第204期 #6

ふつうです

 あなたは鈍感です。九州の甘口醤油と、関東の刺身醤油の味の区別がつかないくらいには鈍感です。黒い色だし、同じ味なのだろう、という思い込みも手伝って、細かい味の違いは、鈍感なあなたにとっては大変わかりにくいと思います。あなたはおそらくそのとき、おしゃべりに夢中で、興奮していたのだと思います。あなたはエジプトで食べた、ラム肉を焼いたものをルッコラのサラダに敷いた食べ物の話に夢中で、一度関東の刺身醤油につけた鯛の刺身を、口に運ぶことなく、「中東の料理だと思うんだけど、すごいんだって、はえがすごいたかってる」九州の甘口醤油にくぐらせて口に運びます。三度ほど咀嚼して次の話をするために嚥下しようとしたとき、鼻孔を突き抜けるのは甘くてくどい匂いでした。あなたは「余った肉と野菜全部さー、ビニールで包んでそのまま捨てるんだぜ」としゃべりながら、この甘いのは何だろう、と頭の片隅で考えます。
 あなたは「ラム、食べたことある? ラム。頼む? ないか」と言いながら「すみませーん、ビール。さっきと違うのにしようかな、キリンください」と注文をしてからジョッキに残った黄色い液体を飲み干します。空のジョッキには想像上の動物が描かれていますが、あなたはそんなことは気にしません。私の席の、手つかずのビールにも全く気づきません。
 インスタグラムを更新しながら、あなたは私の目を見ずに話します。「俺もさ、いつまでもこんな関係でいようって思っているわけじゃないよ。いつかはしっかりとした仕事に就くし、英語だって勉強してるし、いつか分からないけど結婚だって考えてる」私はあなたのまっすぐな目が好きです。私はあなたがしてくれる世界の話が好きです。会計を済ませて外へ出ると、電柱の影であなたは私の肩を強く抱き、私の口に舌を入れようとします。私が眉をひそめて首を振るとあなたはどうしたの、とそこで初めて私に発言を促しました。
「妊娠したの」
 あなたのあごひげがわずかに震えたようでした。あなたは「分かった」と一言言いました。その小さな目はしばらく漂っていましたが、ついに私の目と合いました。
「分かった、結婚しよう、俺、働く」
 エジプトもインスタも自分探しも英語の勉強も、一瞬で過去のものになるくらいの強烈な引力が私のお腹の中にはいて、目の前のあなたはあまりに裸で、無力で、ふつうで、でも、どこかたくましくて、愛おしいです。



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