第232期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 真っ白な世界 千春 942
2 呪文 Yasu 982
3 落天使 プロット小説 千載納言 906
4 シンデレラックス テックスロー 1000
5 受精 たなかなつみ 1000
6 雄弁は銀メッキ なこのたいばん 462
7 メモリーバンク 蘇泉 996
8 時代考証 志菩龍彦 999
9 会社のトイレの窓が低い 朝飯抜太郎 1000
10 女子寮 euReka 1000
11 帰宅部の活動 Y.田中 崖 1000
12 フグ村フグ太くん 宇加谷 研一郎 1000
13 ボクの不安の8割はキミでできている わがまま娘 991

#1

真っ白な世界

断絶。

僕の目の前の景色だ。
誰とも決して繋がることのない世界。僕はここを選んでやってきた。僕は正しかったはずだった。
白い壁に囲まれたこのだだっ広い空間に、僕は自ら身を置くことを決めた。机と椅子が一組。遠くから微かにショパンが聞こえる。音楽はここでの孤独をより際立たせた。それは僕の望んだ空間だ。
僕がここを選んだ理由。それはどこも同じだからだ。僕にとっては誰がいようがいまいが、何があろうがなかろうが、何の変化もない。だったら煩わしくない方がいい。僕は無機質な環境を求めていた。誰にも何にも干渉されない、ただ白く広がる世界。何かを生み出したいなんて考えもしない。ただ命を消費するだけの静かな空間が欲しかった。
そもそも「命」なんて響きもひどく嫌悪していた。どこか暖かみを帯びたその言葉は僕の心に波風を立てる。ただ冷たく、ただ静かに過ごしたい。一瞬の波動も僕には煩わしいものだった。

だがある日、夢を見た。

僕が子供の頃、両親や兄弟と公園を走り回っている夢だ。まだ声変わりしていない僕の笑い声が高く響く。父がおどけながらそれを追いかける。周りの家族がそれを見てまた笑う。外を見ればそこら中に溢れている日常の風景がただただ懐かしかった。
目が覚めると僕は泣いていた。懐かしさと狂おしい程の愛おしさ。こんな感情は二度とわかないと思っていた。家族の幸せだった記憶が僕の心を呼び起こしてしまった。
僕の体の真ん中に巣くっていたものは「孤独」という名前だった。僕はそれを抱えながら、いつしかその重さに耐えきれなくなってしまった。僕は全てを投げ出した。孤独と一緒に大切なものも全て投げ出した。そうしないと潰れてしまいそうだったからだ。亡くしてしまった大切な家族。僕の幸せはもうどこにもない。そう思っていた。
思い出は僕を優しく包み込む。心が波立つと少しだけ怖いと思った。だがすぐに気づいた。この思い出こそが僕の救いであると。思い出の中の僕たちは間違いなく幸せだった。僕の幸せだった記憶は僕が愛された記録でもあるだろう。この記憶が続く限り、僕は愛されたことを忘れずにいられるんだ。

周りの風景を見渡した。真っ白な世界。僕を一ミリも揺らさない世界だ。
僕は壁の端から一面に色を足し、真っ白な空間をカラフルに塗り直し始めた。


#2

呪文

僕の近所には勉強を教えてくれるおじいさんがいる。
お寺の住職で僕たちのような小学生向けに歴史などの勉強会を開いているいた。僕もそこの生徒の一人だ。また、おじいさんは仏教の教えなどを教える教室を開いていた。皆からおじいさんはすごく慕われていた。僕もその一人だった。
ある日、そのおじいさんに僕を含めた生徒全員が一斉に集められた。
「・・・突然、集めて皆すまないね、、、実は私はもう長くはない。お医者さんにあと良くて半年程度と言われてしまったんだ。明日、入院することになっている。本当にごめん。」
僕は当然驚いた。そして、皆も口々になんでとか噓でしょと言って泣いたり、びっくりしたりしていた。
「皆、泣き止んで、顔を上げてほしい、、そうそう良い子達だ。確かに私は長くはない。だけど、皆に残すことならできる。この言葉をぜひ覚えてほしい。『ウヨイ二ョシッイトシタワ』。これは魔よけの呪文だよ。これさえ唱えれば皆が病気になったり、悪いことが起きたりとかは無くなるよ。ただし、私が生きている内にこの言葉を一回でいいから言ってほしい。そして、守ってほしい、、分かったかい?」
はい、と弱弱しい声で言う声が幾度か聞こえた。僕もとりあえず同じように言って返した。
僕はおじいさんが教えてくれた言葉をメモして家に帰った。
早速、家でその言葉をしゃべろうとしたけど、ズボンのポケットに入れていたメモ用紙が無くなっていた。
どこかで落としたんだ__今更探そうとしてもう遅かった。
僕は記憶力もそこまでいい方ではないのですぐにおじいさんの言葉もすぐに僕は忘れてしまっていた。
当然の事だが、おじいさんは入院してしまったので、僕は何の言葉を言ったらいいかを聞けなかった。他の子にも照れ臭くて「教えてほしい」とは言えなかった。
数か月後におじいさんは亡くなった。
そこから、異変が起こった。僕の周りで次々と同級生たちが不慮の事故などで死んでいったのだ。
全員、おじいさんのところに通っていた子達だった。
そんな時に、机の引き出しから行方不明だったメモ用紙が見つかった。僕は違和感を覚えてその紙に書かれた言葉をよく読んでみた。
そして、一つの真実に僕は気が付いた。次々と皆が死んでいくはこの言葉___否、呪文のせいだと。
この文字を逆さにして読むと、次のようになった。
『私と一緒に居よう(ワタシトイッショニイヨウ)』


#3

落天使 プロット小説

 天国で住み飽きた ヤツが神様に難題を、、、 「なにがしたいの?」 、と神様。。。

男はオリーブの枝をギフトされ天国の大地、雲の足元に沈み天を見あげる、、、地上を目指す。

ほどほどの集落で道を歩く少年に会う。

その前に降りていく。 どうやらオレが見えるようだ。
 うしろの犬が訝しげな表情で見上げる。

「アっXXXXX」 子供が話しかけてくる。嬉しそうだ。
 それなのに、
 〜何か不安がきざし男は杖を振って空へ舞いあがった。
=====
 この世界。居心地がよい。 風に吹かれ舞い上がると雲の上に休める。 ギフトの枝を
トンと突くと。 雲が柔らかな台地になる寝そべると温かい陽光が気持ちよい。

 枝を振れば、雲の天蓋が広がり暗くなる。 風も止まりわずかなそよ風が残りあたたかく心地よさが満たされる。

 下を見ればあっけにとられた子供が消えた姿を捜している。 やはり、上に上がったのは
見られたようだ。 見上げている。 犬は興味を失ったのか。吠えもせず。 家への帰り道を
歩き出した。

++++

 さっき、上昇するためにオリーブの杖をトンと突いたときすこし大地に接した。 ズンっと何か重い感じがした。
 これからも大地に接すると、きっともう跳べなくなる。
 そんな予感が芽生えた。
 心地よい雲の大地に寝そべっている。

++++
 其れならば、「何がしたいの?」 とおっしゃっていた。
「何が出来るのだろう?」

男はうつ伏せになって地上を見た。すこし様子を見よう。
あの少年が言ったこと、楽しそうな声だった、理解したい。
 どこに行ったのだろう?

もし、飛べなくなるなら何処に下りよう。 

+++

 道を歩く人の行く先も知りたい。あの山の向こうにも、
 居る人たちは同じようなのだろうか?

 自分は何が出来るのだろう? 「何がしたいの?」
 神様の声が聞こえてくるようだ。

わからないから。楽しいのかもしれない。
 ああ、「何が出来るでしょう?」 お聞きすればよかった。
見送ってくれた少女の気持ち。
 周りの人々の気持ち。よくわかった。よく分かり合えたあの雲の上の世界。

++

 何が出来るだろう? すこし、様子見て何処かに降り立とう。 
 「何がしたいの?」 声が聞こえている。


#4

シンデレラックス

 舞踏会に行きたいわ、とシンデレラックスが凍えるように寒い納屋で雑巾を絞りながらついたため息がダイヤモンドダスト、こぼした涙はパールルビーサファイア、「シンデレラックス、どうしたの、こんな寒いところで、掃除は終わったのか!」納戸の扉を開けた継母と姉二人は寒さに震えるシンデレラックスが自らの分泌物で作り上げた宝飾品をまといて輝いているのを見つけてシャイニングゴールドサプライズ、お前はなぜこんなに美しいの、それはおしん的な美しさのたまものかしらとその美しさを取り除いてやろうとシンデレラックスを風呂に入れることにした。
 シンデレラックスは自らの分泌物が安物の石鹸で洗い流されていくのを見ながら、自分で自分のことを洗えるのになあ、とぼんやりと考えながら、しかし懸命に自分のことを磨いてくれる義理の家族を見ながら風呂はとってもいいわ、と継母と義理の姉二人とすっぽんぽんで風呂に(そのお屋敷にはとても大きな風呂があったのだ)入ってバブルバスを吹き飛ばすと質量を持たないパール、大粒。
 磨き上げれば上げるほど美しさを増すシンデレラックスを見ながらいじわる三人女はもういじわるであることをあきらめて、なんかシンデレラックスを汚したり貶めたりすることもないし、なんなら今自分たちはシンデレラックスをすでに嫉妬ではなく美しいと思えるくらい普通に接してるし、背中流したし、これからの家事の分担なんかも結構公平にすんなり決めた。そうするとすごい自分たちが高まったふうに感じて、けらけらけらと風呂場で反響するスパークリング哄笑に魔法使いも帰っていった。
 やっぱり風呂に入るというのはいいなあ、と髪を乾かしながら義母がそういえば明日の舞踏会、シンデレラックスも行こうよ、とごく自然に金言が口からこぼれた。シンデレラックスはもう舞踏会とかいいかなと思っていたがその言葉の重みと輝きに思わず涙「あらあらまたダイヤモンドが」義姉x2微笑。
 舞踏会、男と女がたくさん集まって踊りあうその場で、しかし場は完全に四人の、内面からにじみ出る美しさが伝播、ガラスの靴じゃ足りないわ、足りない足りない全然足りない、ブリリアントプラチナトゥシューズで刻むステップ鳴るダンスホール、王子タジタジ、ていうか俺もみんなに恥じないような立派な王子になるわと旅に出ることに決めた。
 四人娘は家に帰って、風呂に入って、十時には眠る。すごく深い眠りを眠る。


#5

受精

 道すがら行き違った人と身体が触れ合ってしまう。ごめんなさい、と軽やかに言い、その人はすれ違い行ってしまう。
 気づいたのは、また少し歩いてから。指先にわずかな違和感があり、立ち止まって見つめていると、あの、すみません、と後ろから神妙な声がかけられる。
 あなた、どこかがほつれていませんか。
 心配そうな声に振り返ると、先ほどすれ違いざまに触れた人が、やはり心配げな顔をし、様子を窺うように立っていた。
 気にしないでください、とは言ったが、その人は胸の前に掲げているわたしの指先を凝視し、身体をこわばらせてしまう。無理もない。わたしもこんなことが自分の身に起こりうることがあるなんて思ったことがなかった。
 わたしの指先からのびる白くて細い糸。それはわたしの指をほどきつつ、あなたの指に絡まってしまっていた。
 ごめんなさい、ぼくのせいですね。
 あなたはそう言い、自分の指先に絡みついている糸を慌てて解こうとする。そして、闇雲にその糸を引っぱったところ、さらに呆然とする結果を生み出してしまう。
 わたしからのびた糸に絡んで、あなたの指先もほつれ始めた。互いにのびゆく糸が絡み合い、わたしたちはどんどんほどかれていく。
 あなたが焦れば焦るほど、わたしたちは勢いをもって細い糸になりほどけていくので、わたしは無事なほうの手であなたの肩を叩き、待ったをかけた。
 焦らないで、このまま病院へ行きましょう。救急車を呼んでもいいと思う。
 わたしの言葉にやはり神妙に頷いたあなたは、今度はそちら側のわたしの手を目を丸くして見つめている。
 気づくと、そちらの指もほどけ始めていた。白くて細い糸が陽射しを弾いて鮮やかに輝き、わたしの形を失わせ、あなたを絡めとるように巻きついていく。
 あなたの身体もさらにほどけ、輝く糸となり、わたしの糸と縒り合わせられていく。わたしのほつれと呼応して。わたしの糸を熱く欲して。
 わたしたちは互いにほどかれ綯い交ぜになり、新しい形を生み出していく。互いの形を失い、新たに一個の物体になっていく。それは二本の細い糸が巻き取られた大きな人型。生まれたばかりのそれは、すでに形をなくしつつあるわたしたちに向かい、初めまして、両親、と言ったけれども、ごめんなさい、わたしたちにはあなたを育てることはもうできません。別れの挨拶をする暇もなく、わたしたちは新たに形をなした存在にすべてを絡めとられてしまう。


#6

雄弁は銀メッキ

満足そうに息を吐き、背伸びをする17時。若手社員が出社2時間で終わらせる仕事に8時間かけた男は誰よりも早くオフィスを後にする。
 
 薄くなった毛をなびかせる男の顔に笑みが溢れる理由は、最寄駅で買った80gのコンビーフにあった。
 
 日の当たらないワンルーム。早炊き設定の炊飯器から白飯を丼によそう。コンビーフも敷き詰める。
 
 丼の真ん中。白飯とコンビーフをそれらしく凹ませ、卵の黄身を落とす。

 仕事中に見せない丁寧さで黄身にだけ醤油を垂らす。マヨネーズをギザギザにかける。万能ネギも散らす。それを掻き込む。ただ掻き込む。
 
 16インチの政治家への文句は2本の発泡酒と一緒に飲み込む。彼は知っているからだ。何を言うかではなく誰が言うかが大事なことを。

 そして知っているからだ。自分の存在なんてもんは三角コーナーに居る白身と同じであることを。

カーテンは閉めずに電気だけ消してペラペラの布団に潜り込む。窓から差し込む社会の光をいっぱいに浴びて男は現実から解き放たれる。

薄れゆく意識の中で男は思う。

「ああ、今日も歯磨きしてないや。」  


#7

メモリーバンク

未来のある日
X市は、「記憶を提供し、安全を共に築く」市民キャンペーンを開始した。 同署は、犯罪者の逮捕を容易にするため、市民に記憶を提供するよう呼びかけている。 王さんは相談に来た。
Q「記憶を提供とは?
A「専用のヘルメットをかぶって、今の最新技術を使えば、しばらくは記憶を抽出することができる」
Q「プライベートなことで、人に知られたくない場合はどうすればいい?」
A「AIはプライベートな記憶とパブリックな記憶を自動的に区別し、記憶は犯罪の追跡のみに使用され、私生活には干渉しない」
Q「このシステムはどのように犯罪を追跡しているの?」
A「たとえば、犯人の顔は知っていても犯人を見たことがない人もいるし、犯人を見たことがあっても犯人だとわからない人もいる。 みんなの記憶を合わせれば、犯人の逃げ道はない! 多くの犯罪が解決される」
Q「このシステムは脳にダメージを与えないか?」
A「絶対にない。 これは非常に成熟したソリューションであり、すでに多くの人が行っている。」
そこで王さんは、ヘルメットをかぶり、記憶の提供を完了した。

数日後、王さんの携帯電話に電話がかかってきた。「王さんですか? これが「メモリー管理局」です。 数日前、記憶をご提供いただき、ありがとうございました。 2008年8月1日、あなたは○○通りのワンタン屋でワンタンを食べ、お金を払わずに帰りました。その時通りかかったおばあさんの記憶から、お金を払わなかったのはあなただと分かりました。お金を清算してください。2006年5月20日、あなたは家の敷地内でボールを蹴って隣の家の植木鉢を壊し、誰も見ていないと思い、逃げました。近所のおじいさんの記憶からあたながやったのをわかりました。今、近所の人はあなたに50元の賠償を求めています。2011年12月1日、あなたはX駅前のスーパーで偽札を使ったという濡れ衣を着せられ、100元を2枚の偽の50元とすり替えられた。 しかし、当時居合わせた他の乗客2名の記憶により、あなたが被害者であることが判明しましたので、100元をお返しします。 ワンタンと花瓶の代金を差し引いても、35元が残っています。この金額は、2営業日後に市民カードに自動的に振り込まれます。 今後、何かあればお知らせします。 良い人生を送ってください。そして、これからも定期的に思い出を提供することを忘れないでください。"


#8

時代考証

 冷え切った部屋で泥のように眠りこんでいた斉藤を、スマホの着信音が叩き起こした。
 寝惚け眼で画面を見ると、相手は同僚の記者だった。表示されている時間は午前七時。寝入ったのが三時前だったから、ほんの数時間しか眠れていない。
「……何の用だよ、朝っぱらから」
 不機嫌な口調で電話に出ると、返ってきたのは興奮した同僚の声だった。
「テレビつけてみろ。大阪、神戸が凄いことになってるぞ」
 急かす同僚に不満を呟きながら、斉藤は薄型4Kテレビのスイッチをつけた。
 そして、絶句した。
 画面に映し出されたのは、倒壊し燃えている家々だった。道路は寸断され、高速道路は瓦礫と化している。ヘリから生中継されているの街の様子は、まるで戦場のようだった。
 一九九五年一月十七日――阪神・淡路大震災の日の朝は、こうして始まった。

「ちょっと待ってください。監督、カメラ止めて」

 甲高い男の声が響き渡り、思わず新聞記者の斉藤――を演じていた青年は、撮影中なのも忘れて、そちらに目をやった。彼だけではない、他の役者陣や撮影スタッフも同様である。
 白髪頭の男が、顰めっ面で監督の方に近づいていこうとしていた。
 このドラマの時代考証を担当している樺島という学者である。
「あれは、どういうことです?」
 樺島に詰め寄られた監督は、「またか」という顔で嘆息し、
「何がです?」
「あのスマートフォンですよ。一九九五年当時、あんなものは存在してません。あのテレビもです。何度も説明したでしょう」
「でもねえ、視聴者はそこまで気にしませんよ。なにせ百年前の出来事ですからね。当時の文化風俗のことを詳しく……」
「だったら、時代劇に時代考証担当なんていらないでしょうが」
 食ってかかる樺島に、監督は心底辟易した様子で、何かと弁明をしている。
 完全に撮影が止まってしまい、セットから降りた斉藤役の青年は、スタッフに、
「何を揉めてるんです?」
 尋ねられたスタッフは、彼の持つスマホを指差し、
「そのマテリアルデバイスが時代に合ってないんだと」
 二二世紀の今日では、脳内チップによってあらゆる情報に直接アクセス出来る。
「昔の人はこんなので会話してたんですね」
 揉めている制作陣を余所に、彼はしげしげとスマホを見つめた。
「信じられないよな。まあ、こういうのも時代劇の醍醐味だよ」
 スタッフは苦笑しながら、脳内にて別の人間にアクセスし、撮影がさらに遅れそうな旨を伝えた。


#9

会社のトイレの窓が低い

 会社のトイレの窓が低い。いや、それだけの話。

 窓は一番奥の壁にある。片側を押して開けるタイプの窓で、高さが2m、幅が90cmくらいある。でかい。全開した窓に、腕をクロスしたままスッと消える自分を妄想する。4Fなので死ぬ。
 この窓の高さが、俺の腰の下くらいしかない。いつも用を足した後、恐る恐る下を覗いて、体の真ん中がひやっとしてやめる。
 俺は思う。
 この窓は魅力的すぎる。
 表面張力ギリギリの人に、最後の一押しがあったとき、例えば、先っぽがくっついてあらぬ方向に飛んだおしっこが足にかかったときとか、おちんちんをしまった後に残尿がパンツと太ももを濡らしたとき、この窓はどう映る? 俺は心配になる。
 誰かに話したいけれど、この危機感はあんまり理解されない気がして、逆に理解できる人には伝えてはいけない気がして、ずっと言えないでいた。

 それが飲み会で口をすべらせてしまい、次の日に同僚の林田が、わざわざトイレを見に来た。
「これですか。確かに雰囲気ありますね」
「下の階も同じだろ」
「いや、これはなんか、違う気が」
 林田はじっと窓を見ている。俺は何だか、まずい気持ちになった。
 もういいだろと切り上げようとして、
「これは扉ですよ」
 確かに、林田はそう言ったと思う。気づいたら、助走をつけてジャンプした林田が腕をクロスしたまま窓に飛び込んでいた。
 俺の心臓の音が突然、バクバクと鳴りだして、他の音が消えた。
 落ちた?
 窓には光が満ちていた。眩しい。マジか。そこは、『外』か?
 扉なら、今度は高すぎるな。
 俺は、思い切り床を蹴ろうと、足に力を込めたところで、グイッと腕を掴まれて、バランスを崩し後ろに倒れた。
「何やってんですか!」
 ブワッと一気に感覚が戻った。窓から吹く風、窓の外のビルの外壁の色と、車の音。冷たい床の質感。
 俺を見下ろすのは同じ部署の同僚。
「林田さん、何やってんですか」
「窓から飛び降りたんだ」
「誰が?」
 林田が。
 いや、林田は俺か。
 もうおしっこ止まりましたよと言って同僚は俺を立たせ、そのまま俺を課長の所に連れて行く。俺はそのまま年休を取り、次の日に病院に行った。ただ月曜日には出社して、それからは普通に仕事をしている。

 今でもトイレに行くとやはり、まだ手すりも何にもついてない、あの窓を見る。
 あの窓がもう一度。
 俺の前で開いたら。
 俺はどうなってしまうのだろう、と他人事のように思う。


#10

女子寮

 道で声をかけられたので振り返ったら、見覚えのある女性が立っていた。
「悪い夢でも見たようなひどい顔をしてるけど、あなた大丈夫?」
 そう彼女は言うが、私にはいったい誰なのか思い出せない。
 でもこういうときは、相手に失礼がないよう適当に話を合わせておくのが無難だ。
「すぐ近くにわたしの住んでる寮があるから、ちょっと休んでいかない?」
 彼女に手を引かれて三十秒も歩くと、確かに、学生寮らしき鉄筋コンクリート造の建物に着いた。
 女子寮みたいなので、私のような男性が入っていいものかと焦った。
 でも、寮の中で何人かの女性とすれ違っても、特に私にことを気にしている様子はなかった。
「ここがわたしの部屋よ」
 そう言って彼女は部屋のドアを開け、私の背中を軽く押した。
 部屋は六畳ほどの広さで、ベッドと勉強机と、小さなテーブルが置いてあるだけ。
 彼女は、私を小さなテーブルの前に座らせると、ちょっと待っててと言ったあと、湯気の立つココアを持ってきた。
 私は、舌をやけどしながらココアを飲んだが、胃が温かくなって気持ちが少し落ち着いた。
「男の人を部屋に入れたのは初めてだけど、あなたなら別に構わないわ」
 私は、彼女にありがとうとお礼を言うだけで精一杯で、それ以上何を話したらいいのか分からなかった。
「わたしは、あなたの心の中に棲む女性で、たまたま近くにいるのを見かけたから声をかけたの」
 え?
「あなたが、何となくわたしに見覚えがあったのはそのせいで、わたしは、あなたの心です」
 私は、ただフリーズするだけで何も言葉を返せない。
「昨日の夜、あなたは学校に遅刻する夢を見て、その前の夜は、地下の洞窟をさまよう夢を見た」
 確かに私は、そんな夢を見たと思う。
「わたしもたまに、あなたの夢に登場するのだけど、あなたはいろんな問題を解決するのに必死で、わたしに構ってくれることがあまりないのよね」
 君の話は何となく本当だと思うけれど、なぜ君は現実の世界にいるんだい?
「わたしにも人間としての人生があってね、今は大学生で、いろんなことを勉強してるの」

 お互いの会話が煮詰まったところで、彼女が、ちょっと散歩でもしましょうと言った。
「いきなりこんな話をして、あなたを混乱させてしまったかもしれないけれど」
 私たちは、寮の裏手にある川沿いの道を二人で歩いた。
「あなたが背中を丸めて青い顔をしていたから、思わずわたし、声をかけてしまったの」


#11

帰宅部の活動

 ホームルームが終わると真っ先に教室を飛び出す。廊下に人影はない、スタートダッシュ成功。大股でリノリウムを蹴る、きゅっという音。スカートに配慮しつつ速度を落とさないギリギリのライン。階段に到達すると背後でC組の戸が開く。名前を呼ばれた私は踊り場に跳んでいて、着地した足でターンする、きゅっ、そしてまた跳躍。意識が遅れてついてくる、アサノだ、呼んだのは。下駄箱から靴を取り出し同時に上履きをしまう。アサノがばたばた階段を下りる音を聞きながら外へ。

「なんでそんなに足速いんだよ」
 去年の帰り道が自動再生、夕焼けに照らされたアサノの真剣な表情。なんでだろうね。陸上部に勧誘されたけど断っちゃった。
「コヤスは走ってるっていうか飛んでるだろ、背高いからってずるいぞ」
 これは小学生のころ言われたんだっけ。バレー部とバスケ部にも誘われたなあ。結局安定の帰宅部なんだけど。
「でもアサノも一緒でしょ?」

 校門を出る。体育の先生が叫ぶ、こけるなよとかなんとか。はーいせんせーさよーならーと手を振り、あれ、走るなよだったかな、まあいっか。ホップステップジャンプ、角を曲がる。
 右足の靴裏がざりっとアスファルトを擦り、流れるように左手で触れる左耳、右手人差し指、最後に右眉。視界の端にログインの文字を確認して坂道を下る。
 左下のマップに蛍光色で表示される今日のコース、現在三位。二位は大通りにさしかかったミツイ先輩。三年B組六時限目自習ですよねフライングずるくないですか。まあでも抜きますけど。下校中小学生集団に行く手を阻まれた先輩、を横目にガードレールの上でステップを踏む。くそっ、待て。待ちません。飛び降りる。赤信号で車道に踏み出した小学生男子のシャツを掴んで引き止め、横断歩道を渡りきると、先輩とアサノの順位が替わっている。小学生たちに手を振ってまた走り出す。
 前方の古い歩道橋、階段を四段飛ばしでひらりと上る制服。ガードレール・ポスト・フェンスを足蹴に踊り場に着地、少し冷や汗。私も四段飛ばして三歩で上りきる。歩道橋の真ん中に小学生が四人集まって、男子が一人フェンスを越えようとしているのを慌てて止める。あのお姉ちゃんがランドセル投げた、と隣の女子が半べそで指さす先に不敵な笑みと一位の旗。
「コヤス!」追いついたアサノの声。「ここは俺に任せて行け!」
 無言で頷いて私は飛ぶ。今日こそあのバカ姉貴に引導を渡してやる。


#12

フグ村フグ太くん

ふーぐた
ふぐたっふーぐたー
ふーーぐた
ふぐた、ふーーぐたー
ふぐふぐふーぐ
ふーーぐったー
ふぐふぐふぅーぐたー
ふぐむらっふーぐたぁー

大富豪の息子はその当時、酔っぱらうと歌った。この歌はフグ村フグ太というタイトルで、彼は僕のことをフグ太とよんだ。だが僕の名前はフグ村でもフグ太でもない。

大富豪の息子はフランス帰りの帰国子女だった。どうして大富豪の帰国子女が縄文土器のようなアパートに住む僕と知り合ったかはまた別に話すとして、彼は必ず僕と会うときは僕のアパートに爺やの運転するロールズロイスでやってくるのだった。

爺やはアパートに入ってこなかったが、彼は女友達(必ず2人いてどちらも日本語が話せない外国人だった)を連れていて、2DKの僕の部屋いっぱいに彼らの良い匂いが広がるのだった。

僕はよくJAZZをかけた。なぜなら彼が喜んだからだ。大富豪はJAZZなんて聞かないのかもしれない。ビルエヴァンスをきいて「ロブスターを薄い大根でくるんだようなピアノ曲だね」といっていたのを思い出す。

僕はロブスターを食べたことがなかったから、海老を大根で巻いた図を想像してみたけれども薄い大根というのもよくわからなくて生春巻きみたいなものかなと思ったが、その例えはエヴァンスとズレている気がした。

ウーバーイーツなんて便利なシステムがなかった頃だけど、大富豪は昔からウーバーイーツ的な仕組みをもっていた。彼の爺やがシャンパンやチーズ、ポテトが添えられた鴨肉をもってきてくれるのだ。

「わたくしの住む世界はね、抑制こそが大事なんだ」と彼は言った。彼の女友達は日本語がわからないにもかかわらず、うっとりと彼をみつめていた。ときどき彼は女友達に英語で話していた。僕は英検5級だからよくわからない。

彼が言う「抑制」というのが僕には理解できなかった。彼は爺やの運転する高級車にのって、美しい女たちを連れ歩き、ロブスターを大根で巻いて食べている。そのどこに抑制があったのだろう?

彼はそうしてオレンジジュースで割ったシャンパンをたらふく飲んで、ふーぐたふぐたふーぐた、と唄を歌って日が暮れると帰っていった。そういう日々がしばらく続いたあと連絡がとれなくなって、もう十数年たつ。ときどき彼の優雅な世界を僕はニュースで知る程度だ。

僕はときどき、奥さんのことをフグ村フグ太くん!と呼ぶことがある。なによフグ太って!と妻は言っていたが、今はもう慣れている。


#13

ボクの不安の8割はキミでできている

日曜日のお昼。
ボクの隣でうどんをすするキミ。
ふたりしかいないダイニングテーブルで、ボクとキミは並んで座って窓の外を眺めながらご飯を食べる。お義母さんが生きていた時の名残で、深い意味はない。
嫌いな人の横に座ると、嫌いな人の顔を見なくていいとか聞いたことがあるけど、ボクはキミの正面より、隣に座っていたいなって思う。
キミの正面に座っていたら、今日みたいにキミがうつむいているとなかなかキミの顔が見れないけど、隣だとよく見えるでしょ?
ジッと見てたら、食べたいの? と、キミがボクに箸でつまんでいろんなものを目の前に持ってくるけど、それも対面だと距離が遠いよね。
テーブルを挟んで対面って、意外と距離があるんだよ。
だから、ボクはキミの隣が良いなって思ってる。
ちょっと手を伸ばせばキミに届くこの距離が、ボクは好きだ。

キミとボクの時間が交わっているときは、とにかくボクがキミに触りたい。ボクがキミを見ていたい。
一方的にボクがキミのことを好きなんだ。そんなことわかってる。でも、キミもボクのこと好きだって言ってくれる。
「本当にボクのこと、好き?」
「ん?」
キミがうどんをくわえたままボクの方を見た。
はっと気が付いて「ゴメン、なんでもない」と慌てて、ボクはうどんをすする。
「変なの」と呟いて、キミもうどんをすする。
暫くして、「好きな人、できた?」ってキミが空になったどんぶりを見つめながら言った。
「なんで?」急に不安になる。なんでそんなこと言うの?
「さっきの、久しぶりに聞いたから。天秤にかけられたのかと思ったの」
天秤? なんの?
キミはどんぶりを流し台で洗い始めた。

一緒にテレビを見ている時だった。
「離婚届、明日貰ってきたらいい?」
「え?」どっから離婚届の話になったの?
明日帰ってきて、ここに離婚届が置いてあったらボクはどうしたらいいの?
キミから「離婚届、貰ってきたよ」って渡されたら、ボクはどうしたらいいの?
大きな不安に襲われる。
「手元にあったら、安心するのかな? って思って」
「誰が?」
「あっくん?」
「ボク?!」ビックリして、大きな声が出た。
「そんなのあったら逆に不安だから、持ってきちゃだめだよ」
ここに離婚届があります、なんて心臓に悪すぎる。
ボクの不安の8割はキミでできているんだけど、その9割はボクの想像を超えた発想をするキミからボクが不用意に招いてるんだと、結婚5年目にして初めて気が付いた。


編集: 短編