第208期 #7
これまでずっと平凡な男としか思われていなかったイグイは、たった一日で周囲からの印象を驚くほど変えることになった。一人きりで剣歯虎を倒したからだ。
剣歯虎は巨大な牙を持ち、俊敏で獰猛。倒すには屈強な男が数人がかりで、それでも運が悪ければ返り討ちにあう強敵だ。それを一人で倒した者はイグイが始めてだった。
部族一の腕力自慢の男が真っ先に話しかけてくる。
「イグイよ。俺はお前を見直したぞ」
言われたイグイは戸惑いながら答える。
「そう言ってもらえるとありがたい。でも妙な気分だ」
「胸を張っていいんだぞ。さあ聞かせてくれ。剣歯虎を倒した時の話を」
うながされ、イグイは記憶をたどりながら話し始める。
「なんとなく山に入った。退屈だったから面白いものがないかと思って。そこに剣歯虎がいた。あいつは飛びかかってきた。石槍を使うのは慣れていないが、思わず突き出した。それがあいつの腹に刺さって死んだ」
「……それだけか?」
「それだけだ」
男は失望した顔で、つまらんと吐き捨てて去っていった。
次の日。今度は年増だが美しい未亡人が話を聞きに来た。
イグイは昨日の失望された顔を思い出しながら、言葉を探って慎重に語る。
「山に入ったのは、剣歯虎がいるような気がしたからだ。しばらく探すと見つかった。俺はこれまではあまり使ってなかったが、石槍で思い切って突いた。その一突きであいつを仕留めたんだ」
「それは凄いね」
今度はがっかりされることもなく、素直に褒められた。
その次の日は好奇心旺盛な子供が、さらにその次の日は谷の向こうに住む大男が、次々と話を聞きに来る。
イグイはその都度、必死に頭をひねりながら口を開いた。
そして、あれからずいぶんと季節が巡ったある夜。焚き火の明かりに照らされながら、イグイは十人を超える人々を前にして語り始める。
「……ほかの山で見かけた足跡から、朝日射す山に剣歯虎がいる予感はあった。山に入ってみると痕跡は見つからなかったが、たしかに気配を感じる。慎重に奥に進む。するとあいつと出くわした。見つけたのはお互いに同時。やつは子供の腕ほどある牙を振りかざし、驚くほどの高さで飛びかかってくる。だが俺はそれを見切って身をひねり、このときだけのためにずっと準備していた石槍を……」
それは天地が分かれる話とか、神々が愛しあい争いあう話とかが口にされるよりずっと昔。
たぶんきっとこれこそが、始まりの物語。