第224期 #3

宵闇のパンドラ

夕方、どうにか片をつけた仕事場を後にして、才香は繁華街に向かった。今日の行き先はなじみの店とは違う。歩き慣れないその道を前後を確認しながら歩いて行く。
到着した居酒屋で会ったのは一つ年下の男だった。友達の旦那の友達。名前は憲司だと言った。

せっかく忙しい合間を縫っての休息だ。楽しんでいこう。
初対面の憲司には最初は多少の気は遣ったがすぐに打ち解けた。お酒の力は偉大だ。
夜も深くなり二人とも深酔いする時間。才香の悪い癖が顔を出し始める。

「私もう今年で31才よ。結婚するにしたってスタートが遅くない?」
「結婚ってそんなに必要なのかなと俺は思うけど。」
「男はそう思うのかもしれないけど出産なんて歳を取ったらチャンスすらなくなるのよ。」
「そう言われると弱いね。」
才香はジョッキのビールをぐいっと飲み干した。「もう一杯お願い。」
「どんな男がいいの?」
「一緒にいて楽しい人。趣味が合う人がいいな。」
「趣味っていうと?」
「バイク。熱く語りたいね。」
「バイク乗りの女の子なんてモテるんじゃないの?」
「同じ熱量で話せる人がなかなかいないのよ。」
「そんなに愛せるものがあるなら他に何もいらない気もするけどね。」
「突き放すようなこと言わないでよ。」
「俺は君みたいに熱中できるものがないから羨ましいってことだよ。」

帰り道、憲司と別れた才香は酔っ払った頭で今日の時間を振り返った。

「そんなに愛せるものがあるなら他に何もいらない気もするけどね。」

私って周りに流されて結婚結婚って騒いでいたけど、それって私に本当に必要なんだろうか。周りの幸せに勝手に取り残された気になって躍起になっていただけじゃないのかな。
才香は一つ深呼吸をした。おぼつかない体と頭でどこまで確かに考え切れているのかわからない。ただ彼のかけてくれた言葉に私の気持ちは深く理解してもらえた気がした。
そうだ、私は自分の好きなものに正直でいよう。私は私らしく生きていきたい。私には私の幸せがあるはずだ。
おぼつかない足取りで街を歩くと、目の前にライトアップされたショーウィンドウが立ちはだかった。真っ白なドレスとタキシードのペアのマネキンが飾られてある。
そっか、あんなに苦しかったのにな。
ネオンの煌めく街を歩くと、才香は夕方の自分よりもずっとずっと前に進めている気がした。



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