第209期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 名探偵朝野十字の事件簿:正義の殺人 朝野十字 1000
2 博士のロボット 糸井翼 1000
3 壺を割る 瓶八 637
4 二度漬け禁止 テックスロー 996
5 アメシスト わがまま娘 999
6 分からず屋、あらためまして ゼス崩壊 996
7 ハッピーエンド たなかなつみ 1000
8 運命遺伝子 つかしょ 1000
9 永遠の物語 えぬじぃ 1000

#1

名探偵朝野十字の事件簿:正義の殺人

 篠田さゆりの美貌は深い知性に裏打ちされ気高く輝いていた。ヴィーナスかくやの悩ましいシルエットを圧倒する高潔な人格。正に女神だ。
 先輩は雪面に這いつくばり、刻まれた深い轍を見つめた。
「篠田さん、これはあなたの車椅子の轍だ」
 彼女は不幸な事故で車椅子を使っていたが、それはいささかも彼女の尊厳を虧損できなかった。
「庭に散歩に出て、そうしたら――新之助さん」
 不安そうに見上げる彼女の冷たい手を私はしっかりと握りしめた。
 今朝、彼女が庭を散歩していたら、池で溺れた林氏を見つけたという。
 ここは有力政治家、佐々木邦夫の東京の私邸であり、昨夜のパーティーに招待された著名人の中に、実業家の林幸弘と犯罪被害者救済活動を続けてきた篠田さゆりが含まれていた。私は彼女の団体でボランティアをしており、このパーティーに付き添った。マスコミの目を気にした佐々木氏は警察に通報する前に名探偵を呼んだ。
 広大な庭の大きな池の周囲には薄く雪が降り積もっていた。
「昨晩降りやんだ雪上には林氏の足跡の他あなたの轍しかない。つまりあなたが犯人であると」
 へっぽこ警部か!と私は内心突っ込んだ。何かトリックがあるに決まってる。
「ここはあなたには寒すぎる。戻りましょう」
 私は車椅子を押した。ちらり振り返ると、先輩は這いつくばって新しくできた轍を見ていた。
 同じサークルの西野順子は言った。
「さゆりさんが妹のようにかわいがっていた女子高生が自殺した。彼女は生前レイプされたと告白したけど犯人は捕まらなかった。それがさゆりさんの運動の原点よ」
 先輩は警察に通報し、警察はいったん篠田さんを拘束したが嫌疑不十分で釈放された。しかし先輩はいまだ彼女について調べている様子だった。
「今回ばかりは先輩の間違いです」
「轍が普段より深かったのは車椅子に重りを載せていたから。彼女が前夜人目のない池の前に林を呼び出し、車椅子で体当たりして池に突き落とした。動機は恋人だった女子高生の復讐のため」
「ただの事故です。林はカナヅチだった。事実です」
「カナヅチが自らわざわざ池に行って落ちた? きみはじつにばかだな」
「仮に先輩の言う通り林が女子高生の死に関係あるなら自業自得ですよ」
「篠田さゆりは確信犯だ。以前彼女の団体が提訴した被告人は公判中に不審死した。成功続きなのにこれからは控えるとでも?」
 名探偵は眉を顰め、呻くように言った。
「彼女は連続殺人鬼だ」


#2

博士のロボット

不便な山奥にその研究所はあった。研究所と言っても、ただのボロボロの小屋だ。そこにはほとんどものがない。ただ少しの研究機材と、A博士とAの作った人工知能搭載ロボットの二人がいた。
Aはよく言えば、ある意味純粋で一途な研究者だった。それゆえ、人の社会とは合わず、人の黒い部分を前に辛い経験をしてきたのだった。社会と離れ無欲で追求した結果、人知れず高度な技術でロボットを作り、一緒に暮らしていた。
Aはそういう人だから、ロボットが学習してきたのは、純粋な感情と研究所の周りの自然、そしてそこで流れるゆっくりした時間だけだった。Aはそんなロボットが美しいと思っていた。
あるとき、Aの知り合いの研究者が訪ねてきた。彼はAの能力は尊敬しつつも、性格は逆で、Aを人としては軽蔑さえしていた。というのも、彼は、その研究や能力を人の社会で発表し、役立て、そして認められる、そこに価値がある、という信念を持っていたからだ。
彼はAの研究成果を社会に発表すべきだと思っていた。今回、ちょっとした作戦を練っていた。彼としては、Aの研究は素晴らしいが、Aの狭い世界でとどまり、その結果更なる発展のチャンスを失っていると感じていた。そこで、インターネットをロボットに接続し、広い世界の知識、情報を人工知能で学習させようと考えていた。Aはインターネットのように外の情報を得るツールをほとんど持っていない。研究を少しでも高めてあげたい、そういう彼の善意でもあった。そして社会貢献へと繋げたかった。
Aは外の情報と繋ぐことを拒んだが、純粋なロボットはこの提案に賛成した。
「私は外の世界を見てみたいです。」
彼はロボットがこんなことを言うので正直驚いていた。この研究は本当にすごい。
Aも、お前がそう言うなら、と了承した。
彼の持ってきた機材により、山奥の研究所でもコードを繋げばインターネットと接続できる。これで世界中の英知を学習させられる…
接続した瞬間、ロボットは恐ろしい表情を浮かべ、倒れ込んだ。そして自らコードを抜いた。
「お前は何をした!?」
Aはロボットに駆け寄り、彼を睨んだ。
彼には何が起きたかわからない。
「博士…人は恐ろしいですね。これを接続した途端、大量の悪意が見えました。」
「そうだ…だからだ、私が人の社会から離れたのは。こうなると気づいてやれなくてすまない。」
彼はもう二度とこの研究所に来ることはできないと感じ、機材と去っていった。


#3

壺を割る

 旅の女が一人、ある村で酒場に入り夕食を取った。
 その折、村のならず者に絡まれ、意図せず店の飾り壺を落としてしまい、店主に弁償を求められた。
 大した壺でもないのに法外な値段だった。嫌がらせである。
 女は、ならず者のせいだと主張し支払いを拒否したが店主は譲らない。
 女は怒って、店にあった飾り壺をもう一つ割り、二つぶんの金を払って店を出た。

 そこに居合わせた村の女がいて、二つの壺のかけらを集め、継ぎ合わせて直した。
 素人の手による下手な継ぎだったが、再び壊れることはなかった。
 壺を直した女は嫌なことがあると二つの壺を見て心を慰めた。

 壺を直した女が死んだ後、村を訪れたある男が二つの壺を気に入って購入した。
 この男は、王家に出入りする商人だった。
 新しく即位する新王にふさわしい贈物を探して国中を旅していた。

 二つの壺を抱えて商人は城を訪れた。
 商人は王に壺の物語を話し、最後にこう言った。

 恐れながら、新王の国は二つの危機に見舞われております。
 一つはならず者が引き起こした災厄であり、今一つは先王自ら招いた災厄です。
 しかし、新王ならば、このふたつの壺のように、うまく継ぎ直すことができましょう。
 この壺をお求めになり、見えるところに飾って大切になさりませ。
 その行為があなたを正し、あなたの周りの者を正すのです。

 こうして、壷は大金で買われ、新王は国を立て直した。
 王が死んだあとも、何人かの王がこの壺を飾った。
 国が滅んだ今も、二つの壺は人々の手を渡り歩いている。


#4

二度漬け禁止

「生。紅ショウガと牛カツとキスフライにアスパラ」
 席に着く前に注文を告げると男は丸いパイプ椅子にどっかと腰を下ろし「やれんわ今日はー」とつぶやきながら左手でネクタイを緩める一方、右手では袋に入った筒状のおしぼりを机に縦にたたきつけパン、と器用に袋を割り中身をつまみ出して顔と首筋を拭いた。顔を拭き終わると同時に「生お待たせしましたー」と店員が生ビールを持ってくる。男は一瞥もくれずにビールに口をつけ喉を鳴らす。ジョッキを持つ左手にはライターも握りこまれており、右手は背広のポケットにあるハイライトの袋を神経質に揺らしタバコを一本取り出す。煙を深く吸い込んで吐き出すと、やっと一日の終わりを実感し、リラックスした血管にビールのアルコールが染み渡るのを感じる。
「お待たせしましたー、こちら左からアスパラと」と串カツの中身を説明しにかかるバイトを手を振って制し、紅ショウガ串を取り上げ目の前のバットのラップを剥がして記憶の海にどぶ漬けし、零れるのにも構わずかぶり付く。

 痴漢っていろいろあると思うけど、基本触れるか触れないかくらいでグレーゾーンって言うの? そういう感じで手の甲で触れてくるんだけど、そいつ違うの。お尻なんだけど、悪意? 感じるくらいにすごい力で握られて、痛い! って振り返ったら善悪の判断は一応ついているみたいなんだけど自信なさそうな、母親に何かを訴えるような、新幹線のトイレの便座みたいな顔した男がじっと顔見てるの。そいつが取り押さえられるまで、五秒くらいかな、、、謝ろうともしないで、でも馬鹿みたいな力で握っていた手は緩めて、撫で回すの。私のお尻のところ。ほんと、ソフトタッチで。なんか、撫でられてるうちにそれもいいな、って思って結婚したのが今の旦那です!

 男の頭に見知らぬ誰かの記憶が流れ込む。紅ショウガの酸味に負けないくらい強い味に思わず男は顔をしかめて剥がしたラップを見るとそこには「サエデの記憶 25歳 専業主婦」とある。見知らぬサエデの記憶のえぐみは強いが、その遠くに甘みを感じるようで、男はその正体を突き止めたいと食べかけの紅ショウガ串をバットに突っ込もうとした。

「二度漬け あかん まもろう みんなの アイデンティテー」

 張り紙を見ながらティテー、と口に出すと男は少し冷めた紅ショウガをそのままかじった。さっきよりだいぶぼやけた記憶の中でサエデたちが笑っていた。


#5

アメシスト

今日は節目だからと、アメシストの器にぶどう酒を注いでくれた。
庭に続く石段に座って、器を合わせて、満月に掲げる。
ニノ月の満月は弔いの日。
庭からのびる一本道の向こう側、山の中に一族の村はあった。
あの日その場所で何があったのか、俺は知らない。あの日のことを君は何も言わない。

この夜だけ、かけられた魔法がスルッと解けて元の体に戻れる。
黙ってグラスを傾ける俺を見もせずに言った。
「本当は、あなたがここで生きていることを、あの人は望んでいなかったんじゃないかって思うことがある」
薄く笑って彼女は満月を見た。
「え?」
「本当はあの村の神殿の奥にある泉に眠らせて欲しかったんじゃないかって。一族の復活ができるその日まで」
君は器のふちを指でなぞりながら話し出した。

初めてあなたに会ったのは、新月の夜だった。
精霊が騒がしくて、気になって山に続く道を歩いて行ったら、途中であの人に出会った。
あなたはこの子を連れて屋敷に戻りなさい、満月の晩にここでもう一度お会いしましょう、って。
光が届かなくてどんな表情をして、どんな姿だったのかわからないけど、年配の男の人で、血の匂いがした。
あなたは、真っ白なおくるみに包まれて、眠ってた。
落ち着きのない精霊達と血の匂いがひどく怖くて、私はあなたを連れて屋敷に戻った。
あなたは文字通り死んだように眠ってた。
満月の晩、あなたを抱いて道を歩いて行ったら、知らない男の人がふたり立っていた。
あぁ、あの人はもうこの世にはいないのだと思った。
男の人達はおくるみの上からあなたに何か水のようなものをかけて、私に言ったの。
次の新月の晩、祈りを捧げに来て欲しいと。
ピクリとも動かないあなたを連れて、あの村に入ったときは全て片付いていて、神殿の入り口にあのふたりの男が遺体となって座っていた。そのそばにこの器が転がっていた。
ふたりの遺体をなんとか埋めて、神殿で祈りを捧げた。
その時に、あのふたりがあなたにかけていた水のようなものの答えをしった。
時間魔法がこの子にはかけられている。
アメシストが敷き詰められた泉がそこにはあって、かけていたのはその水だ。時間魔法がかけられた水。
あの人は、きっと私がこの子をここに沈めることを望んでいる。血を絶やさぬように。

「でも、それをしないで私はあなたをここに連れて来た」
君はぶどう酒を一口飲んだ。
「なんで?」
俺がそう聞いたら「家族が、欲しかったのかな」って俺を見て笑った。


#6

分からず屋、あらためまして

時は元禄。江戸は八百八町のはずれに一軒の小さな骨董屋があった。店主は儀助という男で、三十を過ぎても嫁を取らず、骨董品集めに精を出す変わり者である。
店には『分からず屋』という看板が掲げられている。この奇妙な店の名は、儀助がわざわざ真作贋作両方の品を仕入れて、買い手の目利きを試していることに由来する。商品の真贋については買い手の目利き次第、だから分からず屋、というわけである。
儀助はこの秋口から、お加代という娘を店の手伝いに雇っている。お加代は二十を迎えたばかりの独り身で、心根の優しい働き者ではあったが、これが近隣でも知らぬ者のないほどの醜女(シコメ)だった。

年の瀬も近づくある日、儀助は店で転んで腰を痛め、起き上がることさえ困難になった。そんな儀助を見るに見かねて、お加代が看病に駆けつけた。

ふと儀助が目を覚ますとすでに夜ふけで、部屋には僅かな明かりが灯るばかり。儀助の枕元には、座ったまま目を閉じるお加代の姿があった。看病に疲れて眠っているようだ。
──お加代、と声をかけそうになって儀助は慌てて口を閉ざした。暗がりの中、朧げな明かりに照らされたお加代の姿が、はっとするほど美しく見えたのだ。儀助はごしごしと何度も指で目をこすった。まるで狐に化かされたような気分だった。

翌朝、幾分具合も良くなった儀助が居間に出ると、お加代が朝餉の支度をしていた。
「あら儀助様。具合の方はもう宜しいのですか?」
にこりと微笑みかけるお加代を、儀助は穴があくほど眺めた。やはり何度見てもお加代は醜女である。しかしよくよく見れば、お加代は顔立ちこそたしかに不器量だが、この挙措の美しさ、佇まいの涼やかさは並大抵ではない。
儀助はううむと唸りながらも、内心、ひどく愉快な心地になった。こんなにもお加代のことに想いを巡らす自分がおかしくもあり、新鮮な驚きでもあった。
俺の目利きもまだまだ未熟だったか、と儀助は苦笑しつつ、ふぅ、と大きく息を吐いて、真っ直ぐにお加代を見つめた。
「……お、おい、お加代や」
はい、なんでしょう、とこちらを見つめるお加代の手を、儀助は自らの手にそっと重ねた。驚き目を見開いたお加代の顔が、息のかかりそうなほど、すぐそばにあった。

店に『目利き屋』という新たな看板が掲げられたのは、それから数日後のことである。
仲睦まじい夫婦が切り盛りする店は、安くて良い品ばかり揃っていると、大層評判になったという。


#7

ハッピーエンド

 何度も同じ時を繰り返す。
 幼い頃の暮らしは毎回異なる。親きょうだいに祖父母と親戚のいる大家族のなかでもまれることもあれば、ただひとりの親と密な関係を築くこともある。楽しい時間も辛い時間もあるが、その頃の感覚はたいがい朧でどうでもいい。
 そして、出会う。その瞬間に景色が変わる。世界が変わる。
 おまえだけが際立って見える。
 最初から好意をもつばかりではない。けれども、心は囚われる。怒り、憎み、哀れみ、目が離せないと思い。
 恋しく思う。
 気持ちが定まってからはいつも同じだ。生まれてきたのはただ、おまえに出会うためだ。今度は間違えない。愛しさをはき違えない。追い詰めない。振り回さない。ただ、優しくする。したい。
 いつも同じ過ちを繰り返すのは、おまえが心を開くことが絶対にないからだ。
 おまえの瞳はいつも憤怒に彩られる。睨みつける。脅える。涙を流す。
 そして、何度繰り返してもおまえが口にする言葉はいつも同じだ。
 「おまえを愛しく思うことなど絶対にない」
 おまえを手に入れるために搦め手を使う。力を行使して婚姻にもちこむ。既成事実を積み上げて追い込み攫う。おまえは涙を流し、蔑み、うんざりしながら、繰り返し言う。
 「おまえに気持ちを許すことなど絶対にない」
 それでも繰り返す。今度こそ逃がさない。今度こそ気持ちごと手に入れる。気持ちがなくてもせめて添い遂げたい。老いて命が尽きるまで一緒にいたい。
 いつも間に合わない。何度もおまえの死に遭遇する。暗殺される。謀殺される。事故で命を落とす。自らその命を絶つ。
 いつも、いつでも、気持ちがないはずの私の命と引き換えに。
 愛しいおまえの骸を抱いて号泣するたび、同じ誓いを立て直す。今度こそ間違えない。失敗しない。おまえを見つけて大事にする。そこに気持ちがなくてもいい。理不尽な力でおまえの命を奪わせない。今度こそは。今度こそは。
 いつも同じことを繰り返す。
 性別を違えてもみた。年齢差を変えてもみた。民族を変え、国を変え、種を、時代を、世を、すべてのステータスをひとつずつ変更して、同じ時を繰り返した。
 なのに、おまえを助けることができない。おまえは必ず私を守って命を落とす。そして虫の息で言うのだ。おまえと出会ったことがすべての過ちなのだと。
 過ちになどさせない。
 何度も同じ時を繰り返す。ぼんやりと子ども時代を過ごし。
 また、おまえに出会える日が来る。


#8

運命遺伝子

みなさんは『運命』という言葉の意味をご存じだろうか。簡単に人でいうとその者の定め、めぐりあわせ、といったところだろうか。この言葉を用いると、運命の人、運命の出会い、などと様々だ。上記で上げた『運命』の例は良い運命だ。しかし、中には悪い運命も存在する。事故にあう、投資に失敗し破産する、死ぬ。これらは偶然ではない、必然だ。もし偶然ならばこんなにも社会がうまく周り、世界の技術が発達するとは到底思えない。そんな中、運命は変えられないとよく耳にする。だが、もし運命を好きなように変えられるとしたらあなたはどうするか。


「余命6か月です」
医師にそう告げられた。すでに癌が他のところにも転移している状態だった。仕事に没頭するあまり健康診断を怠った結果がこれだ。もう少し早く見つけてれば。孤独で癌で死ぬなんてあんまりだ。呆然と座りつくした俺をみて医師は問いかけた。
「癌で死ぬは嫌ですか?」
「当たり前だ!!!!」
正直キレそうだった。こんな質問をしてくるなんて医師としての自覚はあるのか。
「では、変えてみますか?運命」
一瞬耳を疑った。俺はまだ生きていられるのか?医師は話を続ける。
「人は生まれた時からすでに運命が決まっている。人だけでなく動物、植物など生命体を持つもの全てだ。そんな中、人は必ず遺伝子を持つ。恐らくあなたの家系は癌で亡くなった方がいるのではないか。運命遺伝子が癌で死ぬことになっている。これはかわいそうなことに遺伝したのだな。」
その運命遺伝子とは何だ。すぐに問いかけた。
「単純なことだ。運命を決定する遺伝子のことだ。運命遺伝子が作られ、運命が決定してしまえばだれもその運命に逆らうことはできない。ただ現代では技術が発達したため、遺伝子組み換えというのができるようになり、遺伝子を取り換えることができるようになった。ただこの手術はまだ世間では認知されていなく、特別であって‥…」
つまり俺はまだ生きていられる…?
俺はうれしさのあまり有頂天になり、その後の医師の話は覚えていない。
 
俺は自分の家のベッドで目が覚めた。机には手術を受ける契約書と診断書などの資料が置かれていた。無事手術は成功したようだ。不思議なことに料金は無料だった。怪しい気もするがまぁいいか。俺の人生が明るくなったような気がした。俺は元気よく会社へ向かった。
6か月後 俺は死んだ 死因は車に轢かれそうになった子供を助けて死ぬ 勇敢死だった。


#9

永遠の物語

「久しぶりじゃないか。俺はもう定年だが、お前も引退したのか?」
「ああ」
「さすがに歳だから、体がどんどん思いどおり動かなくなってきてな」
「そうだな」
「他人と会って話すのもおっくうになるし」
「わかるよ」
「何もしてないからか、一日はたまらなく長い」
「まったくだ」

 俺は幼い頃は、グズやノロマと言われる子供だった。学校の授業には全然ついていけず、友達とのつきあいもテンポがまったくあわない。
 大学生の頃になんとか勉強も人間関係も半人前くらいになり、先輩のコネで小さな設計事務所に就職することができた。しかしそこでも、仕事が遅いと怒鳴られてばかりだった。
 だが俺はめげることなく仕事に励んだ。最初は何週間もかかっていたような仕事も、続けていればそのうち数日でできるようになる。十年後には誰にも文句を言われないほど仕事がこなせるようになり、二十年後には独立してやってけるようになった。三十年後には地域でもっとも優秀な事務所だと言われるまでになった。
 努力が才能を引き出したのだ、俺は大器晩成型なのだと、得意な気分だった。
 だが五十も半ばを過ぎるころ、何かがおかしいと気づき始めた。
 あらゆる他人の話がまどろっこしくなってきた。すぐ言い終えられるようなことをだらだらと話している気がするのだ。そもそも喋り方自体が遅くてたまらない。直接の会話だけではなく、テレビなども間延びしていて腹立たしい。
 それで気づいた。他人が遅く感じるというより、自分が早くなり続けているのだと。
 そこから長い数年が経った後、さらに嫌なことに気づいた。自分の手足の動きも遅く感じる。歳を取ったからというレベルではない、肉体はそのままに、精神の動きだけが早くなっているのだ。
 俺は仕事を引退した。そしてあまり出歩かなくなった。自分の歩みが遅すぎて腹立たしい。他人との会話も間延びしすぎて耐えられない。
 俺は長い一日を、書斎で分厚い本を読んで過ごす。はたから見れば、ページを即座にぱらぱらとめくるから、まじめに読んでいるとは思えないだろう。いつかそのうち、指や視線の遅さにさえ耐えられなくなるだろう。
 だから、ぼんやり景色を眺めながら思い出に浸るしかできなくなるだろう。すべての老人と同じように。
 最期の瞬間も近づけば近づくほど遠くなり、まともに動かない肉体の中で、これまでの人生を何度も何度も振り返ることだろう。たぶん、すべての死者のように。


編集: 短編