第223期 #5

ツリオジ

 私の実家の近くに大きな池があった。
 弘法大師が作ったという伝説のあるその池の畔で、いつも釣りをしている痩せたオジサンがいた。
 近所に住んでいるその中年のオジサンは、毎日毎日、同じ場所で釣りをしており、当時子供だった私達は「ツリオジ」と呼んでからかっていた。
 仕事をせずに釣りばかり出来るのが不思議だったので親に尋ねたことがあった。親曰く、ツリオジは画家か何からしく、そのお陰で時間に縛られないのだということだった。
 ただ、彼の絵はあまり評価されておらず、貧乏暮らしを余儀なくされており、そのせいで奥さんは逃げてしまったのだという。
 ツリオジはいつもボーっとした様子で釣りをしていた。学校の帰りに私達が声をかけても大抵無視された。ある友人が空き缶を投げつけたことがあったが、それでも彼は無反応を貫いた。
 ただし、子供が池に入ろうとすると物凄い勢いで怒り出した。
 ある時、勝手に池で泳ごうとした子供が溺れかけたが、彼がすぐに飛び込みその子供を助けた、ということがあった。
 以来、彼のイメージは、「釣りばかりしている暇人のオジサン」から、「子供が溺れないか見張ってくれているオジサン」というものに変わった。
 そのお陰もあってか、それなりに慕われてもいたのだが、ツリオジにとってはどうでもいいことらしく、相変わらず挨拶をしても無視をするのが常だった。
 その内、ツリオジはぷっつりと姿を見せなくなった。
 彼は自宅で死んでいた。死因は栄養失調だったらしい。
 何故、私が急にそのツリオジのことを思い出したかというと、とあるテレビ番組で、その池の水を全部抜くという企画が行われたからである。
 だが、結局その企画が放送されることはなかった。俗に言うお蔵入りという奴だ。
 何故そうなったかと言えば、番組収録中に池の底から死体が発見されたからだ。
 水の抜かれた池の底に、ゴミと一緒にその死体は横たわっていたらしい。屍蝋化により死体は原型を止めていたので、死因が絞殺であることも解った。
 重しのつけられたその死体は、ツリオジの奥さんだった。
 ツリオジは釣りをしていたのではなかったのである。
 彼は監視をしていたのだ。奥さんの死体が誰にも見つからないように。
 でも、私はその真実を知っても然程驚きはしなかったし、恐怖もしなかった。
 ただ、ツリオジのあの虚無的な横顔を思い出し、少しだけ寂しい気持ちになった。
 それだけである。



Copyright © 2021 志菩龍彦 / 編集: 短編