# | 題名 | 作者 | 文字数 |
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1 | 同郷人 | 蘇泉 | 434 |
2 | 怒りの壺 | 朝飯抜太郎 | 1000 |
3 | 食パン | 蠱惑 | 983 |
4 | #アイスなう | 吟硝子 | 1000 |
5 | 明日の帰り、飲みに行きませんか? | わがまま娘 | 994 |
6 | 魔女の血筋 | euReka | 1000 |
7 | ストップ・ウォー・イン・ザ・クローゼット | Y.田中 崖 | 1000 |
8 | ダイアローグ | テックスロー | 997 |
9 | 続きゆく | たなかなつみ | 988 |
日本に来たとき、最初は学校の寮に住んでいました。その寮は駅に近くて、毎日外でご飯を食べています。
ある日、私は路地裏の小さな中華料理屋に入りました。椅子に座って、メニューを眺めて、すぐその店は中国人が経営していることが分かりました。
「中国人ですか」と私が店員に聞くと、「是(はい)」と答えました。
「私も中国人です」と私は中国語で話しました。
「おお、中国の留学生か!どこの出身?」厨房のマスターも話を聞いて、私に中国語で話しをかけてくれました。
「北の方です」と私
「私たちも北だよ。どの省?」マスターが。
「山東省です」と私
「わ、我々も山東だ!山東のどこ?」なんと、同じく華北出身だそうです。
「徳州ですよ」と私
「まさか!俺らも徳州だよ!同郷だ!今日は割引にするわ!」マスターは大興奮。
私は美味しい中華料理を堪能し、半額で払いました。そして、店を出ました。本当に不思議な体験でした。遠い日本で、同じ市の出身者に会うなんて。
しかし、困惑したのは、その店の名前が「上海料理」でした。
人間の怒りはどんなに激しくても、6秒ほどしか持続しないらしい。俺は6秒の2乗の36秒だって持続する。だから職場では孤立するし、その他ありとあらゆる所で孤立する。家族も離れ、最近はインターネットさえ俺を弾き、酒の量が増え、体重が増え、人間関係は消失した。
と、立ち飲み屋で横にいた男にべろべろで話したら、男から壺を買うことになった。134200円。泥酔していても高いなと思ったが、買ってみると安すぎるくらいだった。
壺に顔を突っ込んで怒鳴り散らす。すると、スッキリ、喉の奥から、何かどす黒いものが引きずり出されて、壺の中に入る。気持ちが晴れ晴れとして、思わず1時間早く出社したりする。元妻はまだ会ってくれないが、月1回会える娘からは「パパ変わったね」と言われる。俺の怒りを燃やす火も油も俺の内にあり、それは夜のうちに壺に収められるのだ。
ふと壺の中を覗いた。部屋の端に置いた壺の中は暗く、よく見えない。顔を近づけ、目を凝らすと、黒々としたコールタールのようなものが揺れた。
頬に絆創膏を貼った娘を問い詰めると「ママの彼氏に殴られた」と言ってうつむいた。俺の中にゆらめくような怒りが芽生えた。かつて俺の怒りは爆弾だった。しかし、何を聞いても要領を得ない子供の話を聞いても、もう声を荒げたりしない。冷静に目標を定め、震えていた。
「出てって」「いや、その」
俺が殴った男は逆に妻……元妻をなだめていて、元妻の怒りは俺一人に向けられている。
「美月、この人に何言ったの?」
娘は俯いたままだ。
「あなたを殴ったのは、あなたの彼氏でしょ」
元妻は俺を見ずに言った。
「まだいたの? 関係ない人は帰って」
服を着替え、洗濯物を取り込み、テレビをつけ、帰りに買ったビールを、そのまま床に叩きつけた。
何で、俺が! 俺は……!
叫び出しそうになるのをぐっとこらえて、壺の所に行く。壺の口を両手で掴み、顔を寄せた。
壺の中には真っ黒な俺の怒りが渦巻いていた。
叫ぶのをやめ、俺は壺を持ち上げた。重い。抱えるようにして、そのまま玄関へ。
ぶちまけてやる。そう呟くと、心がスッと軽くなって、消えた。懐かしい感覚。
そのとき、手が滑った。壺は、地面に叩きつけられ、俺が思わず目を瞑り、開けたときには、砕けた壺の欠片が地面に散らばっていた。
プァンっと車のクラクションが鳴り、また走り去っていく音がした。それきり、また静かになった。
「あー食パンをくわえた女の子なら見ましたよ。髪型はどうだったかな、覚えてないや。なにせ食パンをくわえていたので。」
「食パンをくわえた女の子、私見たよ。なにか急いでいたのかな、なんてったって食パンをくわえて走ってたんだもん。顔?顔は、んー食パンで隠れてたかな。」
「食パンをくわえた女の子、あの子息できてたのかしら。まぁ鼻からでも空気は吸えるのだけれども。え、服装?、服装なんか覚えてないわよ。食パンに釘付けだったんですもの。」
「食パンをくわえた女の子、おお、俺も見たぜ。背?、背は、まぁ高かったかいや低かったか。あーわかんねえ。けど、食パンは結構揺れてたよ。」
「食パンをくわえた女の子、見たわよお。すれ違った時、焼けたパンのいい匂いがしたわあ。一瞬だったけどねえ。そうねえ、特徴は、、あの綺麗な焼き目かしらあ。」
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奥さんすみません。いろいろ聞き回っては見たんですけど、
だれも、おさげで制服を着た女の子なんか見ていないそうです。
はー、そうですか。まったくあの子はどんな魔法を使って行方を眩ましたのかしら。
まぁまぁ、学校をサボるなんて学生にはよくあることですよ。
また何かありましたら、ご連絡ください。
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フフフ、これはなんの変哲もないただの食パン。朝ご飯に出された綺麗に焼けた食パンだ。
まぁちょっと冷めちゃったんだけど。
ワッハッハッハハハハハ!
称えよ、この食パンを。我らと共に。勝利に乾杯を。私は、水筒のお茶を飲み干した。
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はー、それにしても、なぜ彼らは食パンをくわえているのが女の子であると証言できたのだろう。誰も少女の特徴を言えなかったのに。不思議な話だ。
そう思い、思わず持ってたコロネをくわえてみた。
なんというか、なんというか、コロネのチョコは地面めがけてドッカンドカン。
あちゃー、もったいない。コロネから飛び出したチョコは何を思う。チョココロネの役目を果たせない哀れなチョコよ。
でもでも、おまわりさんは知らないんだ、知らないんだ。それこそもったいないない。
フフフ、フフフ、食パンをくわえるのは女の子の役目。運命の出会いは、パンが舞ってこそ始まるのよ。
さ、朝ご飯も食べたことだし、曲がり角にでも行きますか。
#食べ放題なう
写真アップしてタグ付けて。#スタバなうにしとくべきだったかも。様式美的に。なんて思う。
レトロなアイスクリームパーラー。レトロって言っていいと思う。それともカントリー調? 壁も木のカウンターも白く塗ってあって、引き出しや戸棚の扉は淡いモーヴパープルとミントグリーン。レジの上にはでっかい風船が飾ってあって、リボンもついてて。アメリカのガーリーなバースデーパーティみたいな雰囲気? 知らないけど。
こんなお店が近くにあったなんて知らなかった。もっと早くに知ってたら通ったな。学校帰りとか。写真撮りまくったわ。
ちょっと考えてタグを足す。
「ゆーあ」
呼ばれて振り向いたら怜くんがネコミミつけてた。あんなにいやだって言ってたのに。あたしのシッポに合わせたやつ。ペアルック? でいいのかな?
それがなんだか妙にハマってて、笑いそうになったけど笑ったら拗ねるかなと思ってやめといた。なあにって答えるより早く、アイス持ってるあたしの手をつかんで、がぶって。ストロベリーとミルキーバニラのダブルの、バニラの方の三分の一くらい行かれた。
「なにすんの」
あたしがぷんと膨れても、怜くんはにやにや笑うだけ。
「怜くんも自分の分ダブルでもトリプルでもやればいいのに」
「人の食べるから美味いんだよ、こういうのは」
もうちょっとなにか言ってやろうかって思ったけど、ネコミミに免じて許したげた。あんなにいやがってたのに、写真もいやがらないでくれたし?
きっとこれが、あたしたちが最後に上げる写真。こんなことになるって分かってたらカップル垢つくって写真あげまくっとけばよかった。怜くんは死ぬほどいやがっただろうけど。死ぬほど。
きっとこれが最後のアイスクリーム。床はネズミとゴキブリだらけで、入るのも実は勇気がいった。歩いて行ける距離のスーパーやコンビニの食べ物は食べつくして、ファミレスとか回転寿司やさんとかにも行きつくして、たぶんここが最後。窓の外はマンガみたいな、「荒廃した風景」、っていうの? 半分崩れたビルとか、ごしゃごしゃに潰れた街並みとか。ぜーんぶ灰色。あたしたちの家族も灰色のなかのどこかで潰れてる。たぶん。
電気はまだ使えるけど、笑えることにネットにもまだ繋がるけど、アイスだけでどのくらい生きてられるのかなんて知らない。
最後に足した、ハッシュタグ。あたしたちの。
#LastOneStanding
「おーい、木村〜」
「はーい」
先輩に呼ばれるたびにドキドキして、その日一日が急に明るくなった。
高校生の時、運動部のマネージャーだった。ただ、マネージャーというものに憧れて、運動部のマネージャーになった。だから、ものすごくしんどかった。言われたことだけを淡々とこなしていた。ある時から部活に行くのが楽しくいなった。気付いたら先輩のことが好きになっていた。
お風呂の中や、眠るベッドの中で、先輩の声を何回も思い出しては胸が苦しくなって、頬が熱くなった。
大学生になって彼氏ができた。付き合い始めは楽しかった。でも、それも長くなかった。お互い若かったのか、自分の理想を相手に押し付けていたんだと思う
何かと衝突するようになって、気が付いたら、彼は私の友達と付き合っていた。
買い物をしている最中に、ふたりが手をつないで歩いているのを見かけて、なんだか気分が晴れた。
それまで何かにしがみついていたのかもしれない。一気に解放されたようだった。
そのあとも、何人か付き合った人はいたけれど、高校生の時のようなドキドキした気持ちになれる人はいなかった。
なんであの時、あんなにも先輩に夢中になれたのだろう?
恋に恋していたのかもしれない。
手に入れたいとかそういうことではなくて、そばにいて見ているだけで幸せだった。
「おーい、木村〜」
「は〜い」
席を立ちあがって、先輩のデスクに向かう。
就職した先に先輩がいるとは思ってなかった。それも、一昨年先輩が私の部署に移動してきて初めて知った。先輩は私のことなんて覚えてないだろうけど。
「機嫌悪い?」
「そんなことないですけど?」なんで?
「そう。これ、明日までにまとめておいて」
出てきた紙の束を受け取り、一枚めくる。
「明日のいつまでですか?」
「できれば11時が良いです」
「わかりました」
デスクに戻って、紙の束をペラペラめくる。マーカーに付箋。イメージしているグラフまで書き込まれている。
「自分でまとめた方が速いんじゃないかと思うんですけど」と呟いたら、「木村さんと話す口実じゃないですかね?」と隣の子がニヤニヤしながら言ってきた。
「はぁ?」何を言ってんだか。
モニターに向かって仕事を始める。サーバーから必要なデータを呼び出し、資料をまとめていく。最後の方に変な付箋が出てきた。
チラッと先輩の方を見る。
あの時の淡い気持ちを思い出す。
付箋の意図はわからないけど、明日が急に楽しみになった。
私の家系で実際に魔女をやっていたのは、私の祖母の、祖母の、そのまた祖母までらしい。
「だからあたしも、魔法なんて使えないの」
そう、祖母は笑顔で言った。
「でも子どもの頃は、その気になれば魔法を使えるかもしれないって思っていたのよね」
学校が夏休みになるたび、私は、祖母の家に行っては魔女の話を聞いた。
「そういえば、あたしのお婆ちゃんのお婆ちゃんが使ってた魔法のステッキとホウキが、まだ蔵の中にあるわよ」
小学五年生だった私は、祖母の話を聞いたあと、蔵の中で埃にまみれながら、古い魔法の道具を見つけたことがある。
そこにはメモ帳が添えられていて、こう書いてあった。
「だんだん世の中が科学の時代になってきて、魔女の居場所もなくなってしまいました。でもこの道具は、魔女が確かに存在していた証として残します。あなたにはもう魔法は必要ないかもしれないけれど、もしかしたら、また必要になる時代がくるかもしれません。そんなとき、この魔法のステッキとホウキが役に立つことがあったら嬉しいです」
私は早速、ステッキを持って庭の小石に動けと念じたり、魔法のホウキにまたがって飛べと命令してみたりしたけど、何も起きなかったので縁側にゴロンと寝そべった。
「魔法には修行が必要だから、いきなりやっても無理だし、メモ帳にもそのことは書いてあったでしょ?」
祖母にそう言われ、古びた魔法のメモ帳のページをめくってみると、先輩の魔女から指導を受けることが必要だと書いてあった。
「でも、あたしが子どもの頃だって、もう魔女なんて一人もいなかったしねえ」
私は祖母が持ってきたカルピスを飲んで、もう一度ゴロンと縁側に寝そべった。
「でも、メモには修行のやり方が書いてあって、それをやってみたら一回だけ魔法を使えたの。あたしもあなたと同じぐらいの頃、魔女の血筋のある自分も魔法を使えるんじゃないかと思って、そりゃあもう夏休み中、魔法のことばかり考えていたわ」
祖母の言葉が子守歌のように聞こえて、私は半分眠ってしまった。
「三日間何も食べない、誰とも喋らないって修行が一番つらくて、両親にも変に思われたけど、あるとき何となく魔法の力を体中に感じてね。ステッキを持って世界よ変れって命じたら、曇っていた空が一気に青空に変ったの……。そのとき世界の何が変ったのか分からないけれど、あなたと今こうして居られるのは、そのときのおかげかもしれないってね」
「オウ、これは」
「ウォークインクローゼットだね」
「ツネヒゴロから気になっていたんデスが」
「何?」
「何なんデスか? ウォーキンて」
「歩いて入るんでしょ」
「歩く意外に入る方法ありマス? ランニンクロゼットありマス? 出るときはウォーカウトクロゼットデスか? 座って入ったらシッティンクロゼットデスか?」
「新種のクローゼットを作るな」
「立入禁止の看板デスか? 座って入れば大丈夫? 小学生の論理デスか? コノハシワタルベカラズ? 一休サンデスか?」
「一休さんが小学生みたいになってるから。真面目に答えると、通常クローゼットは」
「ノーマルクロゼット」
「ノーマルクローゼットは歩いて入れないけど、ウォークインクローゼットは歩いて入れる」
「シッティンクロゼットは座って入れマス」
「小学生なの?」
「スタンダップクロゼット」
「立つな」
「スタンダップ! スタンダップ、クロゼーット!」
「トゥモローズ・クローゼット?」
「リメンバー・パールハーバー」
「急にきな臭い」
「トツゲキ! ランニンクロゼット!」
「規模が小さい」
「クロゼット半島はユーロップの火薬庫と呼ばれていマス」
「クローゼットに火薬をしまうな」
「そんなこんなでデスね、今日はチマタで話題のウォーインクロゼットにやってきたわけデスけれども」
「きな臭い」
「危ない! ソックスミサイルが!」
「いいから、早く服しまおうよ」
「隠れて! シャツにもぐりこんで!」
「ちょっと! いつまでたっても片づかないじゃん!」
青い天井に立ち上る黒煙と、何かが焼けるひどい臭い、そこかしこに積もった瓦礫の山。倒壊したブロック塀の下から汚れた細い腕がはみ出し、私は麻痺した頭でブロックを持ち上げる。ほとんど原形を留めていないが、彼ではなかった。
収納スペースの割り振りで揉めたのは先週のことだ。彼が「棚から出るオイルはワタシのものデス」と意味の分からないことを口走ったので、私はうんざりしてだんまりを決めこんだ。食事当番をボイコットすると状況は一気に悪化した。一畳半のウォークインクローゼットはみるみる広がり、街並みが現れ、資源が湧いた。そこに国があった。彼はプラモデルの戦闘機を飛ばして私の国を爆撃した。ビルが学校が病院がパン屋さんが粉々に破壊され、平和に暮らしていた人たちが殺された。
彼はまだ帰ってこない。私は意を決してクローゼットに入り、その広大な戦場を、彼を捜して歩き続けている。
「私猫が好きで」
「そうなんですね、猫……かわいいですよね」
「うちで二匹飼ってて」
「何歳くらいなんですか?」
「1歳と2歳、まだ小さくて、部屋の中二匹で走り回ったり、でも餌箱を振るとすぐこっちに走ってきたり、寝てるといつの間にかお腹の上で丸くなってたり、二匹ともですよ」
「ああ、目に浮かびますね」
「△〇さんも猫お好きなんですか?」
「僕は猫は正直苦手で、かわいいとは思うんですけど、積極的にこちらから近づいてどうこうっていうのはないですね。幸いアレルギーはないんで、友達の家に行ってそこで猫を飼ってたりしても全然大丈夫です。でも猫に興味のない人あるあるなんですけど、そういう人に限って猫が近づいてくるという」
「ありますよねー! 猫好きとしてはうらやましいです」
「猫以外には何かご趣味は? 休みの日はどこか出かけられたりとか」
「ずっと猫と一緒にいちゃう日も多くて、あんまり積極的に外に出かけたりはないですね。でも連休が取れたりすると友達と旅行に行ったりしますよ」
「僕は結構旅行が好きで。これ、この前秋田に旅行いったときの写真なんですけど、比内地鶏ってあるじゃないですか、あれの肝焼き、全然苦くなくてすごいおいしかったんですよ」
「えー! 焼き鳥すごい好きです! でも秋田って遠いですね、飛行機ですか?」
「新幹線です。旅行は過程を楽しむタイプで、移動時間も車窓見ながらぼーっと考えごとしてたりしちゃいますね。友達に話すとナルシストっぽいって不評ですけど」
「ふふ、でも△〇さんって、初対面でこんなこと言っちゃ失礼かもですけど、すごく深いこと考えてそうですよね。私なんかもうほんと考えるの苦手で、すぐもういいやーってなっちゃう」
「そんなことないですよ。9割がた食べ物のこと考えてますよ、着いたら何食べようって」
彼はカップを持ち上げ唇を潤すと、秋田新幹線内で考えていた残り1割のことを思い出していた。それは田沢湖から角館までの区間で、車窓に迫る緑の量に圧倒されながら、彼はもしこれが夜中で、自分が独りぼっちで新幹線から置いてかれたらと考えていた。もしかしたらこんな気持ちを誰もが、ひょっとしたら目の前の彼女も抱えているのかもしれない。ならばその孤独が共鳴すればどんな音が。
「どうしました?」
彼女が彼の前でおどけて手を振る。「いや」と笑いながら彼は孤独の部分は端折って秋田の森の深さを少し大げさに話しはじめる。
それは細くて長い生物である。その紐状の胴体は、小さなパーツが鎖状につながったものであり、それは一個の生物であり、また、一体の生物ではなかった。そのうねうねと動く生物の進行方向を定めているのは、比較的大きな形を持った頭部のように見えるものであり、それはその生物の先導者であり、また、その身体を形成する個々のパーツの親であった。親はそのつながった胴体をリードするべく、尻を振る動きで、つながりに意思を発信するが、個々の身体はほんの少しの衝撃で容易に外れてしまうので、気づけば親はひとり旅となっている。けれども、いかにもその後ろに連綿と子たちがついてきているかのように、尻を振りながら進んでいるのが、健気にも見える。
親の先導から逃れた子たちは、すでに一個の生物としての動きができず、あの長かった胴体はあっという間にばらけてしまい、あるいは空気中を、あるいは水中を、あるいは土のなかを、小さな粒として流れながら、いとも簡単に捕食されてしまう。儚い命の生き物だが、かれらはほんの少しも脅えや焦りのようなものを見せない。そもそも、複雑な感情を見せることができるほどの複雑な形態でもない。かれらは弾け飛び、そこらじゅうにいる生き物たちの口中に吸い込まれ絶命した。それだけである。
そのなかでも生き延びることのできる子たちがいる。別段、かれらに知恵があったわけでも、能力が秀でていたわけでもない。たまたま何かにひっついたおかげで捕食されることなく生き延びた。それだけである。かれらはそこで栄養を入れ、ほんの少し大きくなる。かれらの親だったもののように。かれらは自身のコピーを生み出す。そして、かれらはつながる。ほんの少し形の大きい親を頭部として、生み出された数多の子らがつながり、また紐状の生物になる。親は子たちを先導し、尻をふりふりその安住の地から旅立つ。そして、また次の楽園を求めて流れていくのだ。
では、ひとり旅を続けている親はどうなったのか。尻を振りつつ進みゆくという、目に留まりやすい動きをし続ける親は、無意識のうちに多数の生物の口中に消えていった子らとは異なり、わかりやすく餌である。かれらは狙われ、捕食され、他の生物の栄養分となる。その生物の羽根なり鱗なりにその子らがひっついて延命し、次世代を生み出してつながり始めていることなど、親には知る由もなく、ただ消えゆくのである。