第229期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 <住原桂花 突然の前髪ぱっつん姿に「まるで天使」「最高にかわいい」ネットで反響> テックスロー 1000
2 何に困ってるの?  小説作家になろう 71
3 父親の背すじ 朝飯抜太郎 1000
4 おはようみそ汁 いぶき 999
5 スナック・オア・ドリンク? 千春 995
6 琴の音 志菩龍彦 1000
7 月夜見 たなかなつみ 994
8 光と共に 三浦 395
9 警官と少女 euReka 1000
10 森へ Y.田中 崖 1000

#1

<住原桂花 突然の前髪ぱっつん姿に「まるで天使」「最高にかわいい」ネットで反響>

 9月2日、元花道りぼんの住原桂花がインスタグラムを更新した。住原は、自身のアカウントにて、「切りすぎちゃったかも」「自ら失敗をさらけ出していくスタイル」「#ドラマ『突然の文通』」と、コメントとハッシュタグで綴りながら、自身で切ったと思われる髪の写真や、反省がちに目を伏せる自撮り写真、開き直って画面を笑顔で見つめる写真を公開した。
 この投稿に対して、ファンからは、「まるで天使」「桂ちゃん天使の輪っか出てる」「すごいキューティクル」「最高にかわいい」「今日眠れない」「髪の毛ほしい」「何気に私服ドラマのに似てる」「いつ見ても可愛い」「そのハサミと同じハサミ、私も持ってる」「しょんぼりしてるK坊最高」「髪の毛ほしい」「おてんば姫って感じ」「エモい、ただエモい」「そのハサミは見た感じ左利き用だけど、桂ちゃん右利きだよね? あれ、鏡越し?」「眼球可愛い」「眼球可愛い」「眼球舐めたい」「眼球に誰か映ってない?」「眼球に映ってる人誰? 彼氏?」「いつもいい写真ばっかりありがとう」「この国の宝」「世界遺産」「髪の毛ほしい」「大天使」「もう神認定」「幸運の女神には前髪しかない、っていうけど、K坊前髪切ったからもう俺には手が届かない存在に」「いや、でもK坊という実体はこの世界のどこかにいるわけだし、こうやってインスタグラムを通して我々に啓示をくださっている」「そう、彼女こそが混とんとしたこの世界に秩序と安寧をもたらす全能の唯一神であり、彼女のもとに我々は統べられるべき」「神よ」といったコメントが寄せられた。

 これらのコメントを受けて、住原はインスタグラム上で神宣言を出し、自らを唯一神として登録し、すでにキリスト教、イスラム教他世界の主要な宗教とも契約を終えたと発表した。今後は女優、タレント業に加えて各宗教の主要なイベントにゲスト出演することが決まっている。住原は「いきなり忙しくなってやばし。。。インスタ更新滞るかもです。あ、ちなみに、切った髪の毛は空に放り投げたら一本一本が流星の形をとり、宇宙の全方位に飛びました! 全宇宙に! そして私の瞳に映るのはいつもあなたです。信ぜよ、さらば救われん」と、信者の心を射抜いた。文字通りの「神対応」は信者から高く評価され、いつしかそのコメント欄は「経典」と呼ばれ、連綿と続くそれは電子の海に差すまさに一筋の光となり、世界を永遠に照らし続けるのであった。


#2

何に困ってるの? 

 道に迷う。説明に困る。 どこに行きたいの? 幸せの国へ?
ああ、それなら簡単だよ。今いる時間が幸せの国だから。あぁ、そうなんだ。
 アハッハ。


#3

父親の背すじ

 怪我をさせたと聞いて、冷や汗をかいたが、ひざをすりむいただけと聞いて思わず息を吐いたのがよくなかった。電話越しに安堵を感じた担任の声が昂る。「お父さん! 怪我の程度が問題なのではありません。問題なのは〇✕△□■」すみません申し訳ありませんすぐに向かいますのでと電話を切る。やれやれ。
 娘を保育園からピックアップして、小学校までの坂道を電動自転車で登る。おやつ!と後ろから泣き声。前カゴで残暑に溶かされゆくアイス。揺れるたびに軋む卵のパック。額の汗が眼鏡の内側に落ちて視界が滲んだ。
私は今まあまあ、みじめな気持ちだが、さて息子は今どんな気持ちだろうか。

 息子が3歳のころ、わざわざ二人で近くの旅館に泊まった。窓から見える海や、家とは違う畳の匂いに、思いのほかはしゃぐ息子。それらの反応や信頼、甘え、すべてを私は独り占めにした。報いは夜にきた。息子は母がいないこと、知らない場所で寝ることに気づいて泣き出した。とにかく逃げ出そうと全身の力を駆動して、怒り、泣き叫んだ。今日は私と泊まるが明日には帰って母に会えるのだとなだめすかし、おやつで気を引こうとするも効果はなく、最後の手段の妻とのビデオ通話も、通話が終わればまた泣きじゃくる……私は無力さに打ちのめされた。
「もうかえる! かえる! ママとねる!」
 布団の上で暴れる息子が動きを止めたのは、数珠繋ぎでたまたま開いた電車の動画だった。大阪府南部、なんば駅と関西空港駅をつなぐ、青い鉄仮面じみたフォルムの特急列車ラピート。それを見た息子の目がやっと穏やかになった。就寝予定時刻はとうに過ぎていたが、私と息子はラピートの走る姿を追い続けた。やがて、息子がゆっくりと目をつぶっていき、安らかな寝息が聞こえてきて、私はその横に突っ伏した。眠る前に何とか首をねじり、可哀そうな涙のあとと、そして生まれてからずっと、今でも同じ寝顔がそこにあるのを見た。

 こういう思い出は、私の中の『父親の背すじ』を伸ばす。背すじが伸びると少し大事なものが見えるようになる。疲れや倦怠や嫌気が整理されて脇に置かれ、私は少し高い位置から現状を俯瞰できる。そうすると、もう少しだけ、私は頑張れるとわかる。あの寝顔を守るのが、今の私の一番だとわかる。
「さあ、のぼりなされ〜」機嫌を直した娘の声。
「まかせなさい」
妻の選んだコスパ最強電動自転車はこんな坂、屁でもない。楽勝だ。


#4

おはようみそ汁

空気清浄機とエアコンの無機質な作動音も寝静まった街のアパートの一室の中ではやけに大きく響く。寝室で眠る水本さんは、彼の特徴である地響きのような低い声からは想像のつかない小鳥のさえずりのような可愛らしい寝息を規則的にたてていた。家電までいびきをかいた薄暗い部屋で、俺は水本さんが目覚めるのを日が昇るよりも心待ちにする。やがて水本さんが起きて雷のように低い声で「おはよう」というと、俺は口をまごつかせながら「おはよう」と返す。俺は十二時間くらい前から起きていたし、やっとこれから眠るのに「おはよう」というのはなんとなく違和感があったからだ。

俺はフリーランスのデザイナーだ。納期とクオリティさえ守れば、生活リズムはデザイナーの自由に支配できるのだが、俺もこんなつもりはなかった。明確に思い出せないけれど、あらかた制作に熱中するあまり夜を超えてしまったのを皮切りに噛み合わなくなったのだろう歯車。再び合ったと思ったら、今度は反対の方向に回り始めて昼夜逆転生活が定着してしまった。たとえ他人と生活が反転してるとはいえ、充分に寝て、充分に働いているのだから問題ないと思ったが、カップラーメンにレトルト食品という廃れた食生活だけは、水本さんも見過ごせなかったらしく、今では水本さんの作る毎朝のできたて朝食と作り置きのバラエティに富んだおかずを昼夜食べることが義務付けられた。義務といっても当然有難い話だが、寝る前に和朝食を食べると少し惜しい。目覚めにすするみそ汁がどれだけ素晴らしいことか。

浅い眠りの淵に選挙カーが通りかかり目を覚ますと休日の真昼だった。油がぱちぱち跳ねる音とキャベツの葉がはがされる音が混じり、打楽器隊の演奏のようで、聞いていると意識も鮮明になっていく。台所を覗くとやはり水本さんが料理をしていた。手際のよい水本さんは同時に複数のおかずを完成させていく。メトロームが壊れてしまった生活をする俺の健康を下支えしてくれるおかず。野菜を切る時に大げさに揺れる水本さんの肩を陽光が温めていて、俺はそれを飽きもせずいつまでも見つめていた。

翌朝、例の低い声と共に目覚めた。熟睡のせいでまぶたは半分も開かないが、わずかに覗く隙間へ容赦なく朝日が射しこむ。湯気がのぼるみそ汁は舌をじりじりに痺れさせ食道を通ると、胃に落ちて、体中に優しい温度を広げた。思わず感嘆をこぼすと、ほぐれてきた喉で「おはよう」と言った。


#5

スナック・オア・ドリンク?

不思議な女だと思った。

身長は低く、とてもではないが痩せていると言えない体つき。パッチリ二重にはほど遠い小さな目に、低い鼻と分厚い唇。お世辞にも美人とは言い難い。
友人Aはその女と付き合っていた。周りからは「あんな女のどこがいいんだ?」と日々罵声を浴びせられていたが、Aは相手にしなかった。

「あいつの良さがわからない?まぁお前らには無理かもね」

正直僕にもあの女のどこがいいのかわからなかった。別に他の連中みたいに好き勝手言いたい放題するわけではないが、そんな僕もAの考えていることはわからなかった。
百歩譲って察するに「痘痕も靨」というやつだろう。つまりAは今現在陶酔していて現実が見えていない。何かの拍子にそういう状態に陥ってしまって、数ヶ月もすれば我に返るのではないだろうかと考えていた。そう考えれば納得はいく、と。でも一体何の拍子に?

そんな疑問を抱えながら過ごしていたある日。僕とAは一緒に帰ることになった。
「Aはなんであの子と付き合いだしたの?」
「なんだ、お前もかよ」
「いや、悪く言うわけじゃないけど、不思議に思ってたんだ」
「ふ〜ん」
Aはニッと笑った。
「あいつはさ、色気があるんだよな」

僕らの家が近づくと近所のコンビニにあの女が立っていた。どうやら2人は待ち合わせをしていたようだった。
「じゃあな」
Aは僕にそう言うと彼女に駆け寄り、元々僕なんかいなかったみたいに2人の世界を作っていた。
あの女が幸せそうにニッコリ笑うのが目に入る。射止められる程ではないが、まあまあ可愛いなと思う。なんとなく納得したような気がして僕は家路に着いた。

ある日の帰り道、コンビニに寄るとあの女がいた。僕は素通りしようとしたが、
「こんにちは!この前Aと帰ってましたよね?」
捕まってしまった。
「今日は待ち合わせなの?」
僕がそう聞くと、そうではないと答えた。
「このコンビニ、私とAの中間地点なんです。私もこの辺に住んでて…」
世間話が済むと僕らは速やかに別れた。

その時だった。

背中を向けた女の首元に天女の羽衣のような透き通った虹色の光が瞬いた。優しくて温かみがあって、周りの人間を包み込むような柔らかなオーラだった。誰もがその手を伸ばして優しく抱かれたいと思うのではないだろうか。

ハッと我に返った僕は気を取り直してその場を離れた。

「強烈過ぎる…」

それから先、気づけば僕はあの女のことばかり考えるようになってしまっていた。


#6

琴の音

 夜空を埋め尽くす銀色のB29の大編隊が、雨のように焼夷弾を落としていた。
 降り注ぐ火の雨に街の家々は燃え上がり、人々は安全な場所を求めて逃げ回っている。
 偶々、早めに山の方へと逃げることの出来た僕達一家は、眼下に広がる紅蓮地獄絵巻をただ呆然と眺めていることしか出来なかった。
 そんな中、僕はある一点を見つめていた。赤々と踊る火炎に覆われたそこに、僕の自宅があった。

 僕の家は裕福だった。江戸時代から続く商人の家系で、このご時世でも配給に頼らずに暮らせた。
 家は、屋敷と呼べる程に大きく、使われていない物も含めればかなりの数の部屋があった。
 その中に、一つだけ特殊な部屋が存在した。
 屋敷の離れにある部屋で、当主の人間以外がそこに近づくことは固く禁じられていた。
 父の話によれば、その部屋には神様がいるのだという。遠い先祖が、旅の行者より譲り受けた神様で、その神様を奉っていれば家は安泰と信じられていた。
 だが、好奇心に負けた僕は、一度だけその部屋を見に行ったことがあった。
 それは月の明るい深更のことだった。シンと静まりかえった屋敷の中、月光にも助けられながら目的の部屋へと向かった。
 それは異様な部屋だった。部屋の扉には無数の五寸釘が刺さっており、月光を浴びて鈍く光っていた。部屋の前には祭壇のようなものがあり、ここにお供えをするのが当主の役目らしい。
 子供心にその不気味さに怯え、引き返そうと思った時、ふと、

 ……びぃん……びぃん……ぴん、ぴん……ぴんっ。

 琴の音だった。部屋の中から聞こえてくる。あの厳重に封じられた部屋から。
 必死で寝床まで逃げ帰った僕は、朝まで蒲団の中で震えていた。

 地獄のような夜が明けきらない内に、僕は家族に黙って一人で山を下りた。
 無数の黒焦げ死体の横を通り過ぎて辿り着いた先、僕の住んでいた地域は、ほぼ焼け野原と化していた。殆どの家屋が燃え、ただ炭と灰の塊が一面に広がっている。
 そんな中で、僕は見た。
 屋敷は燃え落ちていたが、あの部屋だけは、何事もなかったかのようにぽつんと無事に建っていたのだ。
 呆然として近づいてみると、あの猛火に襲われたにもかかわらず、部屋の壁には焦げ跡一つなかった。
 全身の肌が粟立つのを感じながら、恐る恐る部屋の扉へ耳をピタリとつけてみると、嗚呼、聞こえてくるではないか。
 あの、音色が。

 ……びぃん……びぃん……ぴん、ぴん……ぴんっ。


#7

月夜見

 陽の散じる強い明かりが薄くぼやけてきた空を、夜の幕が広く大きく覆っていく。
 明るい光を放つ三日月が、夜の始点となり走りゆく。夜を広げる三日月は、皿のような形になり、夜の幕を引き駆けていく。見上げていると、夜空の端がときどき縒れて波打っているのに気づいてしまう。急ぎすぎた三日月が、きちんと端まで広げきることをしないまま、焦って夜の幕を走らせてしまったのだ。はためく夜空の隙間から顔を出してしまった朝が、戸惑いながらも目覚めて昇ってこようとしている。けれども、もう少しお休み。今はまだこの空は夜のものだから。
 公園の片隅に、月が慌てて空の端っこに引っかけて零れ落ちた、小さな三日月の名残が落ちている。端に設えられたベンチに座り、水筒のお茶をコップに移して飲んでいると、その名残が興味を示し、のろのろとベンチの足を伝いながら登ってくる。
 冴え冴えとした美しさをもつその煌めきは、膨張したり収縮したりして形を定めないまま、ゆっくりと近寄ってくる。指先でそっとその端に触れると、凍ってしまうかと思うほどに冷たい。
 「おまえは夜だけではなく、冬も一緒に連れて来るつもりかい?」
 そう問いかけてみるけれども、光は何もこたえない。けれども、鞄のなかから団子を包んできた風呂敷を取り出した途端、ぼんやりと灯っていた光はぱちぱちと瞬きだした。指先で、来い来い、と呼んでやると、嬉しそうに近づいてくる。そのままその指先で夜空を指すと、心得たように天上の三日月と同じ形状で寝そべった。
 その上に団子を並べる。ずっと親がそうしていたとおりに。親の親がそうしていたとおりに。親の親の親がそうしていたとおりに。そしておそらく親の親の親の親もそうしていたとおりに。
 月の器に並べた団子は、得も言われぬ馥郁とし豊穣たる味わいをもつようになる。わたしはそれに口をつけることはしない。ただ愛でるだけ。
 黒々と空を覆っている夜は、あと数刻もせずに明けてしまう。先を走っている三日月が空の向こうへ落ちると同時に、天上に大きく広がっている夜の幕もあっという間に沈みゆく。それから先はここも陽の世界へと変じてしまう。かそけき月の光など、なんの抵抗もできぬまま、白々とした朝に追いやられてしまう。
 でも、今はまだ夜の刻。公園に広がる月の光は、季節の豊潤を描く一幅。
 わたしに子はない。月夜のお茶を入れる術を伝える相手は、もういない。


#8

光と共に

 未子は? と和子の声がした。
 ここだよ、と未子が言うと、どこ? と和子は言って階段を上った。
 未子の声はどこにでもあったが、和子は最上階まで上った。
 ここだよ。
 未子の声は光と共にあった。
 未子はどこ? と和子は尋ねた。
 私は見たことがない、と人形は答え、椅子を譲った。
 太陽が見えた。
 太陽を指した人形の指が稜線で止まり、暗がりで光を放った。
 ここだよ。
 未子の声は光と共にあった。
 腹が減った、と和子は言った。
 私は空いたことがない。
 人形の錠菓を食べた和子は、味がしない、と言って未子の顔をした人形を殴った。
 未子はどこ?
 人形は稜線を指していた指を自分に向けた。
 ここだよ。
 未子の声がした。
 和子は一つ下の階に下りて人形に尋ねた。
 未子はどこ?
 未子はどこにもいない、と和子は思った。
 足下だけが照らされていた。
 ここだよ。
 未子の声はどこにでもあった。
 和子は足を踏み外した。


#9

警官と少女

 頭に黒い生物を乗せている少女が、すべての原因らしい。
「この子の名前はキュールなの」と少女は言って、黒い生物の小さな頭を撫でた。
「君たちが街の中を歩くとさ、路面に花や草木が生えて通行の邪魔になるし、後で撤去するのも大変なんだよね」
 私は、少し怒った顔で腕組みしながら少女にそう言った。
 一応、私は警官なので、不審な者に対しては強い態度で臨まなければならないこともある。
「君のやっていることは、往来妨害罪や器物破損罪という立派な犯罪になる可能性があるから、ひとまず交番まで一緒に来てくれるかな?」
 少女と私が歩いたあとにはすぐに花が咲くし、警官に連れられた少女という見た目なので、通行人の注目を嫌というほど集めてしまった。

 やっと交番に到着すると、私は少女を椅子に座らせて、いわゆる職務質問をしてみた。
「君の名前は?」
「そんなの無いわ」
「じゃあ、君のご両親は?」
「あたしはキュールと二人きりで、ほかには誰もいないの」
 何を質問してもまったく要領を得ないので、私は交番の外に出て大きく深呼吸をしたあと、本署に電話をしてみることにした。
 かくかくしかじかで困っているんですと電話で伝えると、偉い人が電話を代わって変なことを言ってきた。
「その少女は、ついさっき政府が災害に認定したから、テレビを点けて確認しなさい」
 言っている意味がよく分からなかったが、テレビを点けてみると「少女警報発令中」という大きな文字が目に入った。
「とにかくその少女は、台風や地震と同じ自然災害なのだから、われわれ警察がどうにかできるものではないのだよ」
 気がつくと、交番の中はすでに色とりどりの花でいっぱいになっており、私にも何となく事態の深刻さが理解できた。

 結局、少女は開放されたが、あの日、彼女の災害を止められなかったことを私はずっと悔いていた。
 一応、意思疎通が取れる相手なのに、そのまま放置するしかなったことが悔しかった。
 それに、彼女はいつも花を咲かせているわけではなく、何事もなく普通の少女として街を歩いている日もあるのだ。
「今日は、君が歩いても花が咲かないんだね」
 私は、少女を街で見かけるたびに話しかけるようにしている。
「あたしとキュールはいつも元気だけど、お花は、今日は咲きたい気分じゃないみたい」
 少女の頭の上で、黒い生物はぐうぐう眠っている。
「みんな、あたしたちを避けるけど、あなただけはいつも優しいのね」


#10

森へ

 ガラス製のドアを開けると、ほんのり温かい空気に包まれた。加湿器が蒸気を噴いている。アロマオイルだろうか、不思議な香りが漂っている。観葉植物が二、三ある程度なのに、森のようだと思う。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
 椅子に腰かける。今日はどうします? と訊かれ、前回と同じ感じでと答える。
「それじゃ、切りますね」
 鋏が入れられる。さく、という微かな音と感触に嬉しくなる。店内を満たすBGMはあまり聞かないジャンルの洋楽で、渋い男性ボーカルが耳に心地よい。さくさくさくと、鋏が細かくリズムを刻む。

 引っ越しに伴い、十年以上お世話になっていた美容室を替えた。それから三、四軒ほどふらふらしたが、初めての場所は緊張するし、人が多いと疲れる。そろそろ落ち着きたいなと思っていたところで、この店を見つけた。
 予約して、実際に切ってもらって驚いた。髪が鋏に引っかからない。頭に負担が全くない。そして何より音が違った。ちょきちょきでも、じょきじょきでもない。さくさく、という軽い音。

 人気のない静かな森で、白いポンチョみたいなあれを羽織って、木の葉のクッションにうずもれて座る。鳥に似た目のない生き物が、飛び回りながら私の髪をさくさくと啄む。数ヶ月かけて伸びた髪が、はらりと落ちて、化繊の上を滑っていく。さく、はらり、さく、はらり。やがて別の生き物がやってきて、ざっ、ざっと髪を齧りだす。古い私が切り離され、みるみる新しくなっていく。私にとって散髪は、入浴や排泄と同様に個人的な儀式らしい。そんなことに気づく。
「これくらいでどうですか」
 木陰からにゅっと首を出して店主が訊ねる。日焼けした肌から鹿を連想するも、どちらかというとチーターとか、猫科の顔をしている。初めはさっぱりした短髪だったのに、次は肩まで伸ばしてパーマをかけていて驚いた。今日は後ろで一つに結んでいる。毎回髪型が違っていて面白い。
 席を移動する。仰向けになり、髪を洗ってもらう。これは小川の水、でも温かいから温泉だろうか、などと無理やり空想の続きをやる。少し眠くなる。
 ドライヤーをかけられているあいだ、私は犬になっている。
「コーヒーお好きなんですか」
 カウンターの上のドリッパーを見て訊ねると、店主は目を丸くしてから笑った。飲みます?
 淹れてもらったコーヒーは、土みたいに苦くておいしかった。
 新しい私は森を後にする。首を撫でる風が少し冷たい。


編集: 短編