第207期 #6

不要

ずっとそこにあったのだが、久しぶりに手に取って開いた。
パラパラとその薄くて破れそうな透け感のある紙をめくる。
五十音順に言葉が並んでいるそれには、文字通りびっしりと文字が並んでいる。
今はもう殆ど開くことがない。世の中、便利になったものだ。
国語辞典なんて開かなくても、ネットでちょっと検索したら言葉の意味なんて簡単にわかってしまう。曖昧な言葉を入力しても、正しい言葉を教えてくれるサービス付き。
国語辞典で調べていた時は、一文字違っても答えにはたどり着けなかった。
方言で言葉が濁っているせいで、日常的に使っている言葉では探せず、慣れるまで随分時間がかかった。

国語辞典で困ったことはそれだけではなかった。
当初は国語辞典の横に漢和辞典を置いて使っていた。調べた先の意味の文面に、知らない漢字が混ざっているのだ。そうなると、国語辞典で漢字を調べることができないので、漢和辞典で漢字の読みを探し、国語辞典に戻ってという、なんとも面倒な作業をしていた。
国語辞典の中を駆け巡ったこともある。調べた先の意味の文面の言葉の意味が分からなくて、検索に検索を重ね、当初の目的を忘れたこともある。
ネットを使うようになって、そういうのもなくなった。
わかりにくい言葉にはあらかじめリンク先が貼ってあって、クリックひとつで答えがわかり、スタートの言葉は消えていくことはない。

ずっと使っているこの国語辞典だが、実は過去に一度別の国語辞典に浮気したことがある。
言葉はどんどん新しい言葉が生まれ増殖していく。
つまり、内容が古くなってしまったのではないかと思ったことがあるのだ。
適当に別の国語辞典を買ってきて暫く使っていたのだが、相性というのがあるのか、どうもしっくりこず、数ヵ月経たないうちに今までの国語辞典に戻ってきた。結局、新旧の違いによる個人的な使用上の問題はなかったわけだ。
ただ、ネットを使うと新しく生まれた言葉でさえも、すぐに検索ができる。
流行語、古語、普段使わない言葉も含め、あらゆる言葉はネットで検索をするとその意味を知ることができる。

もう国語辞典は不要なのだろうか。
パラパラと紙をめくるそれで「不要」という言葉を調べる。
当然ネットだと一瞬で答えが出てくるのだが、紙はそうはいかない。
ふよう、ふよう、とボソボソ呟きながら、紙の上の文字に指を滑らせる。
その時間は、せかせかしている毎日の中で、ゆったりと温かかった。



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