第226期 #3

 メスを握る。切る。溢れる血液を綿が吸う。看護士が私の汗を拭く。切り開く。刺す。固定する。腫瘍が覗く。それは唇のような形で、かすかに笑みを浮かべている。切除、摘出する。傷口を縫う。
 白い部屋から患者の乗った担架が倍速再生で出ていき、私だけが取り残される。業者が清掃するなか、私は立ち尽くしている。次のオペの準備がなされ、次の患者の乗った担架が運びこまれる。そこで再生速度が戻る。手を消毒する。
 ナイフを握る。切る。血液は手術衣を赤く染めてなお溢れ出す。看護士を見る。彼女は大きく口を開いて私に抱きつき、こめかみを伝う汗を舐める。何をする、抗議もできず私は切り開く。固定する。血にまみれた眼球と目が合い、摘出する。傷口を縫う。倍速で出ていく担架。入れ替わりに次の担架。手を消毒する。
 包丁を握る。切る。溢れ出す血液を看護士が啜る。切り開く。内側から大量の赤い綿が出てくる。私は何を切った? 指は勝手に動き、綿に包まれた鼻をピンセットで摘出する。ほつれた布地をまとめて凧糸で縛る。これは娘にプレゼントしたぬいぐるみだ。担架が入れ替わる。
 カッターナイフを握る。切る。血液は出ない。看護士ががちがち歯を鳴らす。汗が止まらない。横たわっているのは私だった。私は私を切り開く。なかは空洞だ。奥から耳をつまんで取り出す。傷口をガムテープでとめる。私は台の上でからだを起こし、平然と歩いて出ていく。
 鋏を握る。切る。血飛沫が散る。看護士がのたうつ。私は嗚咽する。切り開く。床に生臭い水が滴り落ちる。水の上に浮かぶ小さな手を摘出する。握りしめる。これ以上大きくなれなかった娘の手。腹を開かれたままの看護士――私の妻が、虚ろな眼差しを向ける。
 増え続ける肉塊に爪を立てる。裂く。どす黒い血が噴き出す。引きちぎる。蠢く肉のなかに小さな足を見つける。こんなところにいたのか。摘出する。怖かったな。家へ帰ろう。

 ここは暗い河原で、私は血に濡れた石を積んでいる。ばらばらにされたからだを繋ぎ合わせ、娘が蘇る。広がる夏空の下、麦藁帽を被って笑う。駆け回り、振り返って私を見る。けれど、薄く開いた唇は動かない。口の端に血がこびりついている。

 やがて倍速で業者がやってきて、散乱した肉塊を娘のからだもろとも洗い流す。私は立ち尽くしている。また失敗だ。いや、あれは娘ではなかった。娘はどこだ。次の担架が運びこまれ、手を消毒する。メス。



Copyright © 2021 Y.田中 崖 / 編集: 短編