第217期 #10

パーフェクト・ジジイ

 久方ぶりの電話、妻が取る。娘からだった。どうやら私はついにおじいちゃんになるらしい。狂喜乱舞する妻を横目で見つつ、とはいえ私も興奮を隠しきれない。予定日は五ヶ月後のようだ。「安定期に入ったんだねぇ〜」なんて妻が顔をほころばせている。なんてことだ。思ったより早い。時間がない。
 あと五ヶ月で、完璧なジジイにならなくてはならない。
 
 子供の頃から、仙人じみた存在に憧れがあった。真っ白な髪にふさふさの髭。ホッホッと笑い、それでいて身のこなしは軽く、「まだまだ若いモンには負けん」が口癖。そういった存在にいつかなりたかった。良い老い方というか、枯れ方をしていけば自然にそうなっていけるのだと信じていた。
 しかし実際はどうだろう。小汚い白髪交じりの頭。ごま塩のような無精髭。一人称をワシにするタイミングなど人生のどこにあるのか! いや、今なのだ。祖父になるこのタイミングで、華麗なジジイデビューを決めるのだ。妻には思い切って事情を伝えた。若い頃に話したことを覚えていたようで、大笑いしながら協力を申し出てくれた。正直、少し泣きそうになった。この人がいれば残りの人生も楽しいものに違いない。
「ワシ」呼びへの移行は思いのほかスムーズにいった。定年前に使っていた「私」から「た」を抜くだけだったのだ。何より、気恥ずかしがっていると妻が「ジジイになるんでしょ」と言ってくれる。不思議なことに、語尾も自然と「じゃ」、「じゃよ」という形になってきた。三週間もすると二人とも慣れ、むしろこれまでが思い出せないほどになった。
髪も妻に教えてもらった。実は妻も白髪染めの手間が煩わしく、綺麗に白髪を取り入れたヘアスタイルへの移行を考えていたらしい。美しい白にするためには一度紫を入れるといいということも知った。あの紫髪のオバちゃんたちは、その先のまっさらな白を欲していただけだったのだ。髭は諦めた。

 里帰りした娘は初めこそ面食らっていたもののすぐに慣れ、「その日」は予定より少し早くやってきた。ついにホッホッホを披露する時が来たのだ。
 念入りに消毒をし、疲れと涙でぐちゃぐちゃの顔をした娘と、しっかりと抱かれた孫娘を見る。娘が生まれた時にそっくりだった。数瞬の間に、これまでの全てが去来する。涙が溢れるというのはこういうことだったのか。
「じぃじだよ〜」と笑いかけるのが精一杯だった。仙人への道は果てしなく遠い。



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