第204期 #5

ベルゼブブの遣い

悪霊跋扈する魔界にベルゼブブという蝿の王が居た。暴虐たる蝿の王は人々が醜く争う姿を至上の喜悦とし、なによりの馳走とする。王は地上に三匹の蝿を遣わせた。特に優れた人間に蝿を取り憑かせ、世界を混乱に陥れようとしたのである。

一匹目の蝿は、ある大国の大統領に取り憑いた。大統領は議会を黙殺して軍の専横を始めた。世界のあらゆる紛争に介入し、多くの尊い命が奪われた。かくして世界は混沌の様相を深めた。
……蝿の王は爛々と瞳を輝かせた。

二匹目の蝿は、ある天才的な学者に取り憑いた。学者は狂ったような研究の果てに比類なき殺戮兵器を発明した。幾億もの命を一瞬で葬り去る兵器の誕生は世界を震撼させた。かくして世界は収拾のつかぬ狂乱に陥った。
……蝿の王は興奮に舌舐めずりした。

三匹目の蝿は、巨万の富を独占するある資産家に取り憑くべく地上に遣わされたが、資産家は蝿が取り憑く間際、病に倒れこの世を去ってしまった。
蝿は仕方なく資産家の奴隷となっていた男に取り憑いた。男は出自こそ卑しかったが、類稀なる明晰な頭脳を持っていた。男はその聡明さを見込まれ資産家の跡取りから信を得ると、残忍な手段を用いて跡取りを殺した。膨大な資産が男の手に渡った。

やがて男は有り余る富を活用してある世界的な宗教の指導者の地位に登りつめた。男は世界に散らばった信者を扇動し多くの罪のない人々を異端者として処刑した。かくして世界は混乱の極みに達した。
……蝿の王は羽を震わせて狂喜した。

男に取り憑いた蝿はなおも懸命に働いた。他の二匹の蝿に負けじと必至に男の狂気を煽り立てた。全ては主君たる蝿の王を喜ばさんがためである。
やがて男はある大国の大統領を失脚させ麾下の軍を掌握すると、ある比類なき殺戮兵器をも手中におさめた。どんな手段を用いたか誰にも分からない。僅かに居たはずの真実を知る者は、とうの昔に物言わぬ骸と成り果てた。

もはや男に歯向かう者は一人として居なかった。男は世界の王となったのである。人々はただ一人の王を恐れた。王の御機嫌を伺いながら声を殺すように生きた。
次第に、人々は歪み合っていた隣人とさえ助け合い暮らすようになった。互いに争っている余裕などなかった。なにより恐れ憎むべき王がそこに居たからである。いつしか世界から対立や紛争は遠のき戦乱の火は絶えた。

かくして地上から争いは去った。
……蝿の王はがっくりと頭を垂れ、途方に暮れた。



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