第23期 #19

ゾンビハウス

風の音で目覚めたとき、ローソクが部屋を灯していることに気がついた。側に女が立っている。右手にナイフ。夢かと思った。しかし夢にしては色がはっきりしている。女はバットマンのイラストが描かれたワンピースを着ていた。細くつりあがった目をしている。私は声を出そうとしたが無理だった。金縛りだ。女は私の顔をじっと見ていた。目ではなく唇を見ている――私は自分のぶ厚い唇を気にしていた。女はローソクを左手に持って私に近づき、しまいには私の腹の上にまたがった。そして唇にナイフをあてた。ローソクを持った左手が目に近づく。炎に溶けたロウが私の瞳に落ちてきた。まず右目。つぎに左目。まばたきもできない。ロウの温度は高くない。しかし眼球におちたロウは水晶体を破壊する力は十分に持っている。

目の中が燃えているあいだ、これは夢だ、夢に違いない、と思い続けた。味わったことのない痛みと、ぶれはじめた視界でこのまま夢がさめてくれればいいと思った。やがて目の前が闇に変わった。女は初めて声をだした。笑い声だった。最初にハハハ、次にヒヒヒ。ハ行の笑い声が終わるとナイフの刃で私の身体をたたき始めた。ペタペタ音がする。冷ややかな感じが伝わってきた。しかし私の身体は全く反応しない。私は割と冷静になっていた。もし身体が動くのであれば抵抗する。あるいは恐怖で気を失うかもしれない。何も出来ない場合だと、恐怖はあっても実感がない。別の誰かの痛みを受けているようだ。私は本当に私を生きているのだろうか? そんなことを考えている間も女はナイフで遊んでいる。不意に扉が開く音がした。視力はなくなっていたが、隣室の強烈な光は盲目の私にもわかる。

「おいバットマン! 悪いことするとスパイダーマンがやっつけるぞ」男の声だった。二人は大きな声で笑った。

「あたしこの人の目玉にロウ垂らしちゃった、あんたのパパにばれないかしら」

「気にするなよ、こいつは脳死なんだから。だいたい薬物心中失敗のバカなんだぜ」

私の右腕に血液が流れていくのがわかった。記憶と温もりが戻ってくる。幸運なことに左目もかすかに使えるみたいだ。腹の上には女が置きっぱなしのナイフがある。私には3つの選択肢があった。私は選ばなければいけない。
 
二人が抱擁している間、私はそっと右手でナイフを掴み、音をたてないように注意していじくりまわしながら、待っていた。


Copyright © 2004 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編