第222期 #2

姉の体重計

 うちには体重計が二つあった。一つは昔ながらのアナログ式の体重計、もうひとつは姉専用の、ガラス天板に赤いデジタル表示の体重計だ。ある日姉はどこからかその体重計を買ってきて、「姉専用」として浴室に置いた。姉は決して他の家族に体重計を触らせようとせず、「なんで体重計なんて二つもいるのよ」という母の小言を笑ってやり過ごしていた。
 当時高校生だった姉は必要のないものを突然買ってくることがあった。年甲斐もなく電池で動く猫のおもちゃを買ってきたり、「参考に」などと言ってゼクシイの特集号を買ってきたり、他にもいろいろ不要なものを買ってはすぐに飽きて、それらは物置にしまわれていた。両親は「まーたつまんないもの買ってきて」と言ったきり体重計に対して特に興味を持たなかった。

 姉が体重計を買って二ヶ月ほど経った日のことだ。姉が風呂から出たので台所の母に「お姉ちゃん出たから武彦あなた入りなさい」と言われ、しかしすぐに行くと事故につながるのは知っていたので、自分の中で五十数えてから風呂場へ向かった。
「あちゃー、また太った」
 脱衣所の扉の向こうではパジャマ姿の姉が「アナログ式の」体重計に乗っていた。
「間食しすぎでしょ。って何でそっちの体重計使わないの」
 姉はそれには答えず「うるさいわねえ」とバスタオルで髪を拭きながら脱衣所から出て行った。体重計はバネの力で勢いよくダイヤルをゼロに戻した。
 深夜に目が覚め、暗闇の中トイレへ向かうと、脱衣所の扉が開いていた。通り過ぎざま中を見ると、はだかの姉がデジタルの体重計に足を乗せようとしているところだった。とっさに見てはいけないと思いながら、私は姉の後ろ姿に釘付けだった。窓明かりに照らされた首筋、肩、背中、臀部はしなやかにつながり、肩をすべる髪の毛は光っていた。姉は手を胸の前で組み合わせ、祈るような姿勢でそっと両足を体重計に乗せ、しかし首や目線はずっと上を向いていた。計測終了後も姉は表示には一瞥もくれず、扉の脇で息を潜める私に気づかずそのまま自室へ消えた。残された私は急いで脱衣所に入り、体重計の赤い表示を目で追ったが、焦点が合う前に数字は消えてしまい、そこにさっきまで乗っていた姉の匂いも霧散した。先ほどとは違う暗闇と静寂に震え恐れる私を照らす窓枠いっぱいの満月だけがあった。



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