第207期 #5

ふかふかのパン

 小麦粉と水と砂糖とイーストで、パンを作ろう。ひんやりとしたキッチンでぬるま湯に手を浸して私は朝の寒さを少し忘れる。泡立て器で混ぜた材料にお湯を流し込み、手でそれをこねる。つかみ所のなかった生地がぬるま湯と混ざり合って、次第に形を取り始める。パン生地をこねる手に力が入る。冷たいパン生地が私の手の熱を心地よく奪って行く。舞い上がった小麦粉に朝日が完璧な具合で差し込んで、私は上機嫌。十分こねられて、空気が入ったパン生地は、もうそれだけでおいしそう。無塩バターを入れて、もう一度こねる。脂肪分が生地の中に浸透していく感覚が分かる。生地は熱を持ちだして、いのちを感じさせる弾力で私の手を押し返す。焼かずにそのまま食べちゃいたいくらいだけど我慢して、パンを発酵させる。
 でっぷりと太った生地を丸く整えたら十個に切り分けて、ちょっと丸くして、一休み。もう一回発酵させるためにオーブンへ。何回も膨らむ私のパンたち、割れないように空気を取り込んで、しぼんでしまわないように熱を持っている。
 表面に卵黄を塗って、オーブンに入れる。私はオーブンから離れずに、パンが膨らむ様子をじっと見ている。そわそわしている私はミトンをつけた両手をかき合わせて寒い空気の中じっと待っている。ぽつぽつと私の中の何かが小さく膨らんでは割れる。
 パンが色づいて割れそうになったところでオーブンをあけてパンを取り出す。中から外に出たがっている熱い空気たちを閉じ込めて凜としている私のパン、少しぐらいやけどしてもいいよね、私は親指を差し入れて少し開いたパンの真ん中に鼻をあて、目をつぶってパンに顔を突っ込む。その熱い空気を外に触れさせたくない。顔が熱くて、むせかえるような小麦の匂い。鼻の穴を湿らせる蒸気にくらくらする。ああこんなことで私は逮捕されたりはしないだろうか。うっすら目をあけるとオーブンガラスに映った私の恍惚の表情。私はひとりで微笑んで、また目を閉じてパンの匂いをむさぼり嗅ぐ。

「なんでこれだけへこんでるの」
「あ、ごめん!」
 お昼の食卓に並んだパンの中の一つを手にとって首をかしげる旦那から、くたくたになったシーツみたいなシワのついたパンを取り上げて一口で食べた。朝に親指で空けた穴を舌でなぞってバターの脂肪分を感じる。



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