第207期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 名探偵朝野十字の事件簿:巨鳥伝説殺人事件 朝野十字 1000
2 マスコット・ボーイ ゼス崩壊 1000
3 A4用紙に書かれていること ハギワラシンジ 947
4 夜の道 たなかなつみ 1000
5 ふかふかのパン テックスロー 945
6 不要 わがまま娘 993

#1

名探偵朝野十字の事件簿:巨鳥伝説殺人事件

 私はシアトルに短期語学留学したとき圭子さんに出会った。彼女はバッグを置き忘れ迷子になっていた。私は彼女が宿泊中のホテルの名前を聞き出し、ホテルまで送ってあげた。それ以降、頻繁に圭子さんから連絡があり、海辺の別荘に何度も招待された。
 お父さんが亡くなって、莫大な遺産を相続した一人娘の圭子さんは、40歳を過ぎて独身で、子供がいないからこれから寂しくなるばかりだと私に打ち明けた。
 今日も別荘に招待され、訪れると、圭子さんの従姉妹の幸子さんが圭子さんはまだ寝てると言った。確かにまだ朝の十時だった。昨夜から地元の名士たちが招待され盛況だったという。
「早く来すぎたかしら」
「圭子姉さんは昨日の夕食会にあなたを招待したのよ」
「ごめんなさい、昨日は用事があってーー」
「いいのよ、いいのよ」
「三階に行っていいですか」
「もちろん」
 三階建の別荘は三階に大広間がありベランダからの眺望がすばらしかった。私は三階のベランダへ行った。
 海を向いた肘掛け椅子に老人がロープで縛り付けられていた。
「私は見た。巨鳥が圭子を連れ去っていった」
 圭子さんの寝室に行くと誰もいなかった。幸子さんと手分けして家の周りを探したが圭子さんの姿はどこにもなかった。
 私は新之助君に電話した。すると名探偵ではなく新之助君が別荘にやってきた。彼は呼ばれてないのに豪華な食事を平らげ、我がもの顔に家の中を調べて回った。圭子さんの寝室に入り、飾られている絵画をいじるとドアのように開き、その奥に書類があった。
「順子ちゃん、夕食よ」
 ドアがノックされ幸子さんが入ってくるせつな、いきなり新之助君がドアに背を向け私に抱きつきキスしてきた。
「お邪魔様」
 と言って幸子さんは退散した。書類は私の背中に押し付けられていた。
 書類を持ち帰り名探偵に会いに行くと三つ質問された。
「三つめの質問は、現場に演劇関係者がいたか」
「幸子さんは劇団を主宰してます」
「彼女が犯人だ。圭子に化けた幸子が彼をベランダに誘い出し、SM趣味のある彼を縛り、薬物を飲ませ、演劇的演出で巨鳥が圭子をさらったと思わせた。動機は、圭子の父親が続けてきた劇団への資金援助を圭子がやめると言ったからだ」
 別荘の裏山で遺体が発見され、幸子さんは逮捕された。キスしたくせに、その後新之助君が私をデートに誘うことはなかった。私から豪華な食事と美しい眺望を奪った彼のことを私は恨めしく思うのであった。


#2

マスコット・ボーイ


「おい、そこのお前」
控え室で野球帽を被ったマスコットの頭を外し汗を拭いていたら、突然声をかけられた。
「え?俺すか?」と、一応返事しとく。
──誰だっけ、このおっさん。
「今日が初日だったよな。お疲れさん」
ぽんと肩に手を置かれる。なれなれしいやつだな。おい。
「ほい、これ。頑張ったご褒美。明日からも頼むよ」
思い出した。球団職員のおっさんだ。
記憶の中で、面接のとき暇そうに頬杖をついてた姿が重なる。
おっさんの手には赤い包みのお菓子。パッケージでガキが笑ってる。ビスコ、だっけ?
「……なんすか、これ?」
「見りゃ分かんだろ。ビスケットだよ」
「びす……けっと?」
「馬鹿、韻を踏んでんだよ。マスコットの中の人だろ、お前は。言わばマスコット・ボーイだ」
がはははとおっさんが笑う。
──ビスケット。マスコット。くだらねー。
「どーも」
一応受け取っとく。非正規とはいえ、ようやく手にした定職だ。簡単に手放したくない。

仕事帰りにこっそり屋外グラウンドに出る。観客のいなくなったグラウンドはひどく間抜けな感じがして寂しい。
俺はこっそり右バッターボックスに立った。幸い照明はまだ点いていて、ピッチャーマウンドがよく見える。つい数時間前まであそこに本物のプロ野球選手がいたんだ。いまではそれが夢か幻みたく思える。

俺は頭の中でバットの輪郭を思い描く。ミズノのやつがいいな。軽くて振りやすいやつ。
マウンドにピッチャーの姿を思い描く。ダルビッシュだ。ダルビッシュが振りかぶる。来る。外角低め一杯。ストレートだ。俺はバットを思い切り振り抜いた。
真芯をとらえた白球が、満員の観衆が待つレフトスタンドへと運ばれていく。俺がガキの頃何度も夢見たのと同じように、その軌跡は美しい放物線を描きスタンドに吸い込まれていった。


「おい!なにやってんだ!!」
背後で誰かの怒声が上がり、俺は現実の世界に引き戻される。やべえ。下手したら初日早々クビか?
「すんません!すぐ帰ります」
顔を手で隠しながら全力でダッシュする。やべえ。やべえ。なにがやべえのか自分でも分からんけどとにかく走る。走る。なんとかひと気のないところまで来て息をついた。
久々に全力疾走したから立っているのも辛い。膝が笑うってこういうことか。なるほどね。俺って全然体力ねえな。
プロ野球選手になるなんて夢、やっぱ無理だったわ。
なぜだか自然と笑いがこみ上げた。しゃあねーな。明日もお仕事がんばってみっか。



#3

A4用紙に書かれていること

"十分に熱せられた銃が好き。あなたの次に好き"
 それ言うの待ってって。ちょっと言うのまだ早いって。まだだって。
"アギトをぐっと、奥歯をぐっと、食いしばって"
 そのまま千まで数えて引き金。銃痕・イン・ザ・頭蓋。
『また頭蓋かい?』
「そうなんだよ」
『カレイニナはよくはずしてしまうね』
「もっと機嫌取らなきゃいけないかもしれないな」
 かもしれないって時はいつでも必然なんだ。
 コーヒーを飲む。
 俺が仕事中にコーヒーを飲むとき、俺はこの仕事がせめてフレックスであってほしいと思っている。そうすりゃもっと楽しく過ごせるのに。コーヒーを飲んだりしながらさ。
「またカレイニナを抱いてくるよ」
『僕が思うに君は』
「なんだい?」
『弾まで抱いてないんじゃないか?』
 じゅ、じゅ。
 じゅうぶんに、ねっ、ねっ? せらせら。
 カレイニナが歌い出す。照準をつけられず、一人では狙いも定められない。俺はレバーを倒して冷却ガスを噴霧する。
【撃ち抜くことリスト】
【れんか】(チェック済み)
【ふうせん】
【キャンディ】
【目の黒いアザラシ】
 ガスが噴霧されるかたわら、俺はリストを見てため息を着く。上司に電話をかけようとするが、彼はまだnoonから続く会議に参加しているから無理。
『時々僕らが何の仕事しているか分からなくなるときないかい?』
「分かるよ。この仕事やめて、また面接するとき何て言えばいいか分からないんだ」
『僕は誰と話していたかとか、contextとかが、もうだめだね』
 僕は服を脱ぎながら、異世界にいるであろう精霊について考える。もし嫌なやつと合うときに、精霊がそいつの頭をぽかぽか殴っていたら、とても和むだろうって。別に嫌なやつじゃなくてもいいんだ。書類でもいいし、虹でもいい。俺の代わりにとにかくぽかぽかやってくれたら、いいなって思うことにしてる。
"愛を込めて7mm込めて"
 俺は今朝のトーストについて考えてる。雨が降っていて、ちん、の音が聴こえなかった。
"私の銃床が重傷なの"
 今度レコードを買おうって、雨が強い日に考えていたことを思い出した。でも家にレコードプレイヤーは無い。
 俺はカレイニナを抱く。冬の燭台みたいに冷えた銃身をじゅうじゅう暖めて、また撃てるようにする。
"次は?"
「ふうせんだよ。もう一度やってみよう」


#4

夜の道

 その街には、昼の道と夜の道がある。
 ふたつの道は物理的には同じ通りだ。西側にだけ家が密集して建ち並ぶその通りは、太陽が東にあるあいだは明るく照らされ、若者たちと子どもたちが賑やかに行き交い活気に満ちている。そして、太陽がその位置を変えるとともに、徐々に変貌を見せる。若者たちは少しずつ年老い、やがて死相を見せる。子どもたちはあっという間に年齢を重ね、街から消える。
 天頂を過ぎた太陽が密集する家々の後ろに隠れてしまうと、通りは夜の道に変わる。闇で淀んだ空気は湿気て重く、動くことのない流れの底に街全体が沈む。
 外部の人間が夜の道を訪れることはまずない。光を浴びることのない夜の空気は、近づくにつれ、より重く密になっていき、その通路を閉ざし、他者を閉め出す。
 外部の者の訪れがあるのは、かすかな緩みの刻。密なところから粗なところへと、どろりと空気が動く隙間を縫い。
 気づかぬうちに、入り込んでしまうだけだ。
 灯のない暗い通りを、そのときの私は、ただ家路を急いでいた。
 夜の道に人影はない。本来ならば。
 だから、密集した家の玄関先に蹲り這いつくばっているように見えるそれも、人影ではないはずだった。本来ならば。
 灯のない不案内な道だし、錯覚にすぎない。私は躊躇わずにそう思い、その奇妙な物体を見定めようと、視線をそれへ向けたまま、足を速めた。
 近づいても近づいても、それは人が静かに蹲り這いつくばっている姿に見えた。身動ぎもせず地に伏している人影に見えた。
 そうして、その物体まであとほんの数歩まで近づいたとき、突如、それは動いた。
 ゆらりと。のそりと。どろりと。
 それは疑いなく人だった。小さく丸まるそこは頭部で、広くて平らなそこは背中だった。おそらく成人の。おそらく男性の。萎びた身体の。
 急激に解かれ人になりゆくそれを目の当たりにし、言いようのない恐怖に襲われた私は足早に道の反対側、家が建て込んでいない側へ逃れた。そして脇目もふらずに歩いた。灯のない少しの屈曲もない夜の道を、ただひたすら歩き続けた。
 やがて月の光に晒されたそこは、いつの間にか知っている道だった。通りを歩く人影が見えたが、違和感はもうなかった。
 後日、私は昼の道を訪れた。西側にだけ家が密集するその通りは、日の光が明るく軒先を照らし、眩しいほどだった。行き交う若者たちと子どもたちとで満ちた通りは、ただ賑やかで、穏やかだった。


#5

ふかふかのパン

 小麦粉と水と砂糖とイーストで、パンを作ろう。ひんやりとしたキッチンでぬるま湯に手を浸して私は朝の寒さを少し忘れる。泡立て器で混ぜた材料にお湯を流し込み、手でそれをこねる。つかみ所のなかった生地がぬるま湯と混ざり合って、次第に形を取り始める。パン生地をこねる手に力が入る。冷たいパン生地が私の手の熱を心地よく奪って行く。舞い上がった小麦粉に朝日が完璧な具合で差し込んで、私は上機嫌。十分こねられて、空気が入ったパン生地は、もうそれだけでおいしそう。無塩バターを入れて、もう一度こねる。脂肪分が生地の中に浸透していく感覚が分かる。生地は熱を持ちだして、いのちを感じさせる弾力で私の手を押し返す。焼かずにそのまま食べちゃいたいくらいだけど我慢して、パンを発酵させる。
 でっぷりと太った生地を丸く整えたら十個に切り分けて、ちょっと丸くして、一休み。もう一回発酵させるためにオーブンへ。何回も膨らむ私のパンたち、割れないように空気を取り込んで、しぼんでしまわないように熱を持っている。
 表面に卵黄を塗って、オーブンに入れる。私はオーブンから離れずに、パンが膨らむ様子をじっと見ている。そわそわしている私はミトンをつけた両手をかき合わせて寒い空気の中じっと待っている。ぽつぽつと私の中の何かが小さく膨らんでは割れる。
 パンが色づいて割れそうになったところでオーブンをあけてパンを取り出す。中から外に出たがっている熱い空気たちを閉じ込めて凜としている私のパン、少しぐらいやけどしてもいいよね、私は親指を差し入れて少し開いたパンの真ん中に鼻をあて、目をつぶってパンに顔を突っ込む。その熱い空気を外に触れさせたくない。顔が熱くて、むせかえるような小麦の匂い。鼻の穴を湿らせる蒸気にくらくらする。ああこんなことで私は逮捕されたりはしないだろうか。うっすら目をあけるとオーブンガラスに映った私の恍惚の表情。私はひとりで微笑んで、また目を閉じてパンの匂いをむさぼり嗅ぐ。

「なんでこれだけへこんでるの」
「あ、ごめん!」
 お昼の食卓に並んだパンの中の一つを手にとって首をかしげる旦那から、くたくたになったシーツみたいなシワのついたパンを取り上げて一口で食べた。朝に親指で空けた穴を舌でなぞってバターの脂肪分を感じる。


#6

不要

ずっとそこにあったのだが、久しぶりに手に取って開いた。
パラパラとその薄くて破れそうな透け感のある紙をめくる。
五十音順に言葉が並んでいるそれには、文字通りびっしりと文字が並んでいる。
今はもう殆ど開くことがない。世の中、便利になったものだ。
国語辞典なんて開かなくても、ネットでちょっと検索したら言葉の意味なんて簡単にわかってしまう。曖昧な言葉を入力しても、正しい言葉を教えてくれるサービス付き。
国語辞典で調べていた時は、一文字違っても答えにはたどり着けなかった。
方言で言葉が濁っているせいで、日常的に使っている言葉では探せず、慣れるまで随分時間がかかった。

国語辞典で困ったことはそれだけではなかった。
当初は国語辞典の横に漢和辞典を置いて使っていた。調べた先の意味の文面に、知らない漢字が混ざっているのだ。そうなると、国語辞典で漢字を調べることができないので、漢和辞典で漢字の読みを探し、国語辞典に戻ってという、なんとも面倒な作業をしていた。
国語辞典の中を駆け巡ったこともある。調べた先の意味の文面の言葉の意味が分からなくて、検索に検索を重ね、当初の目的を忘れたこともある。
ネットを使うようになって、そういうのもなくなった。
わかりにくい言葉にはあらかじめリンク先が貼ってあって、クリックひとつで答えがわかり、スタートの言葉は消えていくことはない。

ずっと使っているこの国語辞典だが、実は過去に一度別の国語辞典に浮気したことがある。
言葉はどんどん新しい言葉が生まれ増殖していく。
つまり、内容が古くなってしまったのではないかと思ったことがあるのだ。
適当に別の国語辞典を買ってきて暫く使っていたのだが、相性というのがあるのか、どうもしっくりこず、数ヵ月経たないうちに今までの国語辞典に戻ってきた。結局、新旧の違いによる個人的な使用上の問題はなかったわけだ。
ただ、ネットを使うと新しく生まれた言葉でさえも、すぐに検索ができる。
流行語、古語、普段使わない言葉も含め、あらゆる言葉はネットで検索をするとその意味を知ることができる。

もう国語辞典は不要なのだろうか。
パラパラと紙をめくるそれで「不要」という言葉を調べる。
当然ネットだと一瞬で答えが出てくるのだが、紙はそうはいかない。
ふよう、ふよう、とボソボソ呟きながら、紙の上の文字に指を滑らせる。
その時間は、せかせかしている毎日の中で、ゆったりと温かかった。


編集: 短編