第215期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 手紙 さばかん。 1000
2 聴こえる 金木 世莉 260
3 夜に オルト 326
4 G-Bar 世論以明日文句 699
5 五月雨のお見合い 志水雄希 532
6 見たくないものが見える 上江村 想 812
7 警察庁広域捜査課01 朝野十字 1000
8 夜の帳に 千春 999
9 夫婦の幸福 わがまま娘 984
10 女の子をいじめてもどうしようもない テックスロー 988
11 能力者 ヨソダ 79
12 カバネマイ 志菩龍彦 991
13 ケモミミカフェ euReka 1000

#1

手紙

初めて手紙を書いた。あて名は、仲は大してよくなかった顔見知り程度のクラスメイト。
私が引っ越すことを知って彼はデジタルデバイスが主流のこの時代に、清潔そうで真っ白な封筒にわざわざ手書きの手紙入れ、私に渡してくれたのだ。生真面目な奴だったが、手書きをくれるなんてとあまりにも不意なことで内心びっくりしながらも、「ありがとう」とそれだけ言って私は手紙を受け取った。今思えばもっと嬉しがるだの笑みを浮かべるだのすればよかったのに。きっと私はたいそう間抜けな顔をしていたに違いなかった。
家に帰ってそれを読んでみる。内容は「引っ越しすることは残念だ。もう少し話をしたかった。元気であれば嬉しい」などというものだった。彼らしい几帳面な字面で、文脈の通ったしっかりした文章がそこにあった。
それを読み終えて、私の心には何とも言えぬ感情がぐるぐると頭に回っていた。この男とあまり話さなかったことが惜しい気持ちになった。
私は普段からおちゃらけたような性格だったから、生真面目な彼とは合いもしない関係だったし、気は合うものではなかったろう。でも一度だけ関わりがあった。勉強を教えてもらったことがあったのだ。テスト勉強中、数学があまりにも分からなさすぎて宇宙を見始めた私は、彼に救いを求めたのだった。それはたまたま教室に残っていた頭のよさそうな奴が彼だけだったという偶然だった。彼は、それはもう丁寧に教えてくれたものだ。私がした質問に対してもすべて理解できるようにその答えがそうなる理由から何まで答えてくれた。おかげでそのときのテストは赤点を免れたほどである。享受してもらった後に、少し話した。それで私と彼の友情未満物語は完結していた。何か月も前のことだ。私はもう会話の内容さえ忘れていた。
しかし、彼はそのときのことを覚えており楽しかったというのだ。手紙を送ったのはそういうわけだと。私の性格を朗らかで心地よいと。本当にそう思うのか?と問いただしに行きたいほど美化されて彼の中に私はあるのだった。こんなに嬉しく思ったことは今までになかった。普段から馬鹿らしいだの適当な奴だのと散々な言われようだった私を。私は単純な人間であるから、それはもう舞い上がり喜んだ。彼とまた会う機会があったなら、もっと話をしよう。話すことには自信があるから、彼が腹を抱えて笑うような話をしてやろう。
手紙を投函する。遠く離れた地の彼へ、親しみを込めて。


#2

聴こえる

ある日、学校で素敵な歌声を聞いた。今は使われていない、旧校舎二階の一番端の教室。音楽室じゃないのに、ピアノが置いてある。そこから聞こえてきた、透き通るような、溶けていくような歌声。私は思わず聞き入ってしまった。心に語りかけるような、そんな歌声だった。教室を覗くと、私と同じ制服を着た、女の人が立っていた。5時を告げるチャイムが鳴って、「帰らないと!」そう思って、歩き出そうとすると、後ろでヒラヒラと音がした。振り返ると、さっきまで女の人がいたはずの教室には誰もいなくて、『また聴きにおいで』と書かれた紙だけが残っていた。


#3

夜に

「あれ? どうしたの? こんな夜に奇遇だね?」
 なかなか眠れなくて、一枚だけ上着を羽織って外に出たら、彼女に出会った。
「私は夜のお散歩。雲一つない日の夜だと、たまにしたくなっちゃうんだ。危ないとは思ってるんだけど、どうしてもしたくなっちゃうんだよね」
 俺の前をてくてく歩きながら、彼女は独白する。
「君は、君を待ってる人がいるんだから、こんな危ない事なんてしないで、早く帰った方がいいよ。あの子は、君がいなくなったら、きっと悲しむと思うから」
 そこまで言うと、彼女は俺の肩を掴んで、家の方へと押し出した。
「私はもうちょっと歩くから、君は帰った帰った」
 俺は、言われるがままに、帰途につく。
 かすかに、彼女の声が聞こえた。
「はぁ。今日も月が綺麗だなぁ……」


#4

G-Bar

昔々あるところにお爺さんとお婆さんがおりました。
お婆さんには浮気相手がいましたが、お爺さんには愛人と呼べるような人はいませんでした。
お婆さんは気の弱い性格だったので、浮気相手に強く求められると断ることができなかったのです。
この頃はお爺さんも決して人に強く言える性格ではなかったので、お婆さんの浮気を辞めさせることはできませんでした。

大きな桃は拾われないまま海へ流れ、輝く竹が竹藪の中で見つけられることはありませんでした。
しかし、お爺さんとお婆さんは不老不死の桃を食べ、話は現代へと続きます。

お爺さんとお婆さんは2020年のオリンピック特需を期待して、東京へ上京することにしました。
二人は上野で”G-Bar”という喫茶店を開きました。
昔の生活様式を取り入れたスタイルは、若者をはじめ、シニア夫婦に人気が出ました。
もちろん外国人旅行客にも人気だったので、二人の喫茶店経営は順風満帆だと思われました。
しかし、中国の武漢からコロナウイルスが流行したため、オリンピックの開催は延期され、外国人旅行客はもちろん、外出が自粛されて喫茶店経営は大きく傾きました。

お爺さんとお婆さんは東京に残りましたが、しばらく店を閉じている間、二人だけでいる時間が長くなりました。
お爺さんはテレビを見ながら、どうして浮気をした女性タレントは仕事がなくなるのに、男性タレントは浮気をしても仕事があり続けるのだろうと考えました。
「浮気者のconfidenceとは此れ如何に?」と思ったのです。
お爺さんはいくら考えても、浮気という行為を許すことはできませんでした。
しかし、自分だけでも過去のお婆さんのしたことは、水に流そうと思いました。


#5

五月雨のお見合い

「雨、止んじゃったね」
しずめさんは少し物足りなさげに笑って僕に言った。僕は何も答えなかった。でも多分、しずめさんと同じ気持ちであることは僕は悟ることができた。
「雨なんて最低だと思う。…嫌いなんだ。でも今、神様がなんで雨を降らすか分かった気がする」
そんな分かったようなことを言っても現実は変わらないのは分かっていた。でもちょっとしたこれは心の抵抗でもあった。
「そうね、神様は幸せが好きだから」
諦めきったしずめさんの横顔は少し黒髪が湿気っていて艶やかに見えて美しかった。どんなに足掻いたって届かない横顔は美しくて儚い。
「もしかしたら、って考えたことはあるけど、本当にこれが僕の、いや僕らの最善なのかな」
「いいえ、これがきっと世の中なんだわ。すべて天の神様の御心のまま。私たちが言える最善なんてこれっぽっちもないもの」
しずめさんは小さく右手を輪にしてにこっと微笑んでみせた。クロガネモチの木から落ちてきた雫が頬をひたりと濡らした。
「なんか、少し明るくなってきたね」
遠くの空を見た。真っ青な五月の晴れ間が僅かに垣間見えた。
「そうね」
―私行かなくちゃ、そう掠れそうな声でしずめさんが呟いた。
僕は黙っていた。でもしずめさんの袖を掴むことなんてなかった。

…僕と彼女のそんな思い出


#6

見たくないものが見える

 お気に入りのベンチに先客がいた。綺麗な黒髪をした少女だった。

「何を見てるの?」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「Wi-Fi」

 電波系少女も、新しいステージへ移行しつつあるのだろうか。

「わたしには、見たくないものが見えるの」

「そうなんだ。で、Wi-Fiってどんな感じで見えるの?」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「ピコピコした針金みたいなのがずっと飛んでる、とってもカラフルなの」

 なるほど。意外にファンシーなのね。

*    *    *

 次の日、お気に入りのベンチに少女がいた。昨日と同じ少女だ。

「何を見てるの?」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「魂」

 電波少女の次はオカルト? どちらにしても不思議な子のようだ。

「わたしには、見たくないものが見えるの」

「そうなんだ。で、魂ってどんな感じで見えてるの?」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「黒と白に分かれてる。白いのはお空へ消えて、黒いのは地面へ消えるの」

 なるほど。天国と地獄って、そんな安直だったのね。

*     *     *

 また次の日、お気に入りのベンチにあの少女がいた。これで三回目だ。

「何を見てるの?」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「現実」

 急に夢のかけらもない話になった。Wi-Fiと魂に夢があるとは思わないけど。

「わたしには、見たくないものが見えるの」

「そうなんだ。で、現実ってどんな感じで見えてるの?」

 私が尋ねると、

「…………」

 彼女は答えなかった。私が答えを待っていると、少女は私の方を向いて、

「あなたには、どんな感じで見えているの?」

 そう尋ねた。目が合ったのは、これが初めてだった。

「そうだなぁ……」

 私は、首筋についた縄の痕、手首についたリストカットの痕、二の腕についた注射器の痕、それから橋から飛び降りて以来青白いままの肌に触れてから、答えた。

「濁りすぎてて、なんにも見えないや」

 精神病棟の屋上から見える空は、とても澄み渡っていて、綺麗だと思った。


#7

警察庁広域捜査課01

 警察庁に新しく広域捜査課が創設された。自分たちで捜査するだけでなく、全国の県警に捜査や資料提出を命令できる強力な権限を持つ。縄張り争いを超えて県を跨る凶悪犯罪に対処する。当面は東京のみに置かれ、課員は4名。その内の一人に抜擢された八山大輔は柔道で鍛えたがっちりした体格の叩き上げの刑事だ。捜査のため車を走らせているとき携帯が鳴った。課長の錦織誠からだった。
「ヤクザに捜査情報を流していたのは警視庁の水原刑事だった。奴は今港区のXXホテル501号室にいる。全員現場に急行しろ」
 たまたまホテルは近くだった。自分がひと足早く到着できるだろう。
 運転しながら、八山は妻との馴れ初めを思い出していた。
 夜、急に一人住まいの八山のアパートを訪れた美由希は、相談があると言った。若い女性を部屋に上げるのが躊躇われ、外で飯を食おうと誘うとついてきた。
「私、明日お見合いするんです。どう思いますか」
 美由希は楽しそうに笑い、頬が膨らむまで料理を口に詰め込んで、もぐもぐしながらじっと八山を見つめた。
「ご両親は君の幸せを願っているんだよ」
「そうなんです。とってもいい家柄で、お金持ちで。家が大豪邸で、なぜか釣書に家の写真が何枚も載っていて。どう思いますか」
「うん」
「母は白馬に乗った王子様が私を迎えに来たって言うんです」
 美由希は手で隠そうともせず大口を開けて笑った。
「おもしろくないですか。どう思いますか」
 八山は無言だった。
 美由希は三杯目のワインを注文し口を付けた。
「飲みすぎないほうがいいよ」
 美由希は八山を見つめながらにっこり微笑むと一気に杯を空けた。
 食事後、飲みすぎた様子の美由希は足取りがおぼつかなかった。思わず手を伸ばして支えると、
「これからドライブに行こうよ」と叫んだ。
「もう帰ったほうがいい。明日見合いなんだろ」
「きっとうまく行かないと思う。知ってるでしょう。私お行儀が悪いから。いつも母に叱られるんです」
「心配するな。うまく行かなかったらおれがもらってやるよ」
「…………」
「アッハッハ!」
 八山は照れ隠しに大声で笑い、一二歩歩きかけたが美由希がついてこないので振り返った。
「今日じゃだめですか」
「今日って」
「…………」
 八山はしばらく宙に目を泳がせ考え込んだ。再び美由希に目を戻した。いくら待っても彼女はじっと八山を見つめるばかりだった。
「ああ。見合いなんかするな。おれと結婚しよう」
「はい」


#8

夜の帳に

柱の奥から顔を出したのは、つりあがった目にピンと立った長いかぎしっぽの生き物だった。そいつはこちらを見つけるとにゃんと鳴いてどこかへ行ってしまった。
2人(正確には1人と1匹)で暮らすアパートは実を言うと動物を入れてはいけなかった。ただ、アパートの契約の時から6年間、管理人と顔を合わせたことは一度もなかったこともあり、茂みの奥に置き去りにされたその姿が情けなくてそのまま拾い上げて連れて帰ってしまった。
僕はもともと動物は得意ではない。小学校の頃にクラスで育てていたウサギは僕だけを噛んだし、隣のお宅のでっかい犬は絶対的な権力でもあるかのように僕らの町を徘徊する「お犬様」で、人間だったら飼い主に唾でも吐いていただろう眼光鋭い犬だった。今は代表的な例を上げたけれど、僕の人生には動物を一緒に暮らすことをよしとする理由は見当たらなかった。
そいつを拾ったのは何の気の迷いだったのか今でもよくわからないが、今の生活は嫌なわけではなかった。同棲でもルームシェアでもなくドミトリーに宿泊という感じ。同じ場所でお互いがそれぞれお互いの生活を送っている。もちろんエサや糞の世話はしているけれど取るにたらないことだ。それ以上は干渉しない。そして、ちゃんとその部屋に息づいている誰かの「気配」があった。その関係は僕にとって心地よいものだった。

だがある日、そいつはいなくなった。

家のどこを探しても見当たらない。声をかけてみても返事もない。いつも心の片隅で感じていた「気配」が家の中にぽっかりと穴が空いたように無くなっていた。
僕は靴を履き、外に探しに出た。名前を呼びたかったがあいつには僕がつけた名前はない。くそっ、何やってんだ。名前ぐらいつけてやればよかったじゃないか。もしもこのまま…?
僕は後悔の念を拭いきれないまま、町中を走り回った。近所の公園、商店街、学校。干渉しない生活に慣れていた僕はあいつの行きそうなところなんて当てがあるわけがなく、しらみつぶしに町を探した。街行く人にも声をかけたし、見かけたら教えて欲しいと連絡先を渡したりもした。
万策尽きて家に帰ると辺りは暗くなっていた。すると、洗濯機の陰から何の気なしにそいつが現れた。
僕は思わず涙が出た。どこに行ってたんだよ!めちゃくちゃ探したよ…。
きょとんとしたその瞳は暗闇を吸い込んで真っ黒に光っていた。

「おかえり。」

その日僕は、そいつに「よる」と名前をつけた。


#9

夫婦の幸福

ベッドボードに置いた指輪を持ち上げる。そのままベッドに仰向けになって指輪を眺める。
電気を消した部屋。カーテンを開けると窓から入ってくるのは、わずかな街灯と月明りだけ。
薄暗いその部屋で、指輪についているイエローグリーンの石が光る。
夜会のエメラルドと言われるペリドットが付いているペアリングを買ったのは、キミと結婚して数年経ってからだ。
あの時は、お義母さんがいなくなって、ボクは毎日ひとりきりで。
結婚式を挙げてないからかもしれないけど、キミが婚姻届けを適当な日に出してきちゃったもんだから、キミは入籍した日がうろ覚えだし、ボクの誕生は覚えてないのに、彼の命日は毎年ちゃんと覚えていて。
ボクが一方的にキミのこと好きみたいで、夫婦なのに!! って焦ってた。
キミにボクと夫婦だって、わかっていて欲しかった。
だから、買ってきたんだ、この指輪。
婚約指輪もないし、結婚指輪もないし、ちょうどいいと思ったんだよね。
でもね、冷静になって考えたら、こんなものでキミを縛っておくことなんてできないんだよね。
キミのこと好きなのに、その時は全然キミのこと考えられなくて。バカみたいでしょ?

このペアリング、キミはつけたことがない。キミにあげた指輪、キミの指が入らないんだ。キミの体のサイズからこのくらいかな、なんて勝手に想像して、ちゃんと測らなかったんだよね。関節が太いなんて想像もしなかった。
直しに行こう、って言ったんだけど、断られた。どうせつけないから、って。
キミは宝飾品があんまり好きじゃなくて、冠婚葬祭以外で身に着けることなんてない。
なのに、なんでこんなもの買ってきたかな〜って思っちゃう。ホント、あの時のボクは空回りばっかり。自分のことしか見えてなかったんだよね。

キミもベッドボードに指輪を置いていて、夜眺めているのを知っている。綺麗だもんね。
眺めながら、少しでもボクのこと考えてくれてたらなんて思っちゃう。
今日で何日会ってないんだろう? 同じ家にいるのに、仕事に没頭すると部屋から殆ど出てこないキミ。
こんな生活にも慣れちゃって、あの時のボクの焦りはなんだったんだろう? って思う。
慣れって恐ろしい。
大きく息を吐きだす。
ベッドボードに指輪を置いて、カーテンを閉める。真っ暗になった部屋。
焦っても仕方ない。キミとボクのペースは違うんだから。ゆっくりボクたち夫婦の幸福を探して行けばいいよね。


#10

女の子をいじめてもどうしようもない

 女の子をいじめてもどうしようもない。本当にどうしようもないし、お金を燃やしてしまうくらい意味がない。お前は女の子というにはあまりに歳を取り過ぎている。誤解しないでほしい。お前は若い。俺より三歳年上だとか、そう言うことは抜きにして、二十代の後半を慈しむように毎日、毎日、日常の断片を切り取って、写真と言葉で飾り立てた、お前自身の巣をせっせと作るお前はとても若い。そこに登場するお前は、美しく、可愛い。その日お前はその顔に似合わない強いカクテルを飲み、少し泣いた。俺とお前とは、同じ会社の他部署の間柄だが、二人ともサッカー観戦が好きで、スポーツバーで何度か一緒になった。接戦だったその日、後半ロスタイムでゴールが決まったとき思わず目が合ったお前のはじけるような笑顔に、俺は釘付けになった。俺はもう少し飲みたいとお前を誘い、バーカウンターで俺はスコッチを、お前はマティーニを舐めながら、さっきの試合の話を続けた。試合後の喧噪が引き、俺とお前は仕事の話から、お互いの私生活の話をした。教えられたお前のインスタの写真を、お前が補足的に語る言葉で肉付けしながら繰っていくと、インスタ上のお前は目の前のお前自身より立体的だった。これはしんどそうだな、と思いお前を見ると、お前はマティーニを飲み干し、目の端に涙を溜めていた。「ねえ私をどこか遠くへ連れてってよ」

 次の土曜日に俺はお前を連れて行った。ディズニーランドへ連れて行った。お前はリボンのついた鼠のカチューシャを、少しためらいながら身につけ、すっかり笑って、俺も同じだけ笑って、夢のような一日を過ごした。「変わらなきゃ、ね」といって一生乗らないと決めていたビッグサンダーマウンテンに乗ったあと、泣き笑いの上目遣いで俺を見つめるお前に俺は恋をした。そして今まったく同じ目で俺を見るお前は、実は自身が夫も子どもも居る身であることをベッドの上で告白している。「だって好きになっちゃったもの」「だって私をこんなに包んでくれる人、今までいなかったから」「だって」去年より一つ歳を取ったお前はその目に、かき集められるだけの少女性をかき集めて俺を見る。俺はその目を見ながら白雪姫の王妃を思い出す。王様にカボチャのスープを作ったそのお玉で、毒をかき混ぜるその目が、漫画のようにきらきらと大きくて、「お前のその二次元めいた目が気持ち悪いんだよ、失せろ」


#11

能力者

能力者に祈りを頼んだ

快諾してくれたものの会うと
堰を切ったように
むりだという。

その理由は能力者もしらない


#12

カバネマイ

 蜩の心細い声を聞きながら、私はあてもなく歩いていた。
 西の空に沈む夕陽を背中に浴びているせいか、道の先へと伸びた影が不気味な程に長い。
 その影を追うように歩を進めていると、いつの間にか町外れの墓地まで来てしまっていた。線香の匂いが微かに漂い、墓石や卒塔婆が影絵となって立ち並んでいる。
 そのとき、とある墓の上に何かが見えた。
 陽光を鋭く反射する真新しい墓の上で、何やら黒いものがヒラヒラと蠢いているのだ。蝶でも蛾でもない。不規則に動く姿が悍ましく、何とも気持ちが悪かった。
 私は阿呆のように、その不可思議な物体を見つめていた。
「……カバネマイですな」
 突然の声にギョッとして振り向くと、袈裟を着た住職らしき老人が後ろに立っていた。白濁した瞳でこちらを見つめ、意味ありげな微笑を浮かべている。
「新しい仏が墓に入ると、ああやってその上を飛ぶのですよ」
「蟲なのですか?」
 尋ねながら、内心では「そんな馬鹿な話があるものか」と毒づく。
「さて……蟲なのか妖なのか、ホホ、確かなことは拙僧にも解りません」
 数珠をじゃらりと鳴らして、住職は口の中でブツブツと念仏を唱え始めた。所在ない思いで、私が黒い舞踊を見やっていると、
「……最近、お身内にご不幸でもございましたか?」
 出し抜けに住職が言った。住職の語るところによれば、アレは死に触れた人間だけが稀に知覚出来るものらしい。
 不躾な物言いに腹が立った私は、ついぶっきらぼうな口調で、
「嫁の妹が、少し前に」
「成程」
 住職は短く呟くと、再び念仏を唱え始めた。
 その様に忌々しさを覚えて、挨拶もせずに私はその場を後にした。
 一番星の輝きだした群青の空の下を、物も言わずに一路我が家へと向かう。
 道すがら、夕餉時の家々からは暖かな明かりや、団欒の笑い声が漏れ聞こえていた。
 無性に思い出されるのは、妻の顔。妻の掌の感触、妻のうなじの匂い、妻の歌い声……。
 我が家に着くと、玄関を開けてすぐに妻の名を呼んだ。
 呼びながらドタドタと廊下を進み、居間の畳の上に腰を下ろして、煙草に火をつけた。
 黄昏に沈む家の中は静かで、煙草の燃える音だけがやけに大きく聞こえる。
 ふと、目の前を黒い何かが横切った。ヒラヒラと舞うそれを視線で追うと、それは寝室の戸の僅かな隙間から飛び出してきていた。
 私はゆるゆると紫煙を吐き出し、フッと笑った。
 そんな馬鹿な話があるものか。


#13

ケモミミカフェ

 ウサギの耳が生えてしまった。
 触るとフサフサしていて弾力があり、神経も通っているので、切るとたぶん痛い。
 これは戦争に負けた代償であり、戦勝国側は賠償請求をしない代わりに、敗戦国民の百人に一人の割合で獣耳が生えるという呪いをかける権利を要求した。そして敗戦した私の国はそれを受け入れ、結果として百分の一の確率で、私の頭にウサギの耳が生えてしまったというわけだ。
 戦争に負けた代償がこれだけで済んで良かったという人もいる。
 しかし、獣耳が生えない人がほとんどなので、私は不公平だと思った。
 話によると、獣耳の呪いは五十年は続くとされているので、三十歳以上の人は、ほぼ死ぬまでそのままということになる。
「でもお金が貰えるし、カワイイからいいじゃない」
 そう妹は言うが、お金の問題じゃないし、私には可愛さなんていらない。
 お金と言うのは、国から支給される獣耳手当のことであり、対象者は毎月一万五千円貰えることになっている。つまり、毎月一万五千円やるから獣耳になったことを我慢しろということだ。
 妹は電卓を引っ張り出して、計算を始める。
「五十年は六百カ月だから……、トータルで九百万円も貰えるじゃない!」

 私にとっては獣耳なんて屈辱でしかないのだが、中には獣耳を前向きに捉えている人もいる。その代表的な存在が、本物の獣耳を持った人がウエイターやウエイトレスになるという“ケモミミカフェ”だ。
 基本的には、「ご主人様、エサを下さい」とか「抱っこして」とか、そういう恥ずかしいやりとりをするところである。そして店によっては、追加料金を払うと獣耳を一分間だけ触れるといったサービスもあるらしい。
「面白そうだから、一緒に行ってみましょうよ」
 そう妹に言われたのがきっかけで、後学のためとかいう理由をつけてケモミミカフェの扉を開けると、私の獣耳を見たウエイトレスの表情が少し曇ったのが分かった。
 ここは傷を舐め合う場所じゃない、という空気。
 やっぱり帰りますと言って背を向けると、獣耳のウエイトレスが私の腕をつかんだ。
「ごめんなさい。ここには誰が来てもいいんです、ご主人様」
 私と妹は席に座り、飲み物を注文した。
 そして私は色々なことを考えて、獣耳のウエイトレスに、私の獣耳を一分間触ってくれませんかと注文をした。
 ウエイトレスは店長と三分ほど相談したあと、席に戻ってきて笑顔を見せた。
「追加料金が、千円になります」


編集: 短編