第232期 #10
道で声をかけられたので振り返ったら、見覚えのある女性が立っていた。
「悪い夢でも見たようなひどい顔をしてるけど、あなた大丈夫?」
そう彼女は言うが、私にはいったい誰なのか思い出せない。
でもこういうときは、相手に失礼がないよう適当に話を合わせておくのが無難だ。
「すぐ近くにわたしの住んでる寮があるから、ちょっと休んでいかない?」
彼女に手を引かれて三十秒も歩くと、確かに、学生寮らしき鉄筋コンクリート造の建物に着いた。
女子寮みたいなので、私のような男性が入っていいものかと焦った。
でも、寮の中で何人かの女性とすれ違っても、特に私にことを気にしている様子はなかった。
「ここがわたしの部屋よ」
そう言って彼女は部屋のドアを開け、私の背中を軽く押した。
部屋は六畳ほどの広さで、ベッドと勉強机と、小さなテーブルが置いてあるだけ。
彼女は、私を小さなテーブルの前に座らせると、ちょっと待っててと言ったあと、湯気の立つココアを持ってきた。
私は、舌をやけどしながらココアを飲んだが、胃が温かくなって気持ちが少し落ち着いた。
「男の人を部屋に入れたのは初めてだけど、あなたなら別に構わないわ」
私は、彼女にありがとうとお礼を言うだけで精一杯で、それ以上何を話したらいいのか分からなかった。
「わたしは、あなたの心の中に棲む女性で、たまたま近くにいるのを見かけたから声をかけたの」
え?
「あなたが、何となくわたしに見覚えがあったのはそのせいで、わたしは、あなたの心です」
私は、ただフリーズするだけで何も言葉を返せない。
「昨日の夜、あなたは学校に遅刻する夢を見て、その前の夜は、地下の洞窟をさまよう夢を見た」
確かに私は、そんな夢を見たと思う。
「わたしもたまに、あなたの夢に登場するのだけど、あなたはいろんな問題を解決するのに必死で、わたしに構ってくれることがあまりないのよね」
君の話は何となく本当だと思うけれど、なぜ君は現実の世界にいるんだい?
「わたしにも人間としての人生があってね、今は大学生で、いろんなことを勉強してるの」
お互いの会話が煮詰まったところで、彼女が、ちょっと散歩でもしましょうと言った。
「いきなりこんな話をして、あなたを混乱させてしまったかもしれないけれど」
私たちは、寮の裏手にある川沿いの道を二人で歩いた。
「あなたが背中を丸めて青い顔をしていたから、思わずわたし、声をかけてしまったの」