第228期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 居場所を持たぬ者たち いぶき 1000
2 ババーシッチュ テックスロー 980
3 海の底にて たなかなつみ 978
4 白く続く空と 千春 998
5 意地悪な鬼 小説作家になろう 94
6 1999年生まれの3つの夏 青沢 999
7 世界の果てへようこそ euReka 1000
8 ごっこ Y.田中 崖 1000

#1

居場所を持たぬ者たち

7月に採用されたたい焼き屋バイトの研修期間がついに終了した。
正規採用となり、これからは時給が百円上がるので、一ヶ月に食す豆腐をプリンに変更する余裕ができたことはもちろん俺を喜ばせたが、何よりも六つ下の大学生に業務を教わる情けなさをもう味わわなくても良いという事実が一か月ぶりの精神の安定をもたらした。
ぶら下がれるような夏の星座は見当たらないが、俺の腕には一本の缶ビールといくつかの惣菜がぶら下がっている。全ての惣菜のタッパーにはもれなく星の色をした値引きシールが輝いていた。鼻にかかった声の女性シンガーがしきりに花火花火と歌うから、線香花火を手に取ったがプリンが豆腐になると思って買わなかった。26度目の夏だ。
自分へのご褒美のハードルはすっかり低くなった。6時間鉄板に生地を落とし続け満足気に帰宅する齢26の姿は我ながら良い酒のつまみであろう。
無音が退屈でテレビをつけると、安いサスペンスもののドラマが始まっていた。いかにも犯人らしい装いをした男が、犯人らしい笑みを浮かべ、もう一人の男を大きな石で後ろから殴りつける。画面の左上から右下へ倒れていく男の顔に見覚えがあって、やおら画面に近づいた。ズキリと頭痛がする。

短大の演劇科で俺と石田は出会った。二人とも青臭く夢というものを追いかけたが、先に青臭さに鼻を摘まんだのは俺だった。親との関係が思わしくなかった俺は、短大二年夏にして金銭的な援助を絶たれてしまった。
売れない無名劇団員は、表現の場に立つためにも金が必要だった。夢で食っていくつもりが、気づいたら夢に我が身を食われてしまうような世界なのだ。結局俺は、夢より金が命を繋ぐと悟り就職活動を始めた。

俺が都内のスーパーに内定を貰った時、石田は依然と劇団で稽古を積んでいた。

「お前は一生旅人みたいにふらふら過ごして夢も居場所もなくすんだろうな」

卒業式の日、俺は石田の背中にそう吐き出したがアイツは振り向かなかった。その後の俺はというと、就職したスーパーは半年足らずで退職し、そのあとも職を転々するという、なまじの人生を送っていた。

机に置かれたビールに手を伸ばそうとするが、体が鉛の風呂に浸かったように重くて動かない。銀色の袋が開き、中から白い顔した死体の石田が登場する。美人監察医が死体をよそに芝居を繰り広げる中、石田はじっと動かない。

「ずっとそこにいるんだな」

俺は白い顔に向けそう呟いた。


#2

ババーシッチュ

「ああー、久しぶりだねえ、ときに私はあんたを知っておったか」
「ああー、最近物忘れが激しくてねえ、どこかで会ったような」

 いらっしゃいませ。おひとりですか、と問うとババアは黙って奥のテーブル席を指さしたので、ウェイトレスはてっきりそこに一人で座っているアナザーババアと友達なのかと思い席に案内したがどうも二人は初対面のようだ。

「私は息子とトラブルがあって、今は〇△スーパーの近くに一人で住んでいて。あなたは?」
「私はこの近くの団地に住んでますわ」
「ああー、そっりゃいいねえ、なんかい?」
「なん、なに?」
「いや、何階に住んで居らすと」
「ああー、二階に住んでいる」
「ああーそりゃいいねえ、高すぎない。私は息子とトラブルがあってね、今は〇△スーパーの近くに一人で住んでいて」

 ウェイトレスが水を持ってくるころには二人はすっかり打ち解けていて、しかし話の内容はお互いの住居の確認から一歩も進まない。が、コーヒーを出すころには横のテーブルで大声で医療費の話をしていたジジイ二人がそこにコラボレートしていた。
「二階ならあんた膝とかは大丈夫なの、杖もついてらっせんようだが」
「いやあ、手すりを持って、二階だから、大丈夫で」
「ああー、そりゃいいねえ、高すぎない。私は息子と」
 ババアは自分のコーヒーに付いてきた豆菓子を食べ終え、さも当然といったようにアナザーババアの豆菓子に手を出す。アナザーはそれをとがめることなく少し話の調子を変える。
「料理といえば息子が好きなのが私のシッチュでねえ、シッチュシッチュと」
「シッチュ?」料理の話など誰もしていなかったわけだが、角刈りのジジイが合いの手を入れる。
「鶏肉入れて白いシッチュを作るんよ。大根を入れるとすごい怒るの」
「今は作ってやらんの?」
「今は息子とトラブルで」
 はて、とアナザーはまだらになった記憶で自分のエプロンの裾を引く栗坊主みたいな息子と、アナザーに冷たい言葉を浴びせる息子が結びつかず当惑する。
「また作りないよ、シッチュ」
 ババアが促す。
「そうだねえ、シッチュ、作るかねえ」
「でも大根はないで。大根は」
「そうかねえ、おいしいんだがねえ」
 ババアとジジイの笑い声が広がる。ウェイトレスは祖国で祖母が作るポソレを思い出し深く息を吐いた。そっとババアのテーブルに豆菓子のお替りを置いたが、それは店長にあとできっちりとがめられた。


#3

海の底にて

 家のすぐ外まで、海が広がってきた。
 扉を開けて一歩外に出ると、とぷんと、丈高い水の層のなかに埋もれてしまう。塩辛い味が口のなかに広がるし、幾分呼吸がしづらくなるけど、大丈夫。わたしたちは海のなかを自力で移動することができる。
 歩いている人たちもいるけど、泳いでいる人たちもいる。泳ぐほうが断然速く移動できるから、子どもや若い人たちの大半は泳いでいるけど、外を歩くということを忘れたくない人たちは、抵抗力の強い水のなかを、ゆっくりゆっくり歩いて移動する。
 わたしも歩くほうが好き。ニンゲンであったことを忘れずにいられる。厚い水の層のなかで、他のニンゲンたちやサカナたちやカイソウが流れていくのを横目に見ながら、ゆっくりゆっくり、足を上げ下ろしし、掌で水をかくように腕を動かしながら移動し、同じようにゆっくりゆっくり動いている人たちと挨拶をする。おはようございます。今日はいつもよりお早いですね。ええ、仕事が忙しくて。そうですか、あなたも。
 だっていつまで経っても、浸海の後始末が終わらないから。
 仕事先に着くと、わたしたちはいつもどおり、自分のカードにスタンプを押してもらい、本日の持ち場へと移動する。深い水の層の底に蹲り、積み上がった瓦礫を整理する。まだ使えるものと、もう使えないものとに分けて、使えないものは細かく砕いて、速い流れのなかへ放り投げる。流れはほんの少しも淀むことなく、不要になったものを巻き込んで去っていく。なくなったものはもう要らないもの。思い出す必要のないもの。水のなかの暮らしに適さないもの。
 わたしたちは残されたものをリュックのなかに詰め込んで持ち帰る。それは流れないもの。わたしたちをそこへ留め置いてくれるもの。水の外で暮らしていたときには要らなかったもの。むしろ邪魔だったもの。今ではこういうものが、わたしたちには必要だ。水のなかで浮き上がってしまわないもの。不意に流れていってしまわないもの。もうなくすことがないもの。
 わたしたちは持ち帰ったリュックのなかのものを、家のなかに敷き詰める。それはわたしたちのテーブルになり、椅子になり、オブジェになり、宝石になる。
 海はもう窓のすぐ外にまで広がってきている。この家ももうすぐ海に呑み込まれてしまう。
 わたしたちは海の底で暮らしている。そして、たぶんもうすぐ、海の生き物になる。


#4

白く続く空と

思い起こせばあれからもう5年の月日が経っていた。

出会いは大学のカフェテリアだった。
1階に入店しているコーヒーショップは満席で、そこに座っていた遙香が「空いてますよ」と声を掛けたのが始まりだった。遙香は振り返った敏也の端正な顔つきに一瞬ひるんだが、気を取り直してどうぞとその手を差し出し、敏也を隣の席に誘導した。
敏也は「ありがとうございます」と軽く会釈して遙香の横に座り、周りを見渡して「人が多いですね」と独り言のように呟いた。遙香はその横顔に、綺麗な男の子だなあ…と感心せずにいられなかった。
程なくして遙香は敏也が隣のクラスの生徒であることを知った。敏也の持っていたノートの表紙に学科の名前が書いてあったのだ。そういえば教室で女子が騒いでいたっけ。この人のことか…なるほどね。

アイスコーヒーを一杯飲むと敏也はすくっと立ち上がり、「ありがとうございました。どうしてもコーヒーが飲みたくなって…」と会釈をした。遙香も「いいえ、外も暑いし休憩は必要ですよ」と返した。敏也はにっこり笑顔を見せて「優しいですね。ありがとう」ともう一度会釈をしてコーヒーショップから出て行った。

綺麗な人は去り際まで綺麗だ。遙香はしばらくぼうっとなってしまった。

後日同じ授業で再会した二人は当然のように惹かれ合っていった。
「思い出をたくさん作ろう」

だが、遙香は手放しに喜べない自分にも気づいていた。

遙香は前の彼氏に暴力を振るわれていた。少しでも機嫌を損ねるとすぐに手が出た。遙香は付き合い始めの優しい彼が忘れられなくて、またどこかで変わってくれるはずだと信じていた。友人達からも別れた方がいいとキツく言われたがどうしても別れられずにいた。だが、平穏な日々は来るはずもなく、時間とともに痣だけが増えていった。

初めてその話を聞いた時、敏也は
「俺は遙香を傷つけないよ」と淀みない声で言った。
敏也の横顔はやはり綺麗だ。

あれから随分時が経った。

遠く続く白樺の並木を手を繋いでただ歩いていく。

幸せだな。
また誰かを好きになれるなんて思わなかった。敏也と出会ってから奇跡みたいな日々が続いていく。
十分に注意していないと私の小さな手からは幸せがこぼれ落ちそうだと思った。
「敏也、ありがとう」
遙香の目から一筋の涙が伝った。

「どうしたの?」

遙香は黙って首を振る。

「泣き虫だね」
敏也は愛おしむように笑い、遙香の手を強く握るとまたゆっくりと歩き出した。


#5

意地悪な鬼

 むかしあるところの誰かが「あんたのやることは面白いなぁ」と、言いました。
鬼は其れを聞いて面白がって観られるのは癪に障ると何もしないことにしました。
以来、鬼はただの鬼になってしまいました。


#6

1999年生まれの3つの夏

今年の夏。
長かった就職活動が終わった。
コロナ禍と日々の忙しさで1年半も会えなかった茉子とようやく会えた。以前の明るい茶髪が黒髪になっていて、お互いもう4年生だということを今更実感する。
北千住駅で合流して、荒川の河川敷に向かって歩いた。空の真上の太陽が、広い川面にキラキラした光を浮かべる。
その光景に一瞬目を奪われた。もし永遠に眺めていることができたなら、未だ心の奥を蝕む喪失感さえも綺麗に昇華させてしまえる気がした。
「ねえ、ここからずーっと歩いたら東京湾まで行けるよ」
茉子がスマホで地図を見ながら言った。私もそれを覗き込む。
「いいね、歩こうよ!海見たい!」
こんなにはしゃいだ口調になるのはいつぶりだろう?
川の流れる方へ、道を歩き始める。
こんな夏の日は二度と来ないような気がして、私はとても寂しかった。

去年の夏。
私はバイトばかりの生活を送っていた。
入学した頃、通学の乗換駅でバイト先を探して選んだのが、御茶ノ水のカフェだった。大学の敷地内にすら入れない今、この立地はむしろ不便になったが、コロナ禍生活の中では、御茶ノ水駅からバイト先まで歩くたった数分が良い気晴らしになった。
見上げると、どこまでも高く青い空が美しく、こんな世界も、こんな人生も悪いものじゃないと思わせてくれる。どうにもならない息苦しい日々の中で、本当に心を潤してくれるのは、もう空とか景色だけのような気がした。
一刻も早く部活再開してほしい、学生のうちにフランスに行きたい、とかいつも思うことをこの時も考えながら、すっかりお客さんが減ったままのカフェへ向かった。

一昨年の夏。
私は充実した幸せな日々の中にいた。
午前中カフェでバイトをしてから、大学へ向かう中央線に乗る。最近毎日電車で読んでいるのは、岩波書店の専門書『モネ』。
部活まで時間があるので大学図書館に寄ることにした。迷わず絵画の棚に向かう。去年の春にプーシキン美術館展に行って以来、私はフランス絵画の虜だった。
あっという間に時間は過ぎる。そろそろ部活に行って早めに楽器を出しておこうと思い、図書館を出た。日差しが暑い。
ああ、今日も仲良しで尊敬する遥先輩と一緒に練習ができる。何より幸せなのは、先輩と部活ができる時間があと1年半もあること。そして私の大学生活はまだ半分以上もある。
この幸せを、腕の中で掴んだままにしておけたらいいのに。
いつか来る終わりを想像しながら、そう願っていた。


#7

世界の果てへようこそ

『何か変なものを作って世界を変えてみよう 世界大会』というものに出場したら、なぜか優勝して、一兆円の賞金を貰ってしまった。
 優勝カップを抱えながら会場を去ろうとすると、メディアの記者たちがわらわら集まってくる。
「数々の強豪を抑えて、今、優勝を手にしたご気分は?」
 変な気分です。
「あなたの作った変なもので、世界は本当に変わると思いますか?」
 そんなの、私に分かるはずがありません。
「優勝賞金である一兆円の使い道は?」

 自宅のアパートに帰って一息つき、缶ビールを飲みながらネットニュースを見ていたら、私の顔写真つきの記事がいくつも出ていた。
 次の日には、自宅のアパートがネットで特定されて、昼夜かまわずメディアの記者や野次馬が集まるようになった。
 他の住人にも迷惑をかけることになるので、私はリュックサックに最低限のものだけを詰めてアパートを飛び出した。

 それから私は、記者たちの尾行を巻きながら、目についた百円ショップで変身グッズを買って変身し、一番近くにある国際空港から飛行機に乗った。
 機内で十時間ほど過ごすと、私はある小さな島に到着したのだが、現地の空港でまず目についたのが、「世界の果てへようこそ」と書いてあるカラフルな看板だった。
 とりあえず外へ出て、地面にただぼんやりと座っていると、島の少女が私に話しかけてきた。
「あなたは人間の形をした石なの?」
 私は何と答えていいのか分からず、ただ苦笑いをした。
「ぜんぜん動かないから石かと思ったけど、人間なら、うちに来てごはんでも食べない?」

 その後、私は少女の家で食事や寝床を世話してもらうことになり、魚獲りの仕事などを手伝いながら、彼女の家族になんとなく溶け込んでいった。
「兄さんはあまり笑わないから、ときどき退屈になることがあるの」
 私は少女から兄さんと呼ばれている。
「だけど、兄さんがずっとここにいてくれるなら、それでもいいと思うの」
 私には、この家族にお礼するものが何もないので、賞金の一兆円が入っているであろう銀行通帳を、少女の祖父らしき老人に渡した。
 老人は首を傾げながら、長方形の通帳を三十秒ほど眺めたあと、それを神棚に供えてお祈りをした。

 あれから三十年経った今でも、銀行通帳は家の神棚に置かれたままだし、世界が変ったのかどうかも私には分からない。
 でも、何とか生きていけているので、大会に優勝したことはたぶん良かったのだと思う。


#8

ごっこ

「おはよう」
 窓が声をかけると、壁が「おはようございます」と棒読みした。
 朝のミーティングで進捗確認。
「昨日までに色塗れって言っただろ? なんでまだできてないの?」
 返事はない。
「すぐやって」
 壁は「わかりました」と棒読み。
「今日は折り紙で鶴と飛行機を折るから。全体的に遅れてるからペース上げて」
「わかりました」

 壁は黙々と作業し続ける。窓は嫌な予感がして、「今何やってる?」と声をかけた。
「鶴の折り方を調べていました」
「は? 色塗りは?」
「終わりました」
「報告しろよ。一つ終わったら報告って何度も言ってるだろ。……もういいや、できたの見せて。なんで空まで赤く塗ったの? 昨日説明したよね? 空は青、草は緑、花は赤と黄色。そもそもなんで空が赤いんだよ。普通、青だろ。すぐ直して」
「わかりました」
「あと鶴の折り方わからないんだったら調べる前に聞けよ。どんだけ時間かけてんの? そんなことやってたら今日中にできるわけないよね? 納期遅れたら次の仕事がなくなるってこと、お前わかってんの?」
「わかってないです」
「理解しろよ。馬鹿にしてんのか。そんなだから十年も下っ端なんだよ……もういいや、折り紙は俺がやる。お前はすぐに色を塗り直せ」
「わかりました」

「窓さん、お客様からお電話です」
「替わりました窓です。お世話になっております。ええ、何とか間に合いそうです。変更ですか? その内容ですと、もう少しお時間をいただきたいのですが……そうですね……かしこまりました、今回は特別に……」
 電話を切った窓に、壁が「色塗り終わりました」と報告する。
「見せて。……うん、いいね。次だけど、粘土で犬を作って。今日中に」
「わかりました」

 わあ、まあくん、じょうずにおえかきできたね。
 つぎはなにをつくるの? そっかあ、いぬさんをつくるんだね。

「今何やってる?」
「犬の作り方を調べていました」
「だから聞けよ! 間に合わないだろうが!」
「そうですね」

 まあくん、そろそろねるじかんだから、ねんどはまたあしたにして、はみがきしようか。

「……はい、かしこまりました。申し訳ございません。では犬は明日ということで。よろしくお願いします。失礼します」
 電話を切ると、ちょうど定時のチャイムが鳴った。
「お疲れ様です。お先に失礼します」
「おう、お疲れ」
 翼を広げた折り鶴に向かって、なんであいつと仕事してるんだろう、と窓が呟く。返事はない。


編集: 短編