第217期 #1
どうすることもできなかった。
ガツン、と強い衝撃が走って、目の前が真っ白になって、それからのことは何も覚えていない。ただ遠のいてゆく意識の中で、誰かがぽつりと、「事故にあったんだね、可哀想に」と呟くのが聞こえた。
ふうっと景色に色が戻って気が付くと、目の前に先輩が立っていた。なんだかとても悲しそうな顔。私のことなど見えていないのか、遠くをじっと眺めている。
「よく頑張ったね」
先輩はそう言って、私の手を握った。彼女の手は暖かくて、じんわりと伝わる熱のおかげで、自分の手が凍ったようにつめたいことを知る。いや、手のひらだけじゃない。まるで氷漬けになってしまったみたいに、全身がキンと冷えていた。
「ごめんね。あなたとはもう、お別れしなくちゃいけないの」
先輩は視線を外したまま、自分自身に言い聞かせるように呟いて、握る手にぎゅっと力を込めた。
ああ、私は死んでしまったのか。
熱の通わない脳内までぬくもりが染み込んできて、私はようやく、自分の状況を理解した。突然の死。それならば、今見ているこの世界は一体何なんだろう。
「あなたは何も悪くないのよ。不運な事故に巻き込まれて、死んでしまった。ただ、それだけなの」
指先に、手のひらに、熱がじわじわと蘇っていく。先輩の感触がする。確かに触れている、暖かい熱の塊。
「明日からは通信販売の受電業務をお願いするわ。気持ちを切り替えて、頑張りましょうね」
そうして先輩から、「鈴木理香」と書かれた新しいネームカードを渡された。
通り魔のようなクレームは、コールセンターにとって日常茶飯事。顔が見えないのをいいことに、好き勝手に暴言を吐くお客様はとても多く、あまりに酷いクレームを受けると、強いショックのせいで立ち直れなくなることもある。だから私たちは源氏名を使う。怒りの矛先が自分自身に向いていると誤解して、理不尽に傷つかないように。
「お電話ありがとうございます。フェリースネット注文受付センター、鈴木でございます」
受話器の向こうで声がする。顔も知らない誰かの声。そこで確かに生きている、生身の声。呼応するのは、仮面をかぶった私たち。たくさんの鎧をまとって、懸命にロボットのふりをする人間だ。
誰でもない誰かになって、オペレーターを演じながら、私は自分の感情に蓋をする。喪に服している暇はない。ただ流れ作業のように、何度目かの人生を生きるだけなのだから――