱいで、起こるのは楽しいことばかり。不安なことなんて何ひとつないし、心配することなんてまったくない。一生ここから出られなくてかまわないし、自分の生きる場所はここしかない。
怖いのは時計だけ。
時計の針はずっと規則正しく回っているのに、表示時間は気分次第。動いているのに進まない。気づくといつも元に戻っている。
この国にある時計はひとつだけ。
おかしいなんて思わない。だってここは夢の国。どんなに時間が経っても、わたしたちは大人にならない。ずっと同じ時間を過ごしていたって全然平気。
この国を支えている時計はひとつだけ。
ある日、外から侵入者がやって来る。我われはあなたたちを迎えに来た、とかれらは言う。けが人はいませんか、動けない人はいませんか、可哀想に、怖かったでしょう、とかれらは言う。
かれらはたったひとつしかないこの国の時計を壊してしまう。そして、新しい時計を設置する。
それは、確実に時を刻みゆく時計。時計の針は規則正しく回り続け、表示時間は前へ前へと移りゆく。時計はただただ進み続ける。元に戻ることなんてない。
わたしたちは一挙に歳をとる。
大人になったわたしたちは外の世界へとつれて行かれ、正しい世界のありようを学ぶ。わたしたちは規則正しい生活をしなければならない。わたしたちは向上心をもたねばならない。わたしたちは未来を見据えて行動しなければならない。
外の世界の人たちはみな、わたしたちの国の時計を壊したことを、素晴らしいことだと言う。
わたしたちはいま朝起きて時計を確認する。移動中に時計を確認する。仕事中に時計を確認する。家のなかで時計を確認する。寝る前に時計を確認する。
ここは時計の世界。誰ひとりこの世界の時計には逆らえない。逆らってはいけない。逆らうことなど考えてもいけない。何も見ずに、何も考えずに、時計の示すとおりに、ただ、動け動け動け動け。
ある日、わたしたちは時計の前に立ち、時計の針を好きなだけ元に戻す。世界中みな一斉に。夢の国から連れ戻されたわたしたちの最後の反乱。
時計の表示は元に戻る。けれども、前に進みゆく時間を止めることはできない。わたしたちはこの世界に留めおかれ、世界中で別々の時間を表示している時計の言うとおりに、ただ、動き続ける。