第214期 #9

5:43-44

 それはある動画投稿サイトにアップロードされた、9分あまりの短い映像だった。動画のサムネイルには、さえない風体の、中肉中背の男が映っていた。一見、よくある配信風だが、それにしては煽り文もなく、何より男が無言であるため、テスト動画の誤アップロードのように映った。9分の間、男がカメラには一度も視線を向けずその下方を見ていることから、コンピュータウィルスに冒されたパソコンが勝手に盗撮した映像のようにも思われた。男はメガネを掛けていて、見たところ中年にさしかかっているが、幼さを顔の端々に残していた。男を正面から映す、ただそれだけの動画だが、特筆すべきはその表情だった。それは怒りそのものだった。しかし憤怒の形相とは違う。顔のパーツ、たとえば眉間や、目尻、口元や鼻の穴、肩の動きなど、怒っている人に共通して表れる特徴が何一つないのに、全体で見れば男は怒っているのだった。

 発表当時、動画には何の反響もなかった。中年男の顔を映しただけの動画は、評判になるはずもなく、毎日投稿される膨大な数の動画にすぐに埋没した。それから五年後、動画がにわかに注目を浴びることとなったのは、男の顔がある連続殺人の犯人像に似ているという流言がネット上でわき上がったためだった。匿名掲示板、SNS、短文投稿サイトの順に動画が拡散した。良識ある、もしくは自称良識のあるユーザーからの擁護や、犯人の写真や似顔絵は公開されていないという警察の否定にもかかわらず、動画の閲覧数とそれに対する低評価が爆発的に増えていった。良識派のユーザーも、その男の動画を見ると、やがて男を殺人犯と断定するようになった。理性を超えて人を不快にさせる怒りがその男の顔には宿っていた。
 当然男の正体探しは行われたが、まったく身元は特定できなかった。ついに男の動画はマスメディアに載り、男は国民の怒りを一手に引き受ける形となった。その後しばらくして連続殺人犯が捕まり、顔も公開されたが、はたして殺人犯の顔は男には似ても似つかないものだった。その日を境に動画の拡散と閲覧数は止まり、観測する限り男に対する謝罪は一切ないまま、男の顔は人々の記憶から完全に消えた。

 その動画の5分43秒から44秒の間。男の顔が動き、メガネにディスプレイが一瞬だけ映り込む。当時誰ひとりとして気付くものはいなかったが、画像解析ソフトを通すと「人は結局人が好き。」という鏡文字が読める。



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