第23期 #7
昼休みの教室の騒々しさを逃れ、私はベランダにいた。3月の風は思ったよりも冷たいが、それでも陽射しに春の気配を感じた。ベランダには、少し離れた所に木村康則がいて、ベランダの柵に寄りかかり、窓の閉ざされた教室の方を見ていた。そんなことは私にとってどうでもよいことで、それよりも手にした推理小説の展開に、目下心を奪われていた。
「何でこんな狭いところにこんな人数がいるんだろうな。」
木村康則がこちらに聞こえるような声でそう呟いたが、別に気にも留めず、私は本から目を離さなかった。今回は愛すべきヘイスティングスが登場しないため、物語は真剣味3割り増しなのだ。
突然木村康則がさっとベランダの柵を乗り越えた。私はびっくりして、思わず顔を上げた。木村康則は両手で柵をつかみ、数センチのベランダの淵につま先だけを引っ掛け、ちょうど柵を挟んで私と向き合うように立った。
「、、ちょっと、何してんのよ」
すっと木村は視線を私に移した。
午後の柔らかい光が木村をなぞり、先生が注意しても改めない、茶色い髪の毛先がきらきら光る。ベランダの外の景色を背景にしている様は、合成写真のようだった。
「馬鹿なことやめなさいよ、4階だよ、ここ」
「馬鹿なこと?そんな狭いところに閉じ込められてんのと、こっちの自由とどっちが馬鹿なこと?」
何を言ってるのかと、言い返す言葉を捜しているうちに、木村は足をベランダからはずした。がくんと体重が両手にかかる。柵をつかむその指の色が、だんだん白っぽくなっていき、ずずっずずっと柵を滑っていく。
「ちょっと!!危ないよ!!」
私は木村に駆け寄る。本が手から落ち、ばさりと音を立てた。その体はもう半分以上ベランダの下にぶら下がっている。
ベランダにしゃがみこみ手を差し伸べ、指に触れた瞬間、木村はぱっと手を離した。見つめていた色素の薄い瞳が目の前からふっと消えた。
私は飛び上がるように立ち上がって、ベランダから身を乗り出し、消えていった先を見た。
木村康則は3階のベランダから、眩しそうににこちらを見上げていた。私を確認すると、にやりと笑って、そのまま2年生の教室に入っていった。
私はすっかり腰が抜けたように、ベランダの柵に身を預けながら座り込んだ。教室の喧騒よりもうるさく、いつまでも激しく打ち続ける心臓を、ブラウスの上から強く掴む。