第231期 #1
「龍天に昇りて流木置き場かな」という俳句ができて気に入ったことがあったのだが、俳句としては写実性に欠いているのは自分でもわかっていた。これは、三月の大潮の時期に東京湾の葛西臨海公園というところを散歩していて得た句だった。広い砂浜があって、そこに打ち寄せられた流木が円環状に集められて積み上げられている場所があった。その高さはちょうど目の高さほどもあった。円環の直径は十メートルほどで、キャンプファイヤというには大きすぎ、さながら龍の巣のような威容があった。中を覗くと瓦礫などがまとめて置かれていた。三月というのは風が強い時期で、凧が面白い時期であるらしかった。砂浜は途中から草地になっていて、そこに凧同好会のテントがいくつも張ってあった。彼らは日がな一日そこで凧をあげているらしかった。草地の真ん中にポツンと仰向けに寝ている人がいた。何をしているのかと思ったが、彼の手から糸が伸びていた。糸は天につながっていて、爪の先ほどに小さくなった凧が空で風を受けていた。その凧は虹色であり尻尾があった。また別の凧は、空中で静止させたり、回転させたりできる、操作性の高い最新式のものであって、感心して眺めていると、その凧の持ち主が凧をもたせてくれた。操作は難しかった。しかし凧が風を受ける感覚が糸を通して手に伝わってくる、その風の重さが好ましかった。凧の主は何をしに来たのと私に聞いた。私は句会の題材の「雲雀」を見たことがないので探しに来たと答えた。インターネットで探したところ、葛西臨海公園の海岸では雲雀が営巣すると書いてあったのだ。凧の主は「雲雀はいるが、まだ時期が早い」と言った。卵を見たことがあると言った。右手の親指と人差し指で輪を作って、「これくらいの大きさで、とても綺麗だよ」と言った。
「雲雀野やアルミの蓋の開けごたえ」。結局実物を見たことがないまま雲雀を詠うことになってしまった。三十人弱の句会で最高点の八点を取ったが、先生から物言いがついた。「"アルミの蓋"が曖昧な表現でなんの蓋かわからん」。確かにそうなのだが。ごはんを詰めたアルマイトの弁当箱の蓋でも、炊き出しの豚汁のアルミの大型鍋の蓋でも、ボトル型缶コーヒーの蓋でも、各々好きな蓋を想像してもらうってわけにはいかないのですか!?と思ったが、聞けなかった。本命の「寝る人の指より糸や凧虹色」は見向きもされず零点。「龍天に〜」は出せなかった。