第210期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 ダニー・カリフォルニア 世論以明日文句 741
2 名探偵朝野十字:新之助のアイリーン 朝野十字 1000
3 桂馬の憂鬱 テックスロー 996
4 私は詩が嫌いになった 糸井翼 1000
5 何かになれると思ってた。 さばかん。 1000
6 道頓堀の喪失 きえたたかはし 997
7 嫌み わがまま娘 999
8 Rebellion えぬじぃ 1000

#1

ダニー・カリフォルニア

 生まれは信州。パパは警官で、ママはヒッピー。
 松本で彼女はハンマーを振り回してた。
 もしあの光景を壊そうとしたら対価を償わされるよ。
 彼女は空しさ以外、何も知らなかった。
 それにしても君のツレは僕を何だと思ってたんだい?

 黒いハンカチ、愛しのアルプス。
 上田で銀行を強奪。
 彼女は逃走者。反逆者、そして絶世の美女。
 彼女は陽気に言うんだ、「坊やはどこへ行きたい?」って。
 45口径の熱い銃を見下ろして。
 生きるためのもう一つの道へ。

 ナガノよ、安らかに眠れ。
 いっせいに解き放て。
 ナガノよ、笑って見せて。
 彼女は僕を導いている。
 だから僕は君を導くよ。

 彼女はいい女で、奮闘屋。
 ちょっと明るくなったときに、気がつくべきだった。
 「チマガリ・センリ」みたいな名前で。
 その日はやってきた。
 僕にとって悲劇の時だったさ。
 銃に一発こめて、彼女はもう一人命を盗んでいった。
 僕は死ぬほど彼女を愛しているよ。

 ナガノよ、安らかに眠れ。
 いっせいに解き放て。
 ナガノよ、笑って見せて。
 彼女は僕を導いている。
 だから僕は君を導くよ。

 誰が君のもう一面を知っていた?
 誰が、人が誇りのために死ぬって知っていた?
 君にさよならを言うのはあまりに辛い現実だ。
 あまりに辛い現実で。

 音量を上げろ、天賦の才持つクリエーター。
 最初は一つのつまみ、後で11こ押し上げる。
 彼女はついに飯山へたどり着けなかった。
 宮中の警官はただノルマのために撃ったんだ。
 アップルロードの地にて彼女は最後に一番大切なものを守っていった。
 笑うとき、心が少し傷むよ。
 あまりにも早く逝ったね。

 ナガノよ、安らかに眠れ。
 いっせいに解き放て。
 ナガノよ、笑って見せて。
 彼女は僕を導いている。
 だから僕は君を導くよ。


#2

名探偵朝野十字:新之助のアイリーン

 聖母マリアのような唇が開き、白い歯の向こうに赤い舌が踊った。
「神様はいるわ。私は罰を受けた。許しを請いたい。でも誰に何を謝ればいいかわからないの」
「あなたは何一つ悪くありません」
 事故で車椅子を使うようになった篠田さゆりは、それを試練だと受け止め、犯罪被害者救済活動に粉骨砕身してきた。先日、フランスで脊椎損傷の画期的治療法が発見されたとのニュースがあった。今、直ちに訪仏し、最新治療を受ければ治る可能性がある。なのになぜか彼女は私の前で逡巡してみせた。
「新之助君は優しいね。それは私が身障者だからかな。私が歩けるようになったら、あなたは私の車椅子を押す必要がなくなり、私のそばにいてくれる理由もなくなるね」
 大きく見開かれた瞳はブラックホールのように黒く輝いていた。
「バカなことを。支援者の寄付金が治療代を上回りました。今すぐフランスに行って治療を受けてください」
 実はさゆりさんはすでに航空券を手配し、これから羽田に向かうところだった。なぜ私を呼び止め話しかけているのだろう。
「プレゼントがあるの」
 私は受け取った小箱を開けた。高級な腕時計が現れた。
 その時、スマホが鳴った。
「新之助。篠田さゆりの居場所を知っているか」
「それは――。なにごとですか。説明してください」
「今すぐ来い」
「でも――」
 さゆりさんが小首をかしげて私を見た。
 私はスマホを切った。
「名探偵さんから?」
「ええ」
「私、もう行くわ」
「空港まで送ります」
「腕時計、つけてみて」
 そうするとさゆりさんは満足そうにうなずいた。
「いいえ。あなたは名探偵の大事な助手。行ってあげて」
 私はさゆりさんと別れ先輩の下に行った。先輩は警視庁の刑事たちと共にいた。
「羽田。成田。船。自家用ジェット。可能性はいくらもある」
 ものものしい雰囲気に気圧されて、私は正直に答えた。
「篠田さゆりさんなら、フランスで治療を受けるため羽田に向かいました」
 刑事たちが色めきだった。
「羽田に署員を送れ。逃すな!」
 結局、警視庁はさゆりさんを見つけられなかった。
「羽田じゃなかった。あの女なら……。複数のロジを予約して状況に合わせて……。新之助、その腕時計はなんだ!」
 先輩は私から無理やり腕時計を奪い取ると地面に叩きつけ、足で踏みつけた。
 割れた腕時計の中から小さな黒い電子部品を取り出した。
 先輩は私を睨みつけその何かを突き出し唸るように言った。
「盗聴器だ」


#3

桂馬の憂鬱

 桂馬は特殊な駒だった。前の駒を飛び越えられるという一風変わったその駒の動きが、という意味においてではなく、その特徴的な動きを自らが愛しすぎている、という意味で桂馬は特殊な駒だった。
 駒である以上桂馬は自身の出番が来れば命令に従って敵地に攻め入らなければならないが、桂馬は己を含めた駒たちが目的としてではなく手段として使われることにいつも我慢がならなかった。香車が飛車に取られた時は、「あれは不幸な出会い頭の事故だよ」「車格が違うからだろうな、お子さん、まだ小さいのに」「サイドエアバッグはちゃんと作動したのかしら、せめて楽に死んでいれば」と聞かれもしないのに香車の死をもとに物語を展開し、香車本人にしか知り得ないであろう心情を周りに語って聞かせた。さらにそれには飽き足らずリアリティを求めて香車と飛車の「事故現場」に仲間の制止を振り切って飛び出した。自分が一番スマートに見える角度で桂馬跳びをして事故現場に到着した桂馬はしかし、その凄惨な現場に絶句した。香車の死に対する甘いメランコリックな気持ちは吹き飛び、かといって引き返すこともできず立ちすくんでいるところで悪寒がして斜めを見ると、やぶにらみの角が自身と王との両方に狙いを定めていることに気付いた。

「王手桂取り」

 不釣り合いな言葉が頭に浮かんで桂馬は笑った。死を前にしてあまりにおちゃらけている自分と緊迫した戦場との不釣り合いさと、死の前で王と自分とが平等になっているというその不釣り合いさに笑った。そのくせ足が震えていた。万にひとつも自分が生かされないことはわかっているが、やはり怖いものは怖かった。
 指し手は長考しているらしかった。ただそれはすでに桂馬の死を勘案に入れたうえで、その何十手先を考えているということくらいは、将棋に明るくない桂馬にもさすがにわかった。桂馬には何の後ろ盾もなかった。ぴょんぴょん飛び跳ねていた分、周りに誰もいなくて、桂馬には殺される以外の手は考えられなかった。将棋のいいところは、静と動とが極端に離れている点だった。王を避難させるために指し手が右手を動かすまで、桂馬は永遠とも思える静の時間を過ごした。桂馬はモータルな存在としての自分を今までにないほど感じていた。しかし己の人生を飾り立てる適当な言葉が見つからないまま、後手番の角が己に向かって飛んでくるのに気の利いた台詞の一言も言えないでいるのだった。


#4

私は詩が嫌いになった

私にとって詩を書くのは、きれいな例えじゃないけど、トイレに行くようなもの。日常の色んなことを私のフィルターで消化すると、詩が自然と生まれる。だから外に出さないと体が変になる。
別に誰かに見てほしいと思っていた訳じゃないけど、紙に書くのより管理しやすいから、投稿サイトで投稿しつつ、Twitterでつぶやくことにした。
私みたいにぽつぽつ詩をつぶやく人とか有名人をフォローして、私のフォロワーは20人ほどで、詩をつぶやいても何の反応もなし。時々、「闇を感じる」とか言われたけど、別にいい。たくさんフォローされて、(いいね)って言われている人が少しうらやましいけれど、私の詩はそういうものじゃないから、別にいい。

スマホの通知が突然鳴り続けて焦った。何が起きたかわからない。
Twitterの通知が大量に来ていた。通知の嵐の中、よく確認したら、私のお気に入りの現代詩人の一人、ぷらぷらさんに私の詩がリツイートされた、お褒めの言葉と一緒に。「幻想的。世界の切取り方が美しい。この詩はもっと読まれるべき」
投稿サイトでもTwitterでも、誰にも反応がないのが普通。学校で詩を書く機会もあったけれど、これまで正直誰からも詩を誉められたことはなかった。あ、小学校の先生に、あなたの詩は不幸な感じがする、とか言われたことはあったかな。
詩を褒められたらこんなに嬉しいのか。私の詩はもっと読まれるべき。
その日以降、私の詩はコメントが一気に増え、フォロワーも増えた。コメントが難しい書き方でよくわからないことも多かったし、そんなこと思って書いた訳じゃないよ、というものもあった。ただ、評価は嬉しいし、私の発する短い言葉の意味がどんどん広がるのがドキドキする。ファンみたいな人も出てきて、恥ずかしいけれど、届けたい、とも思った。

ぽつぽつさんは私を発掘したという気持ちがあったようで、色々助けてくれた。出版社などにもコネがあり、詩や短編小説を公表する機会をもらえた。
公表機会が増え、評価の声も幅広くなったが、私が良いと思うものと、良い評価がもらえるものがズレる。

詩を書くことにはじめて悩んだ。ぽつぽつさんは言った。「詩に絶対はない、『意味』だから。自分が良いと思うものを作るか、他人に良いと思われるものを作るか、自分で決めないとね」
ぽつぽつさんは自分が良いと思っているものを作っているのだろうか。寂しそうな顔の意味を私は考えていた。


#5

何かになれると思ってた。

「つまんねぇ」
ぽつりと呟いてしまう。
昼過ぎにやっているテレビは、大して面白くもない話題ばかりのワイドショーばかり。録りためていたアニメはすべて消化してしまったし、かといって以前にハマっていたゲームももう飽きてしまった。昼寝をするような眠気もない。外は暖かい日差しが草木を照らしている。その風景は平和すぎてつまらない。
もっと、刺激的な何かが欲しい。心の中でそう、渇望の声が聞こえた。
大学生になって、最初のほうは刺激的だった。
憧れの一人暮らし、初めて行く飲み会、サークルなんてものに入って、新しい人達と出会って。何をしても楽しい。そんな生活を、ずっと望んでた生活を手に入れることが出来たと思っていた。でも、慣れるとそれは『当たり前』のものでしかなくなって。結局つまらない日常に舞い戻ってしまった。
おかしいなぁ。小学生の頃は何でもなくたって毎日に希望を抱いていたのに、今ではこれから就職活動が始まり、大学を卒業すれば毎日通勤ラッシュにもまれながら働きに行って、疲れて帰って、寝て起きて、それでまた働きに行く、そんなつまらない灰色の毎日に向かって希望も何もなく流れ作業のようにそれを受け入れていくのだ。
自分は何者かになれる、そう思ってた。
小さい頃からアニメが大好きで、まだ現実と非現実の区別がつかない小さい子供の頃なんかは本気で戦隊モノの主人公に憧れたし、いつかは自分にもなれる日が来ると信じていた。中学生に上がっても、無意識にそうどこかで思っていたのかもしれない。いつも『なれるかもしれない何か』に向かって走っていた気がする。いつの間にか、その目標が、『なれないもの』だと理解出来たのか、自分は歩むのを止めていたのだ。
つまらない毎日、自分が何者でもないという変わらない現実、どこに行ったらあるのかわからない自分の探す目的地。
時々、自分の夢を叶えて立っているバンドマンたちが、テレビに映る芸能人たちが、定まった目標に向かって進んで行く友人たちが眩しくなる。
「俺は……?」
目を細めているだけじゃ何も生まれないし定まらない。テレビだってゲームだって、今の自分に何も答えてくれないし、与えてくれない。自分がしたいことなんて、なりたいものなんて自分で見つけなくちゃいけない。彼らだってそうやって今の彼らを見つけ出したんだから。
『つまんねぇ』のは自分じゃないか。刺激的なのなんか求めなくてもいい。
とりあえず、歩くんだ。


#6

道頓堀の喪失

カイは馬とともに育った。親はいなかった
仕事は飛脚。昼は荷物を運び、 夜はモンゴルの夜空を天蓋とした
栗色のたくましい馬。白い縦縞のはいった首を撫でる。それだけで彼らは満ち足りていた
ある日カイは酒をこぼした。結婚式にもっていくはずの樽に酒だった。半分ほどこぼれている。魔が差して少し飲んだ。酔ってもっと飲んだ。馬にも勧めた。馬は樽に残った酒をぺろりと飲み干した
2人は気が狂ったように草原を駆け出した。カイが手綱を引いても馬は止まらなかった
三日三晩走り続け、気づくと上海にいた。2人は警察に捕まり、コンテナ船でモンゴルに強制送還された。モンゴルは内陸国である。当然船は向かうはずもなくかった。二日後、彼らは大阪の港に降ろされたのであった
帰るには金がいる。カイはその土地の飛脚に声をかけ「僕もその仕事をやりたい」と伝えた。大きなリュックを背負った男はウーバーイーツの配達員だった。懇切丁寧にアプリの登録から丁寧に教えてくれた
彼はそのようにしてウーバーイーツ配達員になった。彼はどんどん日本語を覚えた。しかしなぜだか生理的に関西弁が受け付けなかった
ある日、ウーバーイーツの運営から彼のアカウントに電話があった。「馬での配達は認められません。自転車か原付きバイクでおねがいします。」
カイは馬を質に出し、原付きを買った。Hondaスーパーカブ。
「たくさん配達して馬を取り戻すんだ」
しかしある日の配達で道頓堀橋を渡る瞬間にその喪失は起こった。橋の上で右手でアクセルをふかすと彼は何もかもの記憶を失ってしまった
週払いのウーバーの給料は酒と競艇に消えるようになった。借金もするようになった。「船は駄目だ!明日は馬だ!」
翌日の京都12レースには「ウーバーストライク」という妙な名前の馬が出走していた。有り金を全部つっこんだ
当日、居酒屋のブラウン管でレースを見ていた。ゲートが開くと鳥肌がたった。栗色の馬に見覚えがあったのだ。馬の首元に妙に引かれた。それは彼が全額かけた馬であり、かつて共に草原を走っていた馬だった
カイは握っていた馬券は万馬券になった。手震えている。しかし万馬券よりもっと大切な何かを俺は忘れている気がする
栗色の、首に白い縦縞の入ったあの馬。。。
彼は残った焼酎を一気に飲み干した
そしてその馬伝えるべき言葉が口からゆっくり出てきた
「おおきに」
このようにして完璧な関西人が一人増えた。馬は阪神のトラが食った


#7

嫌み

「返すよ」
見覚えのある小袋が机の上に置かれた。
「持ってれば?」
「嫌みに見えてきた、それ」
「は?」私は眉をひそめた。

「嫌み?」
小袋から出てきたブレスレットを見て、由利子は私を睨みつけた。
「私が意味わからないとでも思ったの」
「幸せになって欲しいって思っているから持ってきたの」
結婚が決まってからどうもイライラしていると聞いて、マリッジブルーなのかと思っていた。でも、どうやらそうではないと気が付いたのは最近だった。明らかに私に敵意がある。あまり刺激しないようにと思って最近は連絡もしていなかった。
それでも結婚式の招待状が送られてきた。親友ふたりの晴れの日という思いよりも、今出席して由利子の気に障ってはいけないと、欠席に丸を付けた。
結婚式には出席しない。だから、せめて直接おめでとうと伝えるために、招待状の返事と一緒にアクアマリンのブレスレットを持ってきた。これが幸せな結婚となるようにと。
椅子の背もたれに体を預け、由利子は言った。
「さぞ、滑稽でしょうね。あなたのことが好きで、あなたの好きな男が、あなたのために私と結婚するのを見るのは」
何か勘違いしているのは明白だった。全然誤解が溶けないんだよ、と晃がボヤいていたのはつい数ヵ月前だ。
プロポーズされたと嬉しそうに言ってきたのに、そのあと何があったのか。晃が由利子のことが好きなのはずっと変わっていないのに、由利子はどうして晃のことを疑っているのか。きっかけがあったはずなのに、私も晃も全然わからなかった。

結婚式当日の夜、出席した友達から式の写真が送られてきた。
由利子の満面の笑顔を見て、安心した。左手に例のブレスレットがはめられていて、嬉しかった。

結婚式の翌日の早朝、電話で起こされた。部屋の中は真っ暗でスマホの画面だけが明るかった。
晃からの電話だった。由利子がいなくなった、とこの世の終わりかと思うような声がした。
どう考えても朝一の新幹線に間に合うその時間に起こされて、それに乗らないわけにはいかない。とりあえず、そっちに行くからとだけ伝えて電話を切った。
私が晃と合流した時、由利子は既にこの世を去った後だった。

結局晃はブレスレットを置いていった。袋から出したそれを手の中でガチャガチャといじる。
晃と入れ違いで帰ってきた助手が嬉しそうに「晃さんからですか?」とお茶を持ってきた。
事情を話すとまた「嫌み」と言われそうな気がして、聞こえないふりをした。


#8

Rebellion

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その髪は限りなく長く、どこまでものびている。『未来』に過ぎ去られた者はおらず、誰であれ髪を掴んですがれるから。
 一人の女がその髪を掴んだ。
 夫をなくして独り身で苦労して幼い子を育てていたのに、強盗に襲われて子供もろとも殺された女だ。
 『未来』は振り返り、優しく微笑んで言葉を紡いだ。
「あなたの最後はとても気の毒でした。ですがその悲劇は皆の知るところになり、強盗に対する激しい怒りを呼び起こしました。あなたが住んでいた街はより厳しい法を定め、警備や見回りもはるかに厳重になりました。この影響はあなたの死後も長く続き、そのために命を落とさず済んだ人は三千四百人。これもすべてあなたのおかげです」
 それを聞いた女は微笑みながら消えていった。

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その髪を一人の男が掴んだ。
 つまらぬ荷運びの仕事を長年続け、酒しか楽しみを知らぬまま病んで死んだ男だ。
 『未来』は振り返り、優しく微笑んで言葉を紡いだ。
「数十年の荷運びの中で、あなたが運ばなければ薬が間に合わずに亡くなった人は十五人。またあなたが格安で食料を運んだために栄養失調を免れた貧民の子が百人以上います。これもすべてあなたのおかげです」
 それを聞いた男は微笑みながら消えていった。

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その前に立ちはだかる者がいた。
「あなたは誰ですか? なぜ『未来』に立ちはだかりますか?」
 そう『未来』が訊ねると、立ちはだかる者は冷たく言い放った。
「私は逆らう者。お前が『未来』だという嘘をあばきにきた。お前の正体は『物語』だ。人間として確かに存在し、感じ、考え、苦しんだ者たちを、ただの『物語』にする怪物だ」
「それは人間を幸せにしますよ」
 その優しい言葉に、立ちはだかる者は黒髪を振り乱して叫び返す。
「勝手に意味を与えるな! 意味もなく生まれ、意味もなく暮らし、意味もなく死なせてやってくれ! 物語を読み、物語を語ろうとも、人間は物語じゃない!」
 そう言われて少しだけ考える。でもすぐに微笑みながら口を開いた。
「素敵な言葉ですね。つまりあなたは、『わたしの物語』でしたか」
 立ちはだかる者は茫然とした顔を浮かべたが、すぐに消えてしまった。
 あとには一筋の黒髪だけが残る。それを拾い上げて優しく口づけながら、再び歩み始めた。
 訪れるすべての『未来』が、訪れたすべての『物語』と共に。


編集: 短編