# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | いびき | 蘇泉 | 297 |
2 | 純白雪姫 | テックスロー | 992 |
3 | 二月十四日 | 吟硝子 | 809 |
4 | 今田耕司 | アドバイス | 661 |
5 | あと6センチの夜 | 朝飯抜太郎 | 1000 |
6 | はぐれ島 | 志菩龍彦 | 1000 |
7 | そういうこと | わがまま娘 | 997 |
8 | 電子海 | Y.田中 崖 | 1000 |
9 | 子どもを買って育てる | euReka | 1000 |
あるアパートに住んでいたとき、隣人も隣人の隣人もみんな知り合いだった。
ある日、隣の人が「あなたのいびきはかなり大きいですね。私には聞こえますよ」と言った。 その時、隣の隣の人も「実は私も聞こえるんです」と言った。
隣の人に聞こえるのはまずいと思ったが、まさか隣の隣まで聞こえるとは思わなかった。 とても罪悪感を感じ、耳鼻科で受診した。
耳鼻科で診察してもらったところ、器官に異常はなく、いびきを気にする必要はないとのことだった。
ご近所の方にご迷惑をかけたと医者さんに言ったら、お医者さんは「特別の良い方法がありますよ!」と言った。
私はとても喜んで、「何ですか」と聞いたら、
「引越しです」と答えた。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
お妃さまが鏡に向かって言いました。しかし鏡には精など宿っておらずただただつるんとした無機物なので、お妃さまは必定自分の顔に話しかけているだけでした。
「もちろん、お妃さま、あなた様が世界で一番美しいです」
とお妃さまは自分でつぶやきました。そうすると少し自己肯定感が高まりました。これはお妃さまの寝る前の日課なのです。お妃さまは着るもののセンスも生地も高級でその肌はみずみずしく、特に強制されずとも、周りのみんながお妃さまを美しいといいます。でも本当の美しさっていったい何かしら、と思うところがあって、毎日鏡に問わずにはいられないのです。ある日、お城のパーティでとっても疲れたお妃さまは、鏡に向かってこう言いました。
「鏡よ鏡、私は世界で一番美しいです」
あまりに疲れて途中を端折ったその言葉はしかし、今までより強くお妃さまの心に響きました。ああこれでいいんだな、と思ったお妃さまは、ちょうど精が宿った鏡が「それは純白雪姫です! 純白雪姫です! 純白雪姫です!」と叫ぶのも聞こえずそのまま眠りました。
純白雪姫は最終面接の帰りの電車で、リクルートスーツが皺になるのにも構わず座席で寝ていたところ隣の王子に危うく唇を奪われそうになりすんでのところで目を覚ましました。
「警察呼びますよ」
「純白雪姫、あなたが警察なんて言葉を発しちゃいけない、僕が目を覚まさせてあげる」
この風俗にはよくわからん設定を持ち込む輩はおおいのですが、キスNGはHPにも書いてあります。そしてこの男の設定は作りこみすぎています。
「キスはNGです」
「じゃあ純白雪姫、パンツ見せてください」
王子は純白雪姫の前にひざまずき、真っ白い肌の純白雪姫がこちらに尻を向けファスナーを下すのをじっと見守りました。化繊スカートに擦れた尻は王子が想像していたよりガサガサしていて、ところどころ赤いできものがあり汚く、さらに王子が許せないのはパンツが黒のTバックだったことでした。
「なぜ純白じゃないん」と叫ぼうとした王子様に純白雪姫は尻を押し付け腰を振り始めました。純白雪姫はちょうど蛍光灯の影になり表情は見えませんでしたが、尻を大きく反時計回りに回す途中で一瞬笑顔が見えました。それは誰が何と言おうと世界一美しいと王子は思いましたし、車窓に宿ってのぞき見をしていた鏡の精もそう確信していました。
あのひとは、薔薇をくれた。赤い薔薇。セロファンにくるまれた、一輪の。花が、ほんのすこしうつむきかけているのは、くれたのが夜おそくになったからだろうか。買ってからどれくらいの時間が経っていたのだろう。
今日は、わたしの誕生日。不要不急の外出は避けるようにとテレビで言っているから家でささやかなお祝いをすることになっていた。わたしよりも料理のうまいあのひとは、わたしの大好きなラム肉を取り寄せていて、キッチンには摘みたてのミントの香りがただよっていた。ミントソースは手づくりするのがあのひとのこだわり。プランター栽培だけど、いつか家を建てて、小さな庭でいいから家庭菜園でハーブを育てようねと言っていた。
え、バレンタインデー生まれなんだ、とあのひとは言った。好きなんだと話したことも忘れていた洋菓子屋さんの箱とわたしを見くらべて、じゃあ来年からはチョコの他にもプレゼントさせてねと笑った。それから毎年、あのひとは約束を守ってくれた。指輪をくれたのは、何回目のバレンタインだったっけ。わたしがアクセサリーに無頓着なことは知っていたから、チョコレートで指輪を作ってくれた。宝石のかわりに小粒の苺を乗せて。ボウルに残ったチョコレートにミルクを入れて温めて、ふたりぶんのホットチョコレートを作って、ふたりで飲んだ。飲みおわってからわたしが逆プレゼント、と記入済みの書類を見せて、そうして、ふたりで役所に行った。
バレンタインデーには喧嘩をしない。その前までしていても、日付が変わるまえに仲直りする。それが、あのひととわたしとの約束。あのひとは、それをずっと守ってくれている。そしていまも毎年、プレゼントをくれる。今年のプレゼントは赤い薔薇。セロファンをはがして、一輪挿しにそうっといれて、かたむいた花にほんのすこし困ったような顔をしてから、一輪挿しをくるりと回して、花がわたしの写真のほうを向くようにしてからそっと、手を合わせた。
バラエティの平場における今田耕司の佇まいこそが全ての生命の完成形であり、到達点であることが結論された。かつて生の果ては「死」とされていたがこれは誤りで、全ての命は誕生したその瞬間から今田耕司へと向かい、そしてそこへ辿り着けなかった者が死するのであった。今田耕司は死の向こう側にいる。平野を駆る動物の肢体のしなやかさも、きらめく朝露を葉先から落とす樹々の揺らめきも、全ての所作は今田耕司と比した場合余分かもしくは不足に過ぎず、遍く自然美たちはひな壇トークにおける今田耕司の的確な合いの手の美しさには及ばかったのである。人々は日々、少しでも今田耕司へ近付こうとモンテローザ系列店で吉本芸人の集団ノリを模倣した。しかしそのような愚行では当然、死の向こう側の景色を垣間見ることなどは出来ず、俳優、モデル、素人などの有象無象を相手に常に場に応じた笑いを生み出す今田耕司が去った後の残り香を嗅ぐことすら許されないのである。私達は今田耕司になれない。許されるのは願うことのみ。しかし、願うことは時として大きな力となる。今田耕司が唯一出来ないこと、それは今田耕司になることを願うことである。我々にはそれが出来るのだ。ひとりひとりの願いが、今田耕司を凌駕する力を生むのである。今こそ生きとし生ける全ての者が結託し、死の向こう側へ飛び立つ時なのである!
電車で隣の席に座る老年男性が手元のスマホを凝視しており、画面には上記のテキストが日の丸をバックにゆっくりと流れるYouTubeの映像が映し出されていた。初めて見るタイプの愛国心だなと思った。
うだるような夏の日に、先輩は4tトラックに轢かれて死んだ。4tトラックのくせに全重量は8tくらいある。ふとアルゼンチノサウルスの体重を調べたら90tだった。全く参考にならない。先輩の死には『不注意』という不躾なラベルが貼られ、参列した僕たちは、奇跡的に原型を留めていた彼女の穏やかな表情を見て、むき出しの心をガンガンに揺さぶられた。
眠れないと思っていたその夜は、惰性で飲んだ牛乳とナッツとバナナとサプリのスペシャルドリンクのせいか、単に疲れのせいか、意外と早く眠りについた。
「ちょっと、コラ!」
「ん…?」
「起きて、早く! 溶けるわよ、脳がっ!」
僕は幽霊となった先輩に叩き起こされた。布団を剥がされベッドから蹴落とされても、現実感はなかった。
クーラーは止まっていて、窓が開いていて、月がよく見えた。
「あんにゃろ……!早く出てきなさい……」
先輩は電柱の陰に隠れて悪態をついている。
「幽霊なのに隠れるんですか?」
「気分よ!気分!」
僕が気付いて「足、無いんですね」と聞くと「何言ってんの、幽霊よ私」と先輩は呆れ「暑くて脳が溶けたのね」と哀れんだ。
スラリと伸びた背と健康的な手足はスポーツ全般に愛され、さらに成績優秀でバイリンガルで生徒会長という完璧超人である先輩だが、思考様式は古風である。うむ。先輩っぽいな、と僕が納得したとき、先輩がぽつりと呟いた。
「私さ、殺されたのよね」
僕は何とも返せずに、
「押されたわ。悪意と殺意で」
先輩の背中を見た。溶けていた僕の脳はやっと形を思い出していく。
「でさ、犯人は必ず現場に舞い戻るわけ」
「だから?」
「ここで待ってて、打ん殴る!」
嬉しそうに拳を握り締める先輩は、紛れもなく先輩であり。
「で、犯人の顔は?」
「わかんない」
少しむっとした顔も。キラキラした瞳も。ただちょっと透けていて、ノイジーで。それでも。
「でもまー、第六感?ホラ、私今第六感そのものだし」
「朝を待って聞き込みしましょう。先輩に恨みを持つ人は多いはずだし。あと事故のときの状況。警察にあるのかな?先輩、幽霊なんだし、消えたりして探って……できない?甘えてないで何とかしてください」
「急に色々失礼な感じになったけど」
「……行きますよ」
こらえられなくて、僕は先輩に背を向ける。
「ちょっと」
後ろから、いつもの先輩の声。からかうような。
「背、伸びた?」
もう、伸びたって、しょうがないんです。
この島に流れ着いてから、どれ程の月日が経っただろう。
全ては、あの社員旅行の為に乗っていた客船が嵐で沈没してしまったことから、始まったのだ。
気がつくと、私は見知らぬこの島の砂浜に打ち上げられていた。
この島は全くの無人島だった。どこまでも緑が生い茂り、人の気配はまるで感じられない。しかし、生きていくだけなら不自由しないことはすぐに解った。
瑞々しい果物のお陰で食料には困らない。真水の湧く泉もあるし、危険な獣もいなかった。南洋特有の極彩色の鳥や、見たこともない蟲達が気ままに暮らす楽園である。
ひとまず安心を得たことで、島からの脱出方法を考える余裕が出来たのだが、ロレックスの腕時計以外の文明の利器は全て失ってしまっていた。救援を呼ぶ等不可能である。砂浜に倒木で作った「SOS」の文字が発見されることを祈るのみだ。
やることがなく、あまりにも退屈なので、太陽の昇っている間はひたすらに島中を探検して回った。
ある日、森の中で奇妙なものを見つけた。
開けた場所に長方形の深い穴が掘られており、そのすぐ上に大きな石が置かれていた。まるで墓穴と墓石である。明らかに人の手によるものであり、この島に人間がいた痕跡だった。
墓石を調べてみたが、何も書かれていない。気味悪く思いながらも墓穴に降りてみた。もしここで死んだのなら、骨が残っているはずだ。
だが、獣の餌にでもなったのか骨はどこにもなく、代わりに信じられないものが見つかった。
それは錆びた腕時計だった。銀色のロレックス製の腕時計。時計盤の裏には「Y.R.1996.4.24」と彫られている。
それは私のイニシャルと誕生日だった。そして、驚くべきことに、同様のものが私の腕にあるロレックスにも彫られていたのだ。
こんな偶然が有り得るだろうか。この錆びた腕時計は、私の腕時計そのものだったのだ。
私は名状しがたい不安に襲われて逃げ出し、二度とその場所に近づかなかった。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
私は様々な場所で、古びた腕時計を見つけた。洞窟の中で、大木の虚の中で、泉の底で。
今まで十二個の腕時計を見つけ、それらの全てに例の文字と数字が彫られていた。
その事実が何を意味するのか、はっきりとしたことは解らない。
ただ、白い砂浜に座り、碧い海を眺めていると、ふと、こんなことを考える。
何時の日か、また、「私」が流れ着くのではないか、と。
片手に箸、片手にスマホ。真剣な顔で親指を動かしてはいるが、一向に飯を食う気はないらしい。
「なに真剣に見てんだよ」
食べ終わって立ち上がるときに声をかけた。真剣に見ているスマホを覗き込むと、マッチングサイトだった。
「結婚したいの?」
驚きだった。そんなの興味ないと思っていたから。
「う〜ん……」
聞いてんのか聞いてないのかわかんない適当な返事で、溜息が出る。
自分の食べ終わった残骸だけ片づける。
「とりあえず、早く飯食えよ」
じゃぁな、と荷物を持って自分の部屋に戻った。
翌日、ヤツの部屋に行くとテーブルには昨日の晩御飯がそのまま置いてあって、まだスマホを見ていた。今朝、出てこないと思ったら……。
「昨日からそうしてんの?」
とりあえず、昨日の晩御飯を片付ける。
「え?」
驚いたようにこっちを見る。
「昨日からずっとか?」
よく電池もっているな、と思ったら、スマホからコードが伸びていた。
「もうそんな時間?」
はぁ。大きな溜息が出る。
「好きな人でもできた?」と適当に言ったら、急にスマホから顔を上げてこちらを見た。
マジか。え、誰?
好奇心が芽生えて、顔に出る。
「でも、望み無いんだ」悲しそうに笑う。
結婚したら諦めもつくかな、そう思ってサイトを漁っているらしい。
「でも、好きじゃない人とセックスってできるのかな気になって」
「どんな心配してんだよ」思わず苦笑する。
買ってきた晩御飯をテーブルに並べる。
「ちょっと距離を置いてみたら、気分変わるんじゃね?」
「そうかな〜」
「わかんねーけど。どうせお前のことだから、毎日見てはウジウジしてんだろ?」
箸を取りにキッチンに向かう。
「だったら、見ない方がいいんじゃね?」
正解なんてわかんねーけど。
食べ終わった残骸を片づける。
「あ、明日出張だから来ねーけど、ちゃんと飯食えよ」
帰ろうと荷物を持った時に思い出して、そう言って部屋を出た。
翌々日。
出張土産を持って、いつも通り夜部屋に寄ったら玄関に鍵がかかっていた。
どっかでかけてんのか、こんな時間に?
そう思って自分の部屋に戻ったんだけど、それからしばらくヤツとは会えなくなった。
ふたり分の晩飯を買って帰るかどうか迷うようになったとき、たまたま他の住人とヤツの話した。
そしたら、朝は見かけないけど、夕方は定位置にいると言う。
もしかして避けられてる?
なんで? 心当たりがない。
隣の部屋と繋がっている壁を眺める。
どういうこと?
気になって仕方なかった。
「兄ちゃん、火ぃ貸してくれよ」
喫煙室で声をかけられた。中肉中背、くたびれたグレーのスーツに臙脂のネクタイ。顔に靄がかかっててよく見えない。
胸ポケットからライターを取り、どうぞと出しても相手は受け取らない。仕方なく擦って火をつけると、無骨な手の向こう、眩しそうに細められる目が見えた。すまんねえと声が言う。ふーっと吐き出された煙で室内が曇る。換気扇仕事しろ。
俺が黒い機器を取り出すと、声の主は笑った。
「電子かよ。なんでライター持ってんだ」
「両方吸うんですけど、ちょうど切らしてて」
「何でもかんでも電子にしやがって。そのうち人間も電子になっちまうぞ」
曖昧に笑って、当の電子を咥えて軽く吸う。手順と成分が似ていれば割と満足感が得られる。騙されてるような気もするが、煙草に限った話じゃない。
吸いながら室内を眺める。ヤニが染みたセピア色の壁。フィルタが汚れて副流煙を吐くエアコン。灰のこびりついた灰皿。
と、ひしゃげた紙箱が目の前に差し出された。中には茶味を帯びた煙草が五本。
「やるよ、火のお礼だ。吸ってみな」
怪しさよりも好奇心が先に立った。一本咥えて火をつける。
俺は南の海にいた。
湿った風、潮の匂い、白い砂浜。見渡す限りのエメラルドグリーン、泡立ち寄せては返す波。
びっくりして口を離した。かすかな潮気が舌の上に残っている。
「うまいだろ」
「何すか、これ」
「俺が巻いた。危ないもんじゃねえよ。ニコチンすら入ってねえ。気に入らなきゃ捨ててくれていい……つっても、そんなこたあしねえよな。頼まれたんだろ?」
「……俺が初めてじゃないんすね」
「記憶を持たねえとでも思ったか? ま、そりゃそうか。あいつらにとっちゃ、俺なんざ電子部品の製造機にすぎねえ」
窓もドアもない喫煙室で、もう一度煙草を咥える。波の音のなか、俺とおっさんは並んで海を眺めた。
「ここ、出ませんか」
相手は諦めたように笑って、首を振った。
「そいつは俺の最高傑作なんだ。誰かに吸ってもらえれば、それでいい」
「物を出せ」
ログアウトした直後の路地裏で、黒ずくめの取り立て屋が待っていた。
「嫌だね」
吐き捨てて相手の顔面に発砲。反撃を避けて逃げる。背後から銃声。
鼻の奥で潮の匂いが揺れる。
これまでも果たさなかった依頼はあったが、今回は高くつきそうだ。騙されてるような気もする。ただ少なくとも、いま俺を満たし、動かしてる感覚は電子じゃない。
「こいつ、噛みついたりはしないかな」
俺は、子どもを買うのは初めてだったので、売人にいろいろと質問をした。
「別に、しっぽや角が生えてても普通の子どもと同じですし、おとなしいもんですよ」
でもこいつ、俺のことをずっと睨んでいるんだが。
「ああ、睨むのはいつものことでして」
俺は、値段が安かったのでその子どもを買い、首に繋がれた縄を引いて家に連れ帰った。
家に着いて気づいたのだが、子どもは、俺が話かけてもウーとかアーとかしか言えない。
これじゃあどうしようもないなと思って、急いで市場に戻ったのだが、すでに売人はどこにもいなかった。
「その子誰なの? すごくかわいいね!」
声の主は、家の近所に住むメガネをかけた女性で、たまに道端で話したりする程度の人だ。
「ほら、わたしのことをまん丸い目でずっと見てるし、おまけに、かわいいしっぽや角まで……」
彼女はずっと俺の家まで着いてきて、子どもを抱きしめたり、食事を作って食べさせたりした。
いったん彼女は帰ったが、次の日も、そのまた次の日も家に来て子どもの世話をした。
それで、いちいちドアを開けるのも面倒になった俺は、あるとき彼女に家の鍵を渡した。
「もういっそのこと、わたしたちが結婚したら鍵なんて必要ないと思うの」
しばらくして突然、彼女からそう言われたときはさすがに驚いたが、彼女のことは嫌いじゃないし、別にいいかと思って俺たちは結婚した。
その後、子どもが学校へ通い始めると、しっぽや角のせいでイジメられるようになった。
相手の親に法的手段に出る用意があると脅したら、彼らは急に神妙な顔になって、案外上手く事が収まった。
「さすがパパね」
彼女はそう褒めてくれたが、ただのハッタリだ。
「でも、あなたが子どもを守ろうとする姿に、わたしキュンとしたの」
そんな無邪気な女性だったけれど、子どもが十四歳になったときに、彼女は交通事故で死んでしまった。
彼女が死んだあと、子どもと二人きりでいると、まったく会話が続かなくて家に気まずい空気が漂った。
そして二十四歳になった彼は、恋人を見つけて結婚し、俺の元から離れることになった。
「ママからは、たくさんの愛情をもらいました」
彼は、結婚式のスピーチでそう言った。
「さらに、今、僕が人間としてここに立っていられるのは、あのときパパが、気まぐれにも僕を買ってくれたおかげで、嫌々ながらでも僕を育ててくれたおかげです」